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2014年1月31日金曜日

受け入れるということ

生きやすくなるには、何かがどんどん出来るようになる事でもなければ、ナイーブさをなくして鈍感になることでもないと思っています。自分を受け入れることから始まると思っています。


でも受け入れるって大変です。難しいです。
自分を知らなきゃ出来ないし、そんな自分認めたくないし、どうしていいかわからずに途方に暮れちゃう、、、。第一、自分で認めたくない性質だったらどうしたらいんでしょう!しかもそれがまわりに迷惑だったら!まわりも幸せ、自分も幸せ。。。難しい。

けれど、自分を幸せに出来るのは自分だけ。自分の内側を受け入れるには、自分を知る事、何かを手放す事、自分を知るには失敗も必要、、失敗は自分を幸せにするためのもの。

私はそれをピアノでは好まずして学ばざるを得なかったけれど、それが人生にはいかせてない(笑)。
逆にピアノでは自分を受け入れていない(笑)方々も、人生では若いときからちゃんと自分を知って受け入れて颯爽としてらっしゃる方が大勢いる。

学ぶ事は難しいです。

2014年1月30日木曜日

小さなホールのコンサート

おはようございます。
いいお天気です。

ピアノはサロンや小さなホールでのコンサートがいいですね。
歌や室内楽も。

でも小さいホールでの開催は、お客さんが少ないのでやる側は採算が合いません。そうなると、マスコミ的で話題の、協賛や助成がつきやすい、大きいホールでのコンサートばかりになってしまいます。すばらしい音楽家はいっぱいいます。だけど、それをお伝えして来てもらうことすら出来ない。クラッシックの音楽家で演奏だけで生活出来る人はほんの一握り。

西洋音楽と言っても同じ地球の音楽。
アコースティック楽器の伝統と美しさも地球の宝。
心は万国共通。
これらを、たくさんの人に楽しんで頂き残してしていきたいです。

今日も良い日をお過ごし下さい。

2014年1月28日火曜日

適性

最近、遺伝子で何に向いているかわかる検査が開発されたそうです。
子供のときにその検査をすると、適性のある分野の勉強や習い事が効率的に出来るということです。


私は、子供の頃から学生時代まで努力が大嫌いでした。努力を嫌って努力家は馬鹿にしていました。しかし、私は音楽的な人間でないので、音楽は勉強しないと出来ません。ピアノは私にとってとても難しくて、努力を馬鹿にしていた私にも努力が必要でした。嫌々努力しました。でもそのうち嫌々でなくなりました。もしその頃、遺伝子の検査があったとしたら、音楽の適性もなく努力の素質もないという結果に、私が音楽を続けることも何かに努力することもなかったでしょうね。

今私が音楽の仕事をしているのは、いわば音楽の神様に対する恩返しです。私なんかよりずっと音楽が好きで適性もあった人が、時代や環境で音楽をすることが出来なかったと知ったから。私のような音楽の適性のない人間が、音楽が出来る環境に生まれ育ち、嫌い嫌いと言いながら好きになるまで続けて来れたから。私が音楽の仕事をすることで、あきらめていた人が音楽をやれたとか、音楽で人生が楽しくなったと思ってもらえるなら、私が音楽をやってきた意味があるし、私のように才能のない人間がこんなきれいな仕事をすることをゆるされると思ったのです。


思うに、本当の天才と言うのは、適性検査なんかしなくてもちゃんとたどり着く気がします。そして、秀でた適性がない凡人は、歳月をかけて、経験から得たものに、ようやく人生の価値を見いだしたりするものです。


2014年1月27日月曜日

ピアノをあきらめるかあきらめないか

ピアノはあきらめが必要でピアノはあきらめちゃダメなもの。


一見矛盾していますが矛盾していません。
また柑橘系で恐縮ですが、温州みかんはグレープフルーツになることはあきらめないといけません。でも今より少し大きくなること、甘くなること、美味しいと言って食べてもらえることはあきらめてはいけません。
そういうことです。

私がラフマニノフのピアノコンチェルト第2番を弾くことをあきらめられなかったら、人生真っ暗です。一生ストレスで苦しむと確信します。これをあきらめることとピアノをあきらめることは違います。これをあきらめるからこそ、ピアノが続けられるというものです。

あきらめるというと言葉が悪いですが、こだわりを捨てることです。
ピアニストのように弾きたい、あの曲を速くきれいに弾きたい。それが出来ないならもう意味がない、ピアノはやめよう、これがこだわりです。

