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2013年7月28日日曜日

音楽の力


小澤征爾さんは「本当の音楽の力は知らない曲でこそ伝わる」とおっしゃっています。


小澤さんは、クラッシックとあまり縁のない地域であえて無名の曲でコンサートを行っていました。知っているメロディが次から次へと演奏されれば、聴いている方は演奏の善し悪しに関わらずほぼ満足してくれます。有名人に会ったら、好きでなくてもうれしくなって、でもってちょっと親切だと「すごくいい人!」って評価上がってファンになったり。でも一般人だと、よっぽど言う事や態度にインパクトがないと好きになるどころか、話も聞いてもらえない。

音楽もそういう要素、いっぱいある気がします。

普通の人でも何もない人生なんてありません。
そんな人生と同じく、小さな曲にも知られていない曲にもその良さがたくさんあります。
私は短歌が趣味なんですが、短歌は大事件ではなく、小さなふっとした気づきが歌になっている事が多いです。

小さな出来事だけど大切な事にスポットライトを当てていくように、小さな音楽の中の大切な一音を伝えられる表現者でありたいです。

2013年7月26日金曜日

ピアノの上手へた

友人からも指摘されたので、自分の事を「へた」というのをやめようかと思いました。

へたと言わざるを得ない理由は

テクニックがないのでミスする
集中力がないのでミスする
頭が悪いので暗譜が抜ける

などなどです。生徒さんに「ミスとピアノの善し悪しは関係ない」と言ってますが、ミスするのは決して上手な演奏でないんです。ヘタなんです。だけど私が自分のピアノを悪いと思っているかというと、恥ずかしながらそうでもないのです(真面目)
とても真剣に曲の事を考えてピアノを弾いているし、自分の言葉で弾いているし、いい音色だなあと思う事もたまに、、、(笑)

つまり、一見矛盾しているようなことがピアノにはあります。
テニスがヘタと言われる人が優勝はしないでしょうが、1ページ飛ばしちゃった人がコンクールで入賞した事があったり、初見でものすごい楽譜を弾いちゃう人の演奏には感動しなかったり。

私はやっぱりヘタなんですが、ちょっと誇りを持っている部分もあります。
得意の自画自賛ですが、このくらい図々しくないとピアノって続けられないのかも。

皆さんも自分の持っているものに誇りを持って下さい。
かといってそれだけでは単なるおばかさんになってしまうので、少ししか持っていないものを磨く事も忘れずに。(自分に言ってます)




























2013年7月22日月曜日

好きなものと生きる力

私は好きな事を仕事に出来て、本当にいい人生を歩ませていただいています。
だれに一番感謝すればいいのだろう、と思います。

でも、ブログのサブタイトルに「大嫌いだったピアノ」と書いた通り、私はピアノが大嫌いだった時期があります。なんとなく、話も長くなるし、その話はまたそのうちとしますが、1番なりたかったものは漫画家です。

大島弓子さんの大ファンです。ずっと。
大島弓子さんの漫画を読んだとき「私はわたしのままでいいんだ」と思ったのでした。
なぜそう思ったかわかりませんが、大島弓子さんの漫画の主人公はだいたい変わっていて、でもそれでもアリだったので、こんな変な人がいて、主人公やってて、こんなに感動するんだから、私なんか全然まともだ、アリアリ、ってことかと。。。

絵を描くのも好きだったし、物語も好きだったので漫画家になりたいと思ったのですが、ピアノと同じく才能がない上、ピアノと違い時間もかけなかったので、それは当然叶わない夢となりました。漫画はいわば片思いで終わった恋愛です。

では人生のパートナーは、というとやっぱりピアノです。
天から与えられた才能はもちろんないので、ピアノがない人生はそれはそれでアリだったのだろうと思うのですが、今世私の人生にピアノがあったことはこの上なく幸せでした。今ピアノを取られちゃったら、ほんとに悲しい。

漫画家にはなれなかったけれど、大島弓子さんは私の人生の師です。何かあったとき、私はピアノを弾いて今の自分を、そして大島弓子さんを読んで本来の自分を取り戻します。私がピアノをやっているのは、ピアノが好きだからですが、仕事としてやっていく上では、私が大島弓子さんにもらった「生きる力」のようなものを、ピアノを通じて伝えられたらなあと、思います。才能に憧れられる事はなくても

