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2013年5月13日月曜日

左脳と右脳の使い方


音楽は芸術だから右脳を使う、とよく聞きますね。
でも両方使う。そして両方と言っても

  普通右脳だけでやる事を左脳使い、

  普通左脳だけでやる事を右脳使う

というのが正しいようです。

たとえばメロディーを聞くとき、
普通は右脳しか使わないのに音楽をやっている人は左脳も働かせているそうです。
楽譜を読んだときは
普通は左脳で読むのに対し音楽をやっている人は右脳でも読み取るそうです。

ピアノ初心者の場合、
リズムを叩いたら子供は全員まねして叩きます。
大人はまず「タタ、タター?ですか?」と確認しながらメモします。
子供は先生の手を見て鍵盤の場所をまねして弾こうとして
楽譜を読みたがる子はまずいません。
大人は始めた時から難しい楽譜にも挑戦して指番号がない場合は先生に聞きます。
子供は題名でその曲の感じを察知し、楽譜のシャープなどは平気で見落とします。
大人は楽譜をまず論理的に見て、シャープもフォルテも自分から理解して弾こうとします。

どちらもまだまだですね(笑)
子供は右脳に、大人は左脳に偏っています。

右脳だけではまだまだの理由は
まねるというのは
両手で複雑な曲になると天才じゃない人はじきに限界が来ることがひとつ。
楽譜を読めるようにしておかないと「聞き取れない」曲は弾けなくなってしまいます。
そして、もうひとつ。
目に見えない感覚的なもの(右脳的)を論理的に(左脳的)聞き取ることで理解が深まるのです。
長く音楽を訓練すると
ドレミで聞こえ(絶対音か相対音かはそれぞれ)/何拍子で/どんな楽器を使っていて/調が変わった、などの情報も聞きとれるようになります。
これによってルールを知る事が出来、曲の落とし込みや裏付けが加わるのです。

逆に、左脳だけだと音楽は元々感情を表現している「言葉」ですから
左脳的に理解しただけではその元々の感情を繊細に表現する事が出来ません。
すべての芸術はこの「何かを感じる」ことから始まるので
表面的な理屈を理解して弾くのでは、頭でっかちになって
肝心の「こころ」が置いていかれてしまうのです。
たとえば、作曲家の生涯や生きた時代を知る事は、その時の作曲家の気持ちに思いをはせることに意味があります。心の機微を大切にしていないと音楽は奏でられません。

右脳を使う領域に左脳も使うと次はもっと右脳領域を深める必要が出て来て、また次は左脳、、、という果てしない循環になっています。逆も同じです。
私はこの行ったり来たりの終わりのない循環が、音楽に限らず「深み」を生み出し、人の心を動かすものとなる気がします。

あ!
練習も実は左脳的でありながら
「どうしたら良い演奏が出来るだろう」と見えない答えを探し続けるクリエイティブな右脳の領域だと思います。
工夫した練習で、左脳と右脳さくさく行ったり来たりさせましょう。


おやすみなさい。


















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