私にもこだわりがずっとあって苦しみました。でも「人生で何を目指しているの?一流の人と同じことが出来なきゃ何もしないの?やめるの?だったら何も出来ないじゃない、あれをやってはやめてこれをやってはやめるの繰り返しだけ」と思うようになりました。

私のまわりにはピアノを専門的に勉強して、今も弾き続けている仲間がいっぱいいます。全員、ピアノに挫折を味わっています。全員です。全員ある何かをあきらめました。上手に弾くこと、あの曲を弾くこと、演奏家にはなること、音楽で食べていくこと、、、。でもピアノの先生としてボランティアとして、自分がピアノでできることを探求して、もっといい音楽をと、向上し続けています。ピアノはあきらめてはいません。

今の私で言えば、ラフマニノフの2番なんてとっくにあきらめている。でも今より半歩先に進むことはあきらめない。そうやっていけば、きっと今よりは上手になる、と夢を持っています。もう少し年を取ったら、半歩先でなく今のままをキープすること、が夢になり、もう少し年を取ったらピアノに座れるだけでいいとなるでしょう。

あきらめないけどあきらめる。あきらめるけどあきらめない。
絶妙なバランスで続けていきます。


2014年1月26日日曜日

別の何かになろうとして、、、

もし時間が戻るなら何がしたいかと言えば、早い時期に自分を受け入れることをしたいです。


今はもう開き直ってますが、ずっと別の自分になりたくて、無理をしていた時期がありました。ちゃんとした人になろうとしました。でも、私がそこを目指すにはものすごく無理があって、「たぶんきちんとした人はこうするだろう」事をやると、逆にまわりに迷惑をかける上、自分も面白くない上、どうも本当にきちんとした人はそうしない上、結果は最悪になりました。
関わった方々に謝ってまわりたいです。今それらのことを思い出すと、普通に私のままでやったほうがまだマシだったと思われます。

今も別の性質の人への憧れが大きくあります。でも何か別のものになろうとしても無理だとわかりました。小さな温州みかんが少し小さな温州みかんに育つことはあるかもしれない、もう少しだけ甘い温州みかんにならなれるかもしれない。けれど、似て非なるグレープフルーツになることは出来ないんですよね。
別の何かになろうとするのは、自分もまわりもずいぶん傷つけます。

今は、こんな自分も悪くないじゃん、と思えるようになりました。もちろん日々反省と後悔は巡りますが、それも含めて悪くないです。まあまあです。たぶん上々です。


無理をしない自分が心地よいです。





2014年1月24日金曜日

指導法セミナー

講師セミナーがたくさんある昨今、指導法は色々なところで学べるようになりました。
私も時々参加しています。ご参加の先生たちは皆熱心で、この仕事が大好きで生徒さん思いなのが良くわかります。

しかし、2時間や何時間かのセミナーはあくまで「気づき」を与えてくれる場、そこで知った事は、知識でも技術でもありません。自分はこんな事も知らないで教えていたんだとか、時代は変わって来ているんだとか、あるいは、この先生とは違う、とか気づくだけです。そこから勉強を続けないと、単なるレッスンのネタ探しになって、あっちに行ってはこっちを忘れるという、使い捨てになってしまいます。それが習慣になると矛盾さえ生まれます。

また、それぞれの先生が持論を展開しているので、正しいというわけではありません。そもそも1回やそこらでその先生のすべてを把握出来るものではありません。

自分で気づき、考え、自分の時間を継続してかけるようにしないと。
たまのたった2時間でどうにかしようとしてはいけません(笑)。

こんなことを言うと、頼りないかもしれませんが、私もいまだに悩み迷ってのピアノ指導です。奏法同様、人によって手によって時代によって合うものは違うのでしょう。

私はピアノは弾くだけでなく、音楽や芸術の面白さや奥深さを知るきっかけにして欲しいと思っています。特に大人の方はピアノを弾く限界に敏感ですから、上手に弾くことから離れ、ピアノをはじめたら世界が広がって人生が豊かになった、と考えてもらいたいと思っています。これからも試行錯誤していきます。

2014年1月22日水曜日

いきがい

ピアノサークルの方の平均年齢は70歳を超えています。寒さで年末から体調を崩される方が多く、お一人が脳梗塞で倒れられ、左手が動かなくなってしまいました。またお一人の方は、転んだ拍子に腕を複雑骨折して手術をしました。リハビリに1年かかるそうです。ガンや心臓の手術を今月来月に控えている方が4名います。