「あんな適当な人がピアノやってるんだから、私にもできるわ」みたいに。。

長い人生の中、ピアニストにはなれなくてもピアノを弾く事で慰められたり、ピアノで喜びを見いだして下さる方が増えたなら、それは私が「漫画家じゃなくてやっぱりピアノの先生になってよかった!」と思える瞬間です。






2013年7月21日日曜日

絶対音感より大切な音感

こんなに涼しい朝夕。「暑さに負けない!」緊張感がすっかり薄れ、再び暑さがやって来たあかつきには、その不意打ちに夏バテしそうです。まだまだ7月の中旬。


音楽で言う耳がいい、とは「絶対音感」とも「耳の聞こえ」とも違います。
「絶対音感」とは足音がラのフラットに聞こえるとか、ブレーキの音がミとわかるとか、そのような能力で、音楽性とは全く関係ありません。
また、小さい音でもよく聞こえるとかそういう耳の機能も、音楽で言う耳がいい、ということとは違います。

この2つがいいにこした事はないのでしょうけど、それよりもっと大事な耳の良さというものがあります。それは、

「笑っていたけど、今日は声が少し暗かった」
「包丁の音が弾んでいる、嬉しい事があったのかも」
「霧雨が降っていたんだ、音がしないからわからなかった」

という音の表情を読み取る力のことです。
顔に表情があるように、音もためらったときにはさっと曇ったり、きっぱりした思いのときには迷いない音色になりますね。

お母様たちが子供に絶対音感を付けさせたいのは、音楽をやる上で有利だからと思ってらっしゃるようですが、足音がラのフラットかどうかより「悲しい人の足音」か「喜んでいる時の足音」か「どんな音(音質)の違いか」聞き分けて、それを聴いたように再現出来る耳をもつ事の方が、ずっとずっと重要です。だって足音がラだろうがシだろうが、音はちゃんと楽譜に書いてあるし、作曲する時だって調律された楽器があればいいことですから。

音楽で重要な「耳」とはこんな事です。なにしろ言葉でなく、音だけで表情をつけるためには、自分で弾いた音が果たしてちゃんとその感情の音になっているか耳で聴き分けられて初めて完成するのです。

「弱々しくて足が前に進まない感じに弾きたい」→自分で弾いた音→(耳で聴く)→「これではまだまだ元気が残っている音だ」→また弾く→「この音が近いかも、、」

というように、耳がいいとはようするに想像し、考え、答えを探す力でもあります。
これはとても感覚的な事のようですが、実は聞いたものを脳で判断する脳の力らしいです。心を込めて弾くというのは、楽譜にあるただの音符に感情を投入する事を意味しますが、いくら悲しみいっぱいに弾いても、音に反映出来ていなかったら、音楽は伝わらないので、音に表現出来ているかを耳で判断する、という事ですね。音って残らないものだから、感情の詰まったその音をイメージする力、というのが正しいかもしれません。絶対音感よりずっと大事な音感です。

レッスンをしていて自分の音を聴いていない方が多いように思います。まちがったとか大きい小さいは「聞こえる」音です。そうではなく耳を澄まして、「何の音」かではなく「どんな音」かを聴いてほしいなと思います。自分が何をどんな風に伝えようとしているのか、耳を澄ましてみて下さい。大好きなショパンを棒読みしちゃっていては、もったいないです!







2013年7月15日月曜日

トーク付きコンサート

はじめてピアノの会の芸術鑑賞会はこれまでオペラ3回とバレエ1回と、おんがくツアーでのピアノコンサートが1回でした。

偏ってますね(笑)。ピアノじゃないのは訳があるんですが、それにしても偏ってます。
ピアノは音楽的でなくても弾けると言われる楽器なので、なんとか音楽的なピアノになる事を願って、一番感情表現豊かなオペラを見る事が多かったのですが、今回のようにトーク付きのコンサートですと、なぜピアノが音楽的でなくなっちゃうのか、音楽的なピアノってってどういう事か、ようくわかっていただけるようです。

