ページ

Google+ Followers

2014年2月28日金曜日

情報判断

ある映画で新興宗教の集まりで同じ歌を皆で歌うというのがありました。

そこに来る人は必ずしもその宗教の信者ではありません。その場所に誘われて来た人達がなんとなく一緒に歌う。すると人の声と声とが共鳴し合い、それが心の共感となり、その共感が気持ちを高揚させ、そこに集った人はみな「ともだち」になってしまう。

あ〜こわい。
「音楽っていいわね」という事自体がそこでは利用されています。音楽にはその力があります。共感の力とは音楽の真髄ハーモニーですから。有名な歴史的独裁者は楽器を奏でたり、特定の音楽家を支持していました。情報操作は人間には免れません。音楽の力も想像以上です。

正しいか正しくないかではなく、人は大きい声の人の方へ自然に流されてしまいます。私は政治は勉強してもわからなそうでよく知りません。けれど、政治なんて大げさな事じゃなくても、情報操作はあらゆるところでされています。

操作されたくないけど自然に操作されている自分。
情報判断の前に、気づく事すら至難の業です。






2014年2月25日火曜日

修行

卒業後、ヤマハシステム講師と「音楽幼稚園」「音楽学院」という3カ所での音楽講師を掛け持ちしていました。

一番大変だったのが、「音楽幼稚園」でのリトミックやピアノ個人、鼓笛隊指導。
先輩が妥協をゆるさない、そして教えてもらえない(涙)。
妥協をゆるしてもらって教えてもらおうって時点で甘いんですが。
指導案を考え即興演奏を練習する日々。子供にやってみても反応がいまいちだったり、先輩に「これの目的は?何が習得出来る?」と質問されしどろもどろ。何も考えてません、書いてあったのまねしただけです、みたいな。。30分の小学生くらいの音楽劇のオーケストラの音源を渡され、3日で、音楽幼稚園として感嘆されるべく+園児に演奏可能なアレンジにして+パート分けして+パートごとのデモテープを作っていく、もちろん家に帰ってから。鼓笛隊の行進とその音楽を1週間で作る、もちろん仕事後。などなど、ほんとうに泣きました、、、。やっと作っていったものは「こんな変なの出来ない」と笑われ、やり直し。どうやればいいか聞くと「自分で考えて」と言われ、毎日がイジメに思えました。

そんな中、支えになったのは小さな生徒さんやご父兄の方。応援して励まして下さった事は一生忘れません。今の私があるのも、あの時挫けなかったのもその方々のおかげです。

が、今考えると、その先輩講師さんのレッスンはとても内容が濃くて、あれだけのものをお一人で作っていらしたのだから、そう言われても仕方ありませんでした。あのときに自分で調べて自分で考えること、それを短時間でまたはその場で作り上げることを学びました。私ごときでも人間やればそれくらいは出来るようになると今は思います。


修行のときは辛いけれど、見ていてくれる人は必ずいることを思い出して、誠意を持ってやって行こうと思います。

2014年2月20日木曜日

情報操作

自分で考えているつもりでもほとんどが操作されています。

自分の好みで選んで食べているようで、生まれたときから家庭環境どころか日本に、この時代に生まれた、というところで好みは限定されています。

倫理観と言っても、日本の法律の中で培われちゃってます。

そもそも日本語を選択もせずにしゃべっています。

私はすぐ偉そうに「自分の考えが云々、、」などと語ってしまいますが、99%この時代に操作された自分です。今の時代に生まれて幸せだったと思いますが、他の時代だったらそれはそれでそう思ったのかもしれません。

政治がどんどん動いているこんにち、「私は賛成」「私は反対」も大きななにかに操作されているのでしょう。洗脳は空気のように体にしみ込んでくるのかもしれません。


2014年2月19日水曜日

才能のない人

自分の能力のなさに直面して落ち込みます。


昨日、35になる音大に行った教え子と話をしていました。やっぱり音楽は才能だよね、センスだよね、と。才能なくてやんなるね、と。。
仕事としている私がそんな事を言うのは、皆様に失礼きわまりないことは重々承知しています。なので出来る努力はしていきます。が、才能の部分に関しては、もう言い逃れのしようがありません。弁解の余地もありません。

才能と学歴やコンクール受賞歴は関係あると言えばあるし、ないと言えばないです。
私はそれらがどんなに大変かわかるだけに学歴やコンクールに関しては心からリスペクトしています。受けたら偶然芸大や桐朋に入っちゃったなんて事あるわけないし、賞だって取れって言われて取れるものでもありません。よく慰められるのが、いい演奏家がいい先生とは限らないという言葉ですが、いい演奏家でいい先生はたくさんいます。ついでにいい演奏をしない良くない先生もたくさんいます。そしてアマチュアでセンスのある方もたくさんいます。

他の分野もきっとそうなのでしょうね。音楽も結局才能とセンスです。
けれど教え子との会話は「でもさ、世の中才能がない人がほとんどだよね」で終わりました。

才能のない私に出来る事はなんでしょう?才能のない私に求められている事は何でしょう?