今、ピアノを弾こうと思えば弾ける平和があって

健康であること。

そんなことに感謝しないでもいい毎日を送れていること。


「下手でもピアノがいきがいなんです。絶対またピアノを弾きたい。ピアノに戻れるよう頑張ります」と言って下さるお気持ちに、胸がいっぱいになります。
脳梗塞や心筋梗塞、ガンを乗り越え続けて下さっている方は何人もいらっしゃいます。いきがいを持つ人生は強いです。

冷え込む夜のお出かけ充分にご注意ください。








あがっても弾ける

あがっても弾けるのはあがっても弾けるテクニックが必要ですと書きましたが、それってなんですか?というご質問をいただきました。


横山幸雄さんのレッスンでは「緊張しちゃって、、」と言うと音大生でも「テクニック不足ですね」とやさしく言われるそうです。あがって弾けないのは、集中力の問題もありますが、それ以前に、頭を使わなくても指が動くところまでいってない、指がコントロール出来ていないという、テクニック不足が大きな原因のようです。

大人の方は、理解力がありすぎて、頭でピアノを弾いてしまいます。
理屈で難しい楽譜を読めてしまうので、それを弾けたと勘違いしているのです。本当は指や体やそれを繋ぐ脳の回路が追いついていなくて弾けていないのです。だから、本番で頭が真っ白になると、体が覚えていない事は出来なくなるのです。

ではそのテクニックはどうやって付けるかと言うと、先日、角先生のコンサートでも言って下さっていましたが、何よりまずは『指に意識を向ける』こと。意識する、というのは、目で見てソの鍵盤を押すのではなく、鍵盤を見ずに、今自分の4番の指はソの音を弾いている、と指の感覚でわかる事、そしてそれを耳で聴く事です。
「4と5のへんのここらへんが弾けない」ではなく、「4が遅れて5が少し早く入っちゃう」「4が少し弱くなって5はそれよりまた少し弱くなっている」まで聴き取ることです。ここまでわかるよう指に意識を向ける。耳をすます。

「そんな事してたらいつまでたっても曲にならない!」その通りです。だから弾けないのです。いつもフィギュアのたとえで恐縮ですが、フィギュアならプロのプログラムを「ちょっと素人なんですが」と言ってまねして滑ったり出来ないですよね?
でもたいていの方が、ピアノは譜読みが出来る=弾ける、と思ってそれをやっているのです。だから悔しくなるのです。ヴァイオリンだったら音が作れないので、弾けてない事がわかりやすいのですが、、。

それを克服したければ1万時間(出た)やるか、それが出来ないなら、ここが重要です。あきらめる事です。
 
 1、本番で練習通りに弾ける事を。

 2、弾きたい曲を弾く事を。

 3、弾きたいように弾ける事を。

 4、本番で震えちゃう事を。

 5、本番後落ち込む事を。


プロじゃないんだから、これくらいあきらめないと。
特に、5番目は大事です。失敗して落ち込んでも『そりゃそうだ』と思える強さと気楽さです。

こう言いつつそれでもあきらめきれない方は、とりあえず、自分には簡単過ぎると思っている曲を、人前で弾いて行くといいと思います。それでも震えたらもっと簡単な曲。震えても弾けたらそこからすこしづつ難しくして行く。メトロノームの針を1つずつ下げるように。

あきらめるという言葉を使いましたが、正しくは受け入れることです。受け入れない事には堂々巡りです。言っておきますが、ピアノがらくらく弾けるのは才能です。才能のない並の人間にそれは出来ないことなんです。うちの会では偽装せずピアノは難しいと真実を正直に堂々と謳っています。
でも天才は天才で大変だと思いますよ、天才に生まれてないんでわかりませんけど。
そんなことより、天才じゃないのに音楽を奏でられる楽しみを知っているって、私たち、天才以上にいい人生送ってます。そこそこであきらめていいなんて、天才に知れたら羨ましがられちゃいます。






2014年1月19日日曜日

自分と他人のピアノの幸せ

上手になりたい理由はなんでしょう?
始めるときはあの曲が弾けるようになりたい、という動機ですが、そのあと何が待っていますか?その曲が弾けた、その先に待っているのもはなんですか?


英語問題集1巻を終えたら2巻に進む喜びを、知らず知らずピアノに求めている方はけっこう多いものです。知識欲はそれはそれで素晴らしいです。それもモチベーションに繋がります。けれど、いつの間にか、進む事が目的になって、実際は外人に道を聞かれても答えられない自分。。。4巻まで進んでるのに!?なんてことも。



先日、ピアノサークルのグループレッスンをしながら、「グループは、個人レッスンのように時間は自由じゃないし、好きな曲を見てもらう時間も圧倒的に少ないけれど、お仲間のまだ未完成のピアノをみんなが聴いて、自分の未完成のピアノをみんなに聴かれて、それを楽しんでいる。これこそが、上手に弾ける先にあるものなんだ」と、改めて確信しました。

私は、音楽には英語問題集全10巻制覇だけではない楽しみを見つけて欲しいです。それは音楽には人を楽しませる力があるからです。レベルは関係ありません。1巻でもいいんです。小学生が一番スゴいシールを「見せてあげる!」と見せてくれた時、すごい幸せになります。「こんなスゴいシール????」って超!嬉しくなります。

芸術というと難しく捉えられますが、芸術とは他人を喜ばせる、そこだと思います。弾けるようになって自分がどうかだけではなく、人も楽しませただろうか、ということも忘れずにいると、出来なくてもきっと違うんだと思います。

そうすると、『弾けるようになったらさぞ自分は幸せになるだろう」という呪縛からも抜け出せます。なんか、ピアノというツールを使って皆と今を楽しんでいる、それを楽しむために練習している、そんなのがすごくいいです。





2014年1月18日土曜日

教育とは

「教育とは、可能性をつくってあげること」


今日、室井摩耶子先生の門下生コンサートに伺い、先生がおっしゃった言葉です。
室井先生のお弟子さんはどんな特徴があるのかなあ、と思って聴いたらビックリ!全員違うんです!まったく!

お弟子さんと言っても、若かりし日の生徒さんで、それぞれが音楽の世界でご活躍されている方々。選曲から弾き方から表現も奏法すら違う!
こんな門下コンサートは初めてでした。

昨日、わが会のピアノの先生と話してたら、その先生が「子供がピアノを習う意味ってなんでしょう?もちろんピアノは楽しいけれど、楽譜が読める、ピアノが弾けるって、社会では関係ない。それよりもっと身近なのは、音程がちゃんと取れてリズムが取れてカラオケがじょうずに歌えるって事だったり、、、」とおっしゃってて、はっとしました。

私は常々子供の生徒には、ピアノが弾きたくなった時弾けるよう基礎を身に付けさせたい、という考えがあります。でも、もっともっと広い意味では、将来ピアノを全く弾かなくても、例えばピアノのない紛争地帯に行っても役に立つ「もの」があるのかも。。。


可能性とは選択肢をたくさん用意しておくことです。これが大事ということにあまり固執してしまうと、知らない間に選択肢が狭まってしまうかもしれません。考えてみたら、私は人の選択に口出しするタイプでした。特に食べ物。

せめて音楽では、押し付けることなく、可能性を広げてあげられるよう、心と視野を広く持ちたいものです。視野の狭まりには重々気をつけます。注意してもらって構いません。


今日の室井先生のハイドンはそれはそれは素晴らしかったです。
ハイドンが大好きになりました。




2014年1月17日金曜日

角聖子ピアノ&トークコンサート ご報告

昨日コンサート無事終了しました。
お越し下さいました皆様、いかがでしたでしょうか?


「表現が明るかった。弾く人で同じ曲がこんなに印象が変わるとは思わなかった」「ピアノの音色がまろやかって言うのはこういう事なのかと思った」「プログラムがよかった」「今の自分にぴったりのレッスンのお話だった」などなど、ご感想いただいております。「もう少し曲の解説をして欲しかった」というのもありました。

私が「そうなんだった、、、」と思ったのは「ピアノは楽しく弾かなきゃ。戦いを挑んじゃダメ」というお話。コンサート後に先生としたお話では、そこに「聴いてる人を楽しませる!」が加わります。自分が楽しく弾いて、人を楽しませる。
私の大好きなやなせたかしさんは「生きていて一番の喜びは喜んでもらう事」とおっしゃってました。

自分が犠牲になって他人に喜んでもらう。
自分の喜びのために他人を犠牲にする。
これはどちらもアウト。
自分も喜ぶ、他人も喜ぶ、これでしょう。
この当たり前の事がピアノでは見失いがちです。
「そうなんだったんだ、、、」と再び改めて思い知りました。

自分の弾くピアノが、自分を、他人を幸せにする。。

目指します!!









2014年1月15日水曜日

指が要因

先日、角先生がブログに「譜読みが遅い&ミスタッチが多い…等々の問題から、本番でわけわからなくなる…なんて事まで、実は【指】が要因になっている場合が多い!」と書かれていました。

本番もばっちり弾くピアニストの方々が口を揃えて言うのは「あがって弾けない」のは「テクニックがないだけ」。
あがらないようにするにはどうしたらいいか、はないんですね。あがっても弾けるテクニックをつけるのみ!

明日は角先生のコンサートです。こんなお話も聴けるかな〜?

チケットまだ10枚くらいあります。ご都合合う方は是非いらして下さい。
お問い合わせ  042-316-4250 一般社団法人はじめてピアノの会
コンサート詳細は http://www.hajimetepiano.org 

2014年1月14日火曜日

独学のたのしみ

独学のたのしみは、好き勝手に出来る事に尽きますね。


自分がどんな感性を持っているかは、教えてもらうばかりではわかりません。
また、自分の体に合ったやり方も独学で発見出来るかもしれません。
前に室井摩耶子先生が「日本人は先生に言われた事をやるのは上手だけど、好きなように弾くのが苦手。ここがヨーロッパの音楽家との大きな違い」と言っていました。

原則はきちんとレッスンで学んだ方がいいけれど、なんでも教えてもらってからやる事が習慣になってしまうと、それはそれで悪影響です。『考える』『感じる』ことが出来なくなってしまいます。

建築では当然基礎がしっかりしていないといけませんが、その上に建っている建物がみな同じというわけではありません。しっかり設計されている個性的な建物はたくさんあります。

音楽は目に見えませんが、でも基礎を徹底的に学ぶのは、その上に音楽性を乗せるためです。基礎を大事にするのが第一ですが、でも自分で考え創り出す力もなくさないで下さい。


ただ、間違いを指摘する人がいないという事は、これでいい、これがいい、自分が世界、世界は自分、となり、まかり間違うと、聞き苦しい音楽になっている場合があります。悪く言うとやりっ放しです。音楽は心地よい癒しにもなれば騒音にもなります。

独学の落とし穴は音が聴けなくなる事でしょう。独学の方こそ、発表の場をきちんと設けて、自分の音楽に客観的に耳を傾けることを忘れないでくださいね。



2014年1月13日月曜日

ブレる!

ピアノ奏法は、歴史的にいろいろ変わったというお話を以前しました。
これは楽器の歴史にも関係しているようですが、楽器演奏が、人間の未知の部分だったというのもあると思います。

人間の体って人間である自分でもわからないです。なので、ピアノ奏法も、体に無理を強いて始めてわかってきた歴史があるのだと思います。

そこには『これが正しい、やれ』と言われ続け、人生台無しにされた人々がいっぱいいるわけです。その方々のおかげで、文明というものは進んで行きます。犠牲者多いですね。
文明が進む際、必要だったのが、ブレた者または正統な教育を受けていない者だったと思うんです。

「言われた通りやると手痛くなるけど?」
「機械で指伸ばした人ってピアノ弾けなくなってるけど?」
と、自分の感情に従い、体に従い、先生を疑い、歴史を疑う。あるいはそれを知らない。

一見、悪い事のようですが、私はこの「ブレる」って人生の他の場面でもけっこう大事だと思うんです。わたしは壁にぶつかると、すかさずブレて身の安全を確保してきました。ブレがとっても人生の役に立っています。ハッキリ言って長所です。ブレる技術です。
私もいつウツになるかわかりませんが、手の故障も心の故障も、もうすこしブレると防げるかもしれません。

「あの人はブレない」は、褒め言葉として使われますが、私は褒められなくても、だんぜんブレる生き方を選びます。
ブレるのは、いい加減だからではないのです。私はご存知のようにとても真面目なので、
「熟考した結果、こうではなくああです」と言ってブレています。言い訳にしか聞こえませんが、言い訳ではありません。
そしてまた、熟考した結果「ああではなく、こうでした」と言動を替えることも言い訳ではありません。

なんだか言い訳三昧になってしまいましたが、ピアノの先生が言う事も、本に書いてある事も上達の近道である事に変りありません。けれど、一番大事なのは、自分の心と体の声を聞く事です。そして、普段から本を読んだりたくさんの人の話を聞き、反対意見も知っておく、それと同時に自分の感性を磨くことを行い、尊敬できるのは、なりたいのはどんなものか、を選べる自分にしておくことです。

一度逆にブレて戻ってくるのも悪くありません。






2014年1月12日日曜日

フィギュアとピアノ

ピアノの先生が「世界一流の選手が本番で転ぶってフィギュアってどれほど難しいのかと思う。ピアノも難しいけれど、転倒はないよね」と言ってました。


世の中には難しいことがたくさんあります。
でも、一流の方のを見てるとそんなに難しく感じないんですね。自然すぎて。そして自分もやってみたくなる。やらないうちは、1と100くらいの差はあるだろうなとは予想はしていますが、やってみると0.005と1000000位の違いがあることがわかります(笑)。

以前、プロの芸術は技術の上に成り立つと書きましたが、浅田真央ちゃんのスケートは、今までの選手や現在の選手の中でも際立ったジャンプ、スケーティングの技術の上に、個性のある表現力と魅力が乗っていて、ほかにライバルがいるようには思えませんでしたが、でもバンクーバーでは優勝出来ませんでした。

私はフィギュアはズブの素人だし、スポーツなのでピアノとは違うのかもしれませんが、ピアノコンクールでは、審査員の好みなんかも大いに関係してくるので、上手く演奏出来ても結果が伴わず、コンクールをやめていく人がたくさんいます。フィギュアも審判の好みとか関係あるのでしょうか?

しかしこのオリンピックのあと。真央ちゃんは、自分を省みて基礎からやり直しました。
スキをすべて埋めるべく。あんなに誰よりも出来ているのに?です。一流の謙虚さです。一流の勇気です。私だったら「どこ見てんの?やってらんない」と怒ってやめると思います。出来ることをアピールするのではなく、出来ない事を受け止めて努力する。黙って。


別に私のためにやってくれているわけではないけれど(当然)、そんな風に一所懸命生きている方がいるってだけで、本当にたくさん、感動をもらいます。かっこいいです。



2014年1月10日金曜日

甘い期待

昨日のブログに
「それでもいつか(弾ける)かと甘い期待をしてしまう」というせつないご感想いただきました。

その期待がやはり人を成長させるのだと思います。
理想と夢を持つから続けられるのです。

でも、そこにたどり着けないとわかったとたんやめる事だけは無いように。。
たどり着く事より、たどり着く途中のプロセスを楽しめるといいです。
なぜなら芸術にはたどり着く終点などないのですから。

すこしでも上達するように、
そして、年を重ねて来たらすこしでも退化が遅くなるように、
出来る範囲でピアノを続け、楽しんで下さい。





2014年1月8日水曜日

素人の、技術より表現ってどういう事ですか?

年末、ブログの内容にタイトルのご質問いただきました。

(こちらのブログhttps://www.blogger.com/blogger.g?blogID=130771376070540689#editor/target=post;postID=5446226873227794023;onPublishedMenu=posts;onClosedMenu=posts;postNum=15;src=postname)

お答えが遅くなりすみません。


表現と技術の話をすると、かなり厳しい事を言わなくてはいけないので、覚悟して下さい。厳しい話はごめんという方は読まないで下さいね。ピアノは厳しくなくても楽しめますから。そもそも他人に厳しいことを言うわりに自分に甘い私ですので。


ショパンの「子犬のワルツ」だったら、ということでしたので、そちらを例にしてみます。

「子犬のワルツ」はショパンの付けた題名ではありませんが、子犬が小さな尻尾をくるくる回してじゃれて走っているようなかわいい曲です。


1、テンポが速い 
右手の指がまわる事は勿論ですが、もっと必要なのが左手の速さ。5番から飛んで和音をばしっと取る左手の瞬発力が必要です。

2、拍子
3拍子です。が、1小節を1拍に取る4拍子でもあります。

3、バランス
右メロディが浮き立つ。左は右より小さい。しかし左の1、2、3拍のバランス、性質を変えることで曲が成立つ。

4、アーティキュレーション(曲想、表現)
3部形式。速いと言いつつ、その箇所その箇所で緩急がついていて遅い部分もある。3拍子でありながら4小節単位のフレーズを感じる。また、強い弱いも急にではなくいかにも自然に。メトロノームとぴったり合うような弾き方は最悪。やりすぎるのは変、注意。


これでもプロの演奏には全然足りません。これらが最低出来るかどうかがこの曲を弾けるかどうか、です。アマチュアにはなかなか難しいですね。なので、「速く弾けないからゆっくり弾く」「アーティキュレーションはつけない」「弾けるとこは速く、むずかしいところはゆっくり」など、ついついやりがちです。

でも、この曲なら「駆け回っている感じ」だけは捨ててはいけないので、テンポが遅いとか左手がまごまごしちゃうとかだと「技術を表現でカバー」出来ない問題になります。
自分で出来ない部分が、音楽として果たして妥協していい部分かどうか、その曲の致命傷にならないか、判断してください。


まずは、<致命傷=小走り程度にも聴こえない、という方>

残念ですが、原曲でこの曲を弾く事はあきらめて下さい。子犬でなくても走ってもらいたい曲です。好きだからという理由で弾けるなら苦労しません。私もラフマニノフのピアノコンチェルト第2番が大好きで全楽章原曲で弾きたいです。でも希望と現実は違います。どんなに溢れんばかりのその曲への愛を持っていても技術がなければ弾けません。残念です。そんなもんです。

