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2013年7月21日日曜日

絶対音感より大切な音感

こんなに涼しい朝夕。「暑さに負けない!」緊張感がすっかり薄れ、再び暑さがやって来たあかつきには、その不意打ちに夏バテしそうです。まだまだ7月の中旬。


音楽で言う耳がいい、とは「絶対音感」とも「耳の聞こえ」とも違います。
「絶対音感」とは足音がラのフラットに聞こえるとか、ブレーキの音がミとわかるとか、そのような能力で、音楽性とは全く関係ありません。
また、小さい音でもよく聞こえるとかそういう耳の機能も、音楽で言う耳がいい、ということとは違います。

この2つがいいにこした事はないのでしょうけど、それよりもっと大事な耳の良さというものがあります。それは、

「笑っていたけど、今日は声が少し暗かった」
「包丁の音が弾んでいる、嬉しい事があったのかも」
「霧雨が降っていたんだ、音がしないからわからなかった」

という音の表情を読み取る力のことです。
顔に表情があるように、音もためらったときにはさっと曇ったり、きっぱりした思いのときには迷いない音色になりますね。

お母様たちが子供に絶対音感を付けさせたいのは、音楽をやる上で有利だからと思ってらっしゃるようですが、足音がラのフラットかどうかより「悲しい人の足音」か「喜んでいる時の足音」か「どんな音(音質)の違いか」聞き分けて、それを聴いたように再現出来る耳をもつ事の方が、ずっとずっと重要です。だって足音がラだろうがシだろうが、音はちゃんと楽譜に書いてあるし、作曲する時だって調律された楽器があればいいことですから。

音楽で重要な「耳」とはこんな事です。なにしろ言葉でなく、音だけで表情をつけるためには、自分で弾いた音が果たしてちゃんとその感情の音になっているか耳で聴き分けられて初めて完成するのです。

「弱々しくて足が前に進まない感じに弾きたい」→自分で弾いた音→(耳で聴く)→「これではまだまだ元気が残っている音だ」→また弾く→「この音が近いかも、、」

というように、耳がいいとはようするに想像し、考え、答えを探す力でもあります。
これはとても感覚的な事のようですが、実は聞いたものを脳で判断する脳の力らしいです。心を込めて弾くというのは、楽譜にあるただの音符に感情を投入する事を意味しますが、いくら悲しみいっぱいに弾いても、音に反映出来ていなかったら、音楽は伝わらないので、音に表現出来ているかを耳で判断する、という事ですね。音って残らないものだから、感情の詰まったその音をイメージする力、というのが正しいかもしれません。絶対音感よりずっと大事な音感です。

レッスンをしていて自分の音を聴いていない方が多いように思います。まちがったとか大きい小さいは「聞こえる」音です。そうではなく耳を澄まして、「何の音」かではなく「どんな音」かを聴いてほしいなと思います。自分が何をどんな風に伝えようとしているのか、耳を澄ましてみて下さい。大好きなショパンを棒読みしちゃっていては、もったいないです!







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