ページ

2013年11月7日木曜日

音に命

音に命を与えるのは、記憶の中の喜びや悲しみの気がします。

音大卒業後、しばらくリトミックを教えていました。リトミックというと、リズムの勉強というイメージがあるかもしれません。でもそれだけでなく、もっと大きな意味で体で音楽を感じる、表現するという音楽の根本を習得する分野です。

レッスンではこんな事をしていました。
たとえば二分音符に合わせて歩く。
水の入ったバケツを運ぶのと、湯のみにタプタプに注がれたお茶を運ぶのは運び方が違いますね。どっこいしょってなるか、すり足になるか。これをピアノのドの音で弾いてみると全く違った音になります。

また十六分音符に合わせて走る。
遅れてくる人を待ってイライラしているときに見る時計の針の音と、子供の喜ぶ顔を浮かべてお母さんが切るとんかつのキャベツの千切りの音とでは、全然違う音ですね。

イメージするもので音は変わります。

では「イメージ」ってなんでしょう?私は感情の記憶の気がします。湯のみを知っていて、水がタプタプだったら、そうっと運ばないとこぼれる。でもその知識だけじゃ表現は出来ないのです。その状況でなく、その時の緊張した『気持ち』が、イメージを作ります。表現とはまず、気持ちがあってそれを伝えることなのだと思います。

ピアノを習っている子供さんには、ピアノの練習も大事ですが、ぜひこの元になる感情をいっぱい味わわせてあげて下さい。ピアノの音が「ファー」ってわかるより「あくびみたい」って感じる方が役に立ちます。

大人の方は「2拍のフェルマータだから4拍」とか理屈で理解したくなっても、とりあえず理屈はお預けです。一呼吸して「今すぐわからなくていい」とまず自分に言って、そのあと記憶の中にある「ファー」の感覚をゆっくり何か手応えがあるまで探って下さい。(ここで「あくびみたいに弾いて下さい」と言うと、え?じゃあ弱くって事ですか?となりそうで怖いです)

すぐに出来なくていいのです、出来る事より追い求める事に意味があります。自分の体と心で感じた気持ちこそが音に命を与えます。もちろん先生の言うイメージと違っていてもいいのです。




0 件のコメント: