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2014年1月28日火曜日

適性

最近、遺伝子で何に向いているかわかる検査が開発されたそうです。
子供のときにその検査をすると、適性のある分野の勉強や習い事が効率的に出来るということです。


私は、子供の頃から学生時代まで努力が大嫌いでした。努力を嫌って努力家は馬鹿にしていました。しかし、私は音楽的な人間でないので、音楽は勉強しないと出来ません。ピアノは私にとってとても難しくて、努力を馬鹿にしていた私にも努力が必要でした。嫌々努力しました。でもそのうち嫌々でなくなりました。もしその頃、遺伝子の検査があったとしたら、音楽の適性もなく努力の素質もないという結果に、私が音楽を続けることも何かに努力することもなかったでしょうね。

今私が音楽の仕事をしているのは、いわば音楽の神様に対する恩返しです。私なんかよりずっと音楽が好きで適性もあった人が、時代や環境で音楽をすることが出来なかったと知ったから。私のような音楽の適性のない人間が、音楽が出来る環境に生まれ育ち、嫌い嫌いと言いながら好きになるまで続けて来れたから。私が音楽の仕事をすることで、あきらめていた人が音楽をやれたとか、音楽で人生が楽しくなったと思ってもらえるなら、私が音楽をやってきた意味があるし、私のように才能のない人間がこんなきれいな仕事をすることをゆるされると思ったのです。


思うに、本当の天才と言うのは、適性検査なんかしなくてもちゃんとたどり着く気がします。そして、秀でた適性がない凡人は、歳月をかけて、経験から得たものに、ようやく人生の価値を見いだしたりするものです。


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