ピアニストは本当はあまりしゃべりたくないのです。しゃべる世界と音楽の世界は違うので、気持ちの切り替えが必要になります。日本語の世界から音楽という言葉の世界にすっと行く事はとても難しいらしいです。室井先生もそうおっしゃっていました。変なたとえですが、直前まで大阪弁で会話してていきなりシリアスなシェークスピアを英語で演じる、、、って至難のワザですよね。

でも、そうやって一流のピアニストの方が私たちのために音楽の世界を演奏前に日本語でひもといて下さると、とてもわかりやすく、理解が深まります。公開レッスンのあとに演奏を聴かせていただくような感じです。音楽家ってやっぱり日本語もお上手なんですよね。音楽というこの世で一番抽象的な芸術を言葉にできて、言葉は音楽という暗号に包むことが出来る。。うっとり。

またトーク&コンサートやるつもりです。
是非この方のトークとピアノを!というリクエストあればお寄せ下さい。

おやすみなさい。











2013年7月13日土曜日

サロンの発表会 追加日程!

サロンの会の日程が1日追加されました。

10月26日(土曜日)です。
お勤めの方も是非ご参加下さい。

皆様「どんな方が出演するのか」ご心配なようですので、エントリーされている方を少しご紹介します。

•3月からピアノをはじめたばかりで、発表会は当然生まれて初めて、という方。
•5、6年になるけれど、なかなか練習できなくてピアノは上達してないけど、音楽仲間との交流が楽しみ、という方
•ピアノ歴7年、毎日練習は欠かしません、生き甲斐です、という方
•子供の頃からかれこれ40年やっています、という方
•音大ピアノ科卒の音楽の先生
•ピアノ講師の方
•習い始めた声楽で出演します、という方
•連弾します、という方
•ここでベーゼンドルファーを弾いてみたいので、という方

などなど。
年齢はまだ2、30代のかたはいらっしゃらず、40代、50代、60代、70代、最高齢は82歳の方です。私もド下手なピアノを弾かせていただく予定です。

サロンの会は毎年違う場所なので、松本記念迎賓館も今回のあとはいつになるかわかりません。成城学園からも二子玉川からもとっても遠いですが「遠くまで来た甲斐があった」と必ず思っていただけます。

お料理は本格イタリア料理のフルコースに決まりました。ワイン飲み放題つきです♪


ちなみに会場選び、お料理選びは私の趣味です。




2013年7月12日金曜日

音楽は語る 室井先生有り難うございました

お話が展開していくように音楽が展開していく、、、

そんなお話を「エリーゼのために」の半音の美しさの説明を交え演奏して下さるところから始まった「室井摩耶子ピアノ&トークコンサート」。昨日、大盛況のうちに終了致しました。ご鑑賞下さった皆様、いたらない点をお詫びしますとともに、ご来場いただきました事、お礼申し上げます。有り難うございました。

室井先生の「月光」は有名ですが、小曲の集まった「子供の情景」も、室井先生らしい選曲であり、演奏でした。小曲ってピアノをやる人は「簡単」と決めつけて、たとえば発表会などでも弾こうとする人がとても少ないのです。でも1ページだから簡単、10分だから上手ではないのが伝わったと思います。「あそこが難しい」「強くてかっこいい音」などと思う間もなく、不思議そうな国、はしゃぐ子供たち、じっと話を聞いてる様子、などなど小さな曲に詰まった子供たちの光景が目に浮かんできたのではないでしょうか?表現ってここまで出来るんですね。

先生はホールにおいで下さった時からリハーサル、本番、休憩、終演後まで、一切神経質になる事なくずっと穏やかでしたので、終わったあとに「緊張する事はないのですか?」と聞いてしまいました。緊張はされるとの事でしたが、私には、本番が特別な事ではなく、時が来たから弾く、というように見受けられました。