そしたら

1、原曲でなく、子犬のワルツのアレンジを、この曲らしく駆け回ってる感じで弾く

2、子犬のワルツは鑑賞用と決め、自分の指が動く別の曲を探し、その曲らしさを大事に弾く


のどちらかになりますね。

上記1については、作曲家に敬意を払って原曲を弾くことはとても大事ですし、それを弾きたいのも山々ですが、それはプロだから出来る事です。プロはこれらが出来るために、たどり着くまでに、ものすごい努力をしています。だからこそ、これらのことが出来るのです。最低基礎練習1万時間です。ほんとのことです。浅田真央ちゃんの4分のプログラムを素人が転びながら30分かけて滑ろうとは思わないですよね。それより、ジャンプをなくして1分間、流れるように滑った方がいいのは誰でもわかります。ピアノも一緒です。

アレンジものは本物と全然違うのが不満です。でもそこをいわゆる「技術ではなく表現力」でカバーするのです。音符が少なくなると、駆け回ってる感じがしない、と考えるのは浅はかです。指の事を気にしないでいい分、弾き方で拍子感やフレーズ感が出しやすくなるし、左右のバランスを聴く余裕も出てくるはずです。また全体の速くなったり遅くなったりが耳を使えればやりやすくなるはずです。先生に弾いて頂くといいと思います。そして少ない音数でどれだけこの曲らしさが出せるかやってみて下さい。イメージの作り方については下にもう少し詳しく書きます。私もラフマニノフのコンチェルトはピアノ連弾にアレンジしてあるものをイメージたっぷりに膨らませて友人と弾きました。楽しかったです。


2、については、有名な曲じゃないと譜読みが大変だったり、弾く気がしないという方がとても多いです。大人の方はほとんどと言っていいかもしれません。でも今はユーチューブなどもあるし、先生にお手本を弾いてもらえばいいし、食わず嫌いをせず「小さな原曲」にチャレンジして欲しいものです。有名曲にはいわゆる当時の販売戦略などで「名の知れたいい曲」になったものもあります。

たとえばソプラノ歌手はどんなに好きな曲でもアルト歌手の歌は原曲で歌えません。ピアノも好きなものでなく、まずは自分に合ったもの、出来るものの中から選ぶ事が、なにより自由に表現出来る条件です。技術より表現、を実践するには、必死に何の音を弾く、という事から離れることから始まります。また自分を知り、受け入れる事でもあります。




次に、<指はある程度は動くけど、プロのようには弾けない、という方>

いちおう弾けているけど、音がムラになったり、滑ってしまったりする方です。つまり一応「小走りくらいでは弾けている」場合です。ここは先生に判断して頂いた方がいいですね。自分で自分の音が聴けていない場合がありますから。

そんな方は、ズバリ出来ない技術には『目をつぶる』。(なにしろそれを直すには1万時間必要ですから)。そしていわゆる「技術ではなく表現」で聴かせるために、なんちゃってでもいいのでこの曲の物語を制作するのです。上で述べたイメージの作り方です。

ショパンが何歳くらいの時、誰のために作ったとか、どんな気持ちで作ったとか調べられる事は調べる。先に書いたように、『子犬』はショパンの付けた題名ではないので、本当は子犬ではなくていいのです。あとはもう自分なりに曲を分析します。子犬が何匹とか、ほんとうは子犬は出てこなくて、ショパンの若い日の回想が走馬灯のようにめぐってるとか、もしかして舞踏会を初めて見てテンション上がったあの日のショパンとか、この際自分の物語にして、デートの日に寝坊して慌てて準備して、行こうと思ったらあ〜あれを忘れた、でもちゃんと間に合ってよかった、曲とか。

そうすると、「ここであわてて起きた!」とか、「探し物が見つかってほっとした」とか、「恋人の顔を浮かべて弾んでる」とか、緩急をつけて、強弱もつけて、間を取って、場面が変わって、弾いていて情景が浮かぶようになります。ミスタッチでも楽しいですね。

3部形式を意識して、仮の物語皆様も考えてみて下さい。

アマチュアは正しさは求めなくていいのです。これがアマチュアの最大の特権です。アマチュアピアニストの方って、それはそれは素晴らしいと思います。でも、プロのように弾けなければ楽しくない、と思った時点で終わりです。失敗しても「へへっ、やっぱり難しいな〜」くらいの気持ちを持つ事です。繰り返しますが、技術で成功するには1万時間ですから。


