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2014年1月27日月曜日

ピアノをあきらめるかあきらめないか

ピアノはあきらめが必要でピアノはあきらめちゃダメなもの。


一見矛盾していますが矛盾していません。
また柑橘系で恐縮ですが、温州みかんはグレープフルーツになることはあきらめないといけません。でも今より少し大きくなること、甘くなること、美味しいと言って食べてもらえることはあきらめてはいけません。
そういうことです。

私がラフマニノフのピアノコンチェルト第2番を弾くことをあきらめられなかったら、人生真っ暗です。一生ストレスで苦しむと確信します。これをあきらめることとピアノをあきらめることは違います。これをあきらめるからこそ、ピアノが続けられるというものです。

あきらめるというと言葉が悪いですが、こだわりを捨てることです。
ピアニストのように弾きたい、あの曲を速くきれいに弾きたい。それが出来ないならもう意味がない、ピアノはやめよう、これがこだわりです。

私にもこだわりがずっとあって苦しみました。でも「人生で何を目指しているの?一流の人と同じことが出来なきゃ何もしないの?やめるの?だったら何も出来ないじゃない、あれをやってはやめてこれをやってはやめるの繰り返しだけ」と思うようになりました。

私のまわりにはピアノを専門的に勉強して、今も弾き続けている仲間がいっぱいいます。全員、ピアノに挫折を味わっています。全員です。全員ある何かをあきらめました。上手に弾くこと、あの曲を弾くこと、演奏家にはなること、音楽で食べていくこと、、、。でもピアノの先生としてボランティアとして、自分がピアノでできることを探求して、もっといい音楽をと、向上し続けています。ピアノはあきらめてはいません。

今の私で言えば、ラフマニノフの2番なんてとっくにあきらめている。でも今より半歩先に進むことはあきらめない。そうやっていけば、きっと今よりは上手になる、と夢を持っています。もう少し年を取ったら、半歩先でなく今のままをキープすること、が夢になり、もう少し年を取ったらピアノに座れるだけでいいとなるでしょう。

あきらめないけどあきらめる。あきらめるけどあきらめない。
絶妙なバランスで続けていきます。


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