2014年2月17日月曜日

中高年のはじめてピアノの会の特徴

はじめてピアノの会の中高年のピアノサークルにはいくつかの特徴があります。まとめると大人でも基礎をやるというところです。私たちが考える音楽の基礎とは以下の通りです。


1、仲間と

2、体と脳の活性化

3、学ぶ

4、歌う 弾く


1、仲間とやる意味は一番は楽しいからです。でもこれが実は音楽の基礎でもあるので
  す。ハーモニーとは調和という意味。一緒にやる事自体楽しいし、仲間がどんな
  風に練習して、どんな風に指導されているのか客観的に聞くことは耳を育てるという
  音楽の基礎を作ります。

2、肩や腕や首に力が入っていては弾けない、ピアノは体で弾くものと知らない方が結構
  います。そして目で見た楽譜からの情報を脳に送って、脳はその情報を指先に送りま
  す。それをいちいち考えずに出来るようその回路を作るための指やリズムのトレーニ
  ングを行います。

3、大人ならではの楽しみは知る事。西洋音楽の仕組みや作曲家の人生を学ぶ事、ピアノ
  以外の芸術を知る事もピアノ演奏の重要な鍵。知る学ぶは人生を豊かにする基本
  ですね。

4、歌う、弾くが最後に来ているあたり(笑)この会の特徴です。ピアノという楽器で歌
  うのがピアノ演奏です。弾くとは歌を指で歌うこと。レッスンでは歌心を大事にしつ
  つ、わからないところやラクに美しく弾けるコツや方法を覚えます。手取り足取りで
  はなく、一人で弾けるようになる事が目標です。弾けるようになるにはつまるとこ
  ろ、お家での練習しかありません。
  


と、いうわけで、好きな曲だけ先生に教えてもらって弾きたい、と言う方には不向きです。大人の方が好きな曲を弾きたくていらしてる事は良く理解しています。確かに好きな曲だけやっている人の方が、その1曲に関しては一見良く弾けます。しかし、本当に音楽の良さを理解するには、またレッスンに行けないときもある程度一人で学習を進められるには、このやりかたがいいと思っています。

上記のことをやっていくと弾く事の前にまず聴けるようになってきます。作曲家はどうで何拍子でここの音の粒を揃えるのはなんて難しいの!、、、なんて事をしている方と、そんな事は考えず楽譜だけ見てその曲ぽく弾いている方とは、ピアニストの弾いている曲を聴いた時の反応が違ってきます。言い方が悪いのですが、鑑賞専門の方や根気のいる基礎をしていない方は自分のピアノを棚に上げて(笑)ピアニストのあら探しをします。しっかり学習している方は小さな箇所に感心し感動します。

画家が自分で描いたものが何かわからないってそんな馬鹿な事あるはずないのに、ピアノだと自分がどう弾いているかわかっていない事が大有りなんです。耳は聞こえているだけに厄介です。実は使う気にならないと使えないのが耳です。本当は指よりまず鍛えるべきは耳です。


基礎をやってどれだけ自分の曲に反映されるかは個人の取り組みの問題ですが、批評家ではない実践を伴った耳が使えるようになると音楽の楽しみが増えるのは確かです。









2014年2月14日金曜日

ピアノチョコ

 今日もまた雪です。すこしづつ朝からずっと降っています。
今夜と明日の交通機関は大丈夫でしょうか?


今日はバレンタインデイ。かわいいチョコをいただいたので自慢します。
夜はドキドキのフィギュアフリーです。ああ、緊張する、、、。明日は朝早いけれどチョコと一緒に全力で応援します!


 ヴァイオリンのかわいい袋




  

中にはピアノの箱が、、、

箱を開けると更におんがくなチョコたちが♪
見たとたんしあわせ^^
食べるともっとしあわせ^^
いつから私はこんなに音楽好きになったのでしょう^^




2014年2月12日水曜日

罪滅ぼしの答え

罪滅ぼしについて引き続き考えていました。


罪滅ぼしとは、謝り続けることだけしかないと思いました。申し訳ない事をしてしまった人にはあやまることしかできないので、その代わりと言ってはなんですが、その分自分も申し訳ない事をされてもゆるすということで、どうでしょうか?申し訳ない事をしてしまった相手にあやまり続けつつ、別の人からされた嫌な事やゆるし難いと思っている人をゆるすってことでどうでしょうか?

すこし宗教ポイのと申し訳ない事をした人は何も得をしないってところが不公平で若干手落ちな感じもしますが、きょうのところはこんな風におもいます。またすぐ変わると思います。

2014年2月11日火曜日

「はじめてのコードネーム」講座お知らせ

3月2日午後2時〜4時 千代田区九段生涯学習館
「はじめてのコードネーム」講座 500円


を行います。是非ふるってご参加下さい!
詳細とお申し込みはこちらへ(はじめてピアノの会では申し込み出来ません)
http://www.kudan-ll.info/wp-content/uploads/2014/01/628b28bfeb499a3a199436acf16c179b.pdf
先着20名です。


ギターではありません。
ピアノです。
メロディーがやっと弾けます、というレベルくらい。
メロディー弾けなくてもいいくらい。
ピアノは初めて、という方も大歓迎。
普通の楽譜は弾いてるけど、、、って方も大歓迎。

C、F、G、G7、、、と言われてはいはい、と伴奏つけられちゃう方にはもの足りないと思います。なにせ「はじめてのコードネーム」ですから。
作曲科卒の先生がアシスタントに付いてくれるので、「へえ〜」という面白いお話もしてくれます♪

そうそう、その作曲の先生に「今回は”クラッシック古典派の機能和声の入門です”と言っといた方がいいよ」と言われました。この意味がわからない方は「はじめてのコードネーム」講座にぴったりです。以前「和音」という言葉を使ったら「日本の音楽って意味ですか?」と質問されました。このくらいがちょうどいいです。「なんのこと」か教えちゃいます。

同時に千代田区のはじめてピアノサークル「ピアニッシモ」では新クラスも開設予定です。今のクラスの見学、入会も大歓迎です。info@hajimetepiano.orgまでお尋ねください。


















2014年2月9日日曜日

ビジネスパーソンの感受性

社会で芸術とは違う分野の仕事をしている方々の方がピアノを弾く人よりよっぽど感受性が豊かである場合がある件について。


考えてみたらピアノばっかりに向かっていると「どうしたらこのパッセージが弾けるか」「この曲の真意は」と言う事ばかり考えて隣の人のことなど考えなくなってます。感受性がなくなるのは当然と言えば当然です。

子供は耳がいいので、先生に言われた通り弱くしたりためたりしなったり結構出来ます。そこに感情の移り変わりがなくても出来てしまいます。こんなふうに『音を聴いてまねをする』ことをピアノだと思って育ってしまうと感受性は育ちません。自分で音楽を創る事が出来なくなってしまいます。

それに比べ例えば知り合いのある社長さん。自分のやりたい事と世の中のニーズをいつも照らし合わせて考える癖がついているので、いろいろなものに敏感です。ビジネス書から小説から歴史ものまで読み聞き上手。買ってくれる人、売ってくれる社員に思いをはせ、あらゆる事を吸収しようという気持ち満々です。人間に興味津々です。そして自分の意志と責任で行動に移す。夢を成すには大胆な勇気と繊細な感受性を兼ね備える人間力が必要なのだとつくづく感じます。「金こそ全て」という社長さんに限ってそうではありません(笑)。

何百年もの時を経て曲を残している偉大な作曲家の人生を調べると、戦争や偏見、差別の中、命を削って曲を作った事がわかります。でもだからと言ってそれを聴く現代の人間を放ったらかしては手落ちですね。その時代を超えた感性を現代の戦争のない便利な飽食の時代の人々に伝える、、、。社長さんが現代の人間を相手にしているのなら、クラッシックは昔の偉大な作曲家と現代の人を両方相手にしないといけません。更なる感受性が必要ですね。


ビジネスパーソンほどの勤勉さと感受性を持って、いえ、それ以上の熱意と自覚を持って精進するよう努力します。




2014年2月8日土曜日

開会式のショー

やっぱり今日はふかふかの雪です。すごく寒いです。


ソチの開会式楽しかったです。
私は常日頃芸術の善し悪しが分かるかのような物言いをしていますが、たいしてわかっていません。好き嫌いその程度です。
ソチの開会式は好きでした。色彩豊かで民族色があって音楽もバレエもあって。へんな大きな動物はきっと不評だろうなと思いながら好きでした。お金をかけた甲斐があったかどうかは別として、表情なんかがロシアの素朴な絵本に登場する動物のようでした。