答えになっていたでしょうか?
また気づいた事は補足していきます。この辺をもっと、というのがあればまたお尋ねください。






















2014年1月6日月曜日

おまけ

人間、一つ大切な事があったらそれで生きていけます。自分が大切というのが一番手っ取り早いです(笑)。


あとはおまけ。
が、どうしてどうして。おまけの方が魅力的なのがこの世の中。

そしておまけだと、そんなに期待もしないし欲もかかないし、不安も恐れもほとんどありません。結果的におまけはかなり自分のため人のためになります。

ピアノや音楽、芸術ってどんなに命がけでやっても人生ではおまけ。
なくても死なない。
でも戦争のときでも無くならなかった。

大切な事や大切なものを思う気持ちを支えてくれるものは、けっこうおまけだったりするのかもしれません。
私の存在も人生もおまけみたいなもの。
おまけとして誰かの何かのお役に立てればいいなと思います。







2014年1月5日日曜日

後悔するのが人生

年のはじめなので人生についても語ってみます。


「後悔しないように生きたい」と若い頃は大声で言っていました。気恥ずかしいです。
今は後悔してなんぼだと思っています。


あまりにも後悔が多いので、後悔するのが人生だから後悔はしかたないもの、と思うようになりました。いつでも自分にとてもやさしい性格です。余談ですが、ごはんも自分で作ったものが大好きです。人に作ってもらうお料理も美味しいのですが、それは作って下さる方の愛で美味しさがアップしているからで、自分で作ったものは愛を差し引いても美味しい感じです。その日の自分にあったものを好きにつくれるからでしょうか。老後、老人福祉施設でプロの方が作ったバランスの良いお食事を毎日食べられるか、今から心配しています。

人生に話を戻すと、後悔する事をしてしまったら、もう取り返しはつかないけれど、せめてそのまっただ中で出来る事を探し、おとしまえだけは付けよう、と思っています。わかってもなかなか出来ない事も多いです。でもこの時、だからこそ出来る事をする。難しい事も「そうしてみよう」と覚悟する。覚悟する事で、引き換えに自分を赦せるのかもしれません。でないと後悔した甲斐がありません。人生後悔したままじゃ、自分がかわいそうですから。
どこまでも自分にはやさしい性格です。




2014年1月4日土曜日

訂正

大晦日に書いたブログの回数が間違っていました。。

私は考えられないほど「数」にこだわりがありません。こう言うと聞こえがいいのですが、実は人生に置ける数字を覚えていられないのです。いつ何があった、という大事な事すら覚えられません。。トランプの神経衰弱などはうっとおしいくらいノリノリで覚えるんですが、出来事、しかも年単位になると難しすぎて何年前とか数えられません。病気でしょうか?

そういうわけで、回数間違えているみたいなので訂正しておきます。たぶん今日で107回くらいだと思われます。数字も弱いのですが、筋道立てることも弱いので、断定しないでおきます。一般的に、これでは信用なくしますよね。私、物事軽んじているわけではないし、悪い人でもないのですが、数字をはっきりさせる事がとても苦手です。よくピアノが続いています。

2014年1月3日金曜日

神について

年のはじめなので神を語ってみます。


文句を言ったり人のせいにしたり、昔の事を掘り起こして暗くなったり、未来の事を怖がって不安になったりするのは、幸せから遠ざかると言われています。

私は俗っぽく欲深い事が大好きです。
ドラマを見て昔の事と重ね合わせて暗くなって思い出し泣きしたり、
先の事で不安でいっぱいになったり、
わざわざちょっと文句を言ってみたり、
もう日常茶飯事です。

でも私は、神様は心が広いので、上記行動くらいで人を不幸にはしないだろうと信用しています。

私は自分が眠れなくなるほど人を恨んだり、食べられなくなるほど将来を案じたりする事はしません。相手を陥れるような策略もしません。心が広いからでなく、自分が疲れることは基本しません。私は人にはある程度やさしい性格ですが、自分にはもっとやさしい性格です。

自分を不幸にするのは、神様ではなく自分の気がします。自分にやさしいのは神様がやさしいのと一緒です。とても都合がいいです。







2014年1月2日木曜日

明けましておめでとうございます

今年の目標は1歩だけ進む。


ペイフォワード、というのがあるそうです。
与えていただいたご恩をその方でなく別の人へ送る。

支え励ましていただいた感謝を人から人へ送ってゆけたらいいなと思います。
音楽と芸術で皆様の人生がすこしでも明るくなるよう
その喜びが一人でも多くの方に伝わるよう
ちょっとずつ形にしていきます。


どうかあたたかく見守って下さい。

未熟者ですが、今年も宜しくお願いします。