先生はやっぱり、天才なんです。ピアノと明るさ、おおらかさが。
昔のピアノの先生はこわくて、なかには泣いたりそれがいやでやめる子もいた、という話になった時も「私は家に帰って、ピアノの先生の目がうちの木馬のように三角になっていたよと母に話してたわね(笑)」という対処法?を聞かせてくれました。こわかったクロイツアー先生に関しても「あれはこわいメソッドだったのね」と、客観的に、またなぜそうだったのかを分析して話されていて、そういう事にも気づかれるんだなあ、そこから違う、とまたまた驚かされました。

先生のレベルに届くものは何一つないけれど、先生のおっしゃっていた事を少しでも考えてピアノを弾こうと、思いました。室井先生がお弟子さんの発表会について「ヘタとか上手とかじゃないのよ」とおっしゃっていたのが印象的です。



今回の音楽会のスタッフ、キャストです。
           有り難うございました。


 

2013年7月8日月曜日

夢見るもの

ココシャネルの言葉に
「あなたがやった事よりあなたが何を夢見た人かが大事なの」
というのがあります。

なんていい言葉でしょう。ゴールよりプロセス!
今同じ状況にあっても夢見るものが違えばもうそれは違う人生です。
見るものによって進み方は自ずと変わって来ますし、逆に全く違う状況にあっても見ているものが同じだと同じ世界に住んでいるって気がします。

ところで、私は本当に雑でずぼらで適当なので誰にも完璧主義と言われる事はなく、完璧になる事は完璧に無理なんですけど、理想に近づきたいとはいつも思っています。
と言いつつ、自己弁明かもしれませんが、人間なので理想通りになれる訳がないとも思ってます。けれど、どうせなれない、どうせ出来ないって思ってしまうと、何もやる気がなくなるし、やる意味がなくなってしまいます。そしたら生きている意味もありません。逆説的ですが、完璧に理想通りに出来ないからこそ、そこに少しでも近づくことに意味があるって思うのです。その課程で見るもの、体験する事が人生だって。。。

人から見るとほんとに図太くて懲りない女です。よく言われるのが「強いね」です。でも
ほんとは充分傷ついているんです。相当落ち込みます。

でも私は夢を見るのが好きです。傷ついても、もう一度あきらめずに向かいます。何に?理想に。あまりにも理想から遠すぎるにも程があるので、その間にいっぱい恥をかく事は覚悟しないと!結果が出なくてもいつか結果は出ると信じて行う、それだけで今よりはマシだと思うのですが、いかがでしょう?

 
P.S 昨日の夜見た夢は旅行に行って帰って来たら室井先生のコンサートの日が過ぎていた、という恐怖のユメでした。




2013年7月1日月曜日

何のためにピアノを弾いていますか?

何のためにピアノを弾いているのか?と問われたとき
あなたはなんて答えますか?


私は大学2年の頃から人前でピアノを弾くのが怖くなりました。
本番の途中で、音を忘れてしまいました。
暗譜が難しいと思った事は一度もなかったのですが
もう今は暗譜が怖くて怖くてたまりません。
忘れてしまう事が怖くて、そして結果は恐れていた通り、、、。

生徒さんには「本番が実力です。出来ないなら簡単な曲を選ぶように」と言っていますが、簡単な曲でも忘れます。。(涙)


そこで今日も考えました。
「何のために、いつもうまくいかないピアノを人前で弾くのか?」

以前、自分へのチャレンジと書きましたが、なぜチャレンジをするのか。
先日千住明さんがおっしゃっていたことです。

「音楽は聴いてもらってはじめて命を持つ」

きっと私は自分の音楽に命を吹き込みたいのだと思います。ちいさななんの影響力も持たない音楽かもしれないけれど、自分の分身である音楽に命を吹き込んであげたい、、、。
そんな、気持ちがあるように思います。

聴いて下さる方に感動どころか心地よささえお届け出来ない私の音楽は、全くもってプロフェッショナルではありません。ピアノの先生であり、法人の代表であることに自負はあります。しかし、演奏家として、ど素人です。そんな自分が残念でなりません。

でも、、、納得のいくピアノを弾けることをあきらめたくない。好きなピアノをあきらめることは自分の分身を捨てるような気がして。だから人前で弾くことも、ひとり練習することも私は続けようと思います。


最初の質問、なんのためにピアノを弾いているか、の私の答えは
「自分を生かすため」なのかもしれません。