羽生くんはいい滑りを早速見せてくれました。フィギュアはもうほんとにドキドキです。






2014年2月7日金曜日

クラッシックの悲しさ

火曜日から寒い日が続きます。明日はふかふかの雪がつもりそうです。


ゴーストライター問題、結局クラッシックは「マスコミ的に話題になる方法でしか売れない」の証明のようなものです。

曲はいい、という評価を得ているようですが、じゃあ本物が「こんな曲書きましたが」と言って相手にしてくれるオーケストラはあったでしょうか?CD作って販売してくれたでしょうか?誰が買ってくれたでしょうか?桐朋学園という一流の音大ではありますが、しがない非常勤講師という肩書きだけでは、今と同じようなこれらの曲の評価を得る機会すらなかったでしょうね。

ゴーストライターの方があえて「共犯者」と名乗っていたのが何とも痛々しかったです。20曲でしかも交響曲まで含まれててたった700万円。J-POPだったら1曲でもっともらえますよね。高い技術と知識と才能を持ちながら、自分の曲を発表出来ない,聞いてすらもらえない、だったらお金のためでなく名誉のためでなく,聴いてもらう手段としてゴーストライターになる、、、。

あってはならない事ですが、ほかに自分の曲を聞いてもらう機会すらないクラッシックの作曲家のこの行動は、私には深い同情以外持ち得ません。これが今の日本です。ドラマチックが悪いわけじゃない。顔がいい人が売れるのは当然。私もイケメン大好き。

でもそれだけじゃないのがクラッシック。そこから入ったとしても,そこだけじゃないクラッシック。人は単純ではない,人生も単純ではない、音楽で一番それに近いのはクラッシックだと思うから。


実は私は「ヴァイオリンのためのソナチネ」以外聴いた事がないのだけれど、聴いた人たちが魂の叫びが聞こえる、涙が出ると言っているのは皮肉ですね。

高橋選手は、きっとそんなゴーストさんの魂の叫びをソチで表現してくれるでしょう。



2014年2月5日水曜日

罪滅ぼし

以前後悔することをしたら落とし前をつけるよう努力しますと書きましたが、間違いをした側はそれでいいとして、間違いをされた側はどうなのでしょう?


考えてみたら間違えた人間に「はい、これで落とし前を付けました」と勝手にけじめつけられたら、やられた方はもしかしていや絶対に、それ自体逆鱗に触れると思いました。今頃気づいて鈍感でした。でもすぐにブレる私なのでここはすぐに反省し、もう一度罪滅ぼしについて考えてみることにしました。

人間誰でも間違うけれど、された側に『人間なんだからしょうがないよ』と言ってもらえるにはどんな罪滅ぼしをしたらいいのでしょうね。とくに責任の所在が自分にのみある場合、本当に納得してもらえる罪滅ぼしとはどんなことなのでしょう?

昨日から考え始めました。時間をかけて自分の罪に向き合い省みたいと思います。
ほんのり雪に染まった屋根に、美しい冬を思い出した朝でした。


2014年2月4日火曜日

スゴい人

若い友人が「スゴい人をスゴいと言える自分でいたい」と言っていました。
素晴らしい!


自分より上過ぎる、下過ぎると思っている人のことは、だれでも褒められるんだそうです。自分より少し下や同レベルと思っている人が自分より少し上になった時、褒められなくなるそうです。嫉妬したりやっかんだりしてしまうそうです。きっと自分が揺らいでしまうからなんでしょうね。

なんかわかります。
でも、スゴい人をちゃんとスゴいと言えるって清々しいですね。器が大きい感じがします。器が大きいのは私の憧れです。私もその若い友人を見習って、スゴい人はスゴいと褒められるようになりたいです。

ブレる力のある私は揺るがない自分は作れないので、揺れても折れない自分、折れても死なない自分を目指します。





2014年2月3日月曜日

絶対音楽

絶対音楽(ぜったいおんがく)とは、標題音楽に対する用語で、歌詞を持たない音楽の中で、物語その他文学的な何ものか(標題)を音楽で表現しようとする音楽でなく、音楽そのものを表現しようとするような音楽をいう(wikipedia)

絶対音楽ってなんだかわかりにくいですね。心理描写がないわけではありません。題名や歌詞などに頼らないって事でしょう。音のみで表現することです。これこそ音楽だと言う人もいます。それも一理あります。

が、そうなると、音楽、美術、文学色々な分野が助け合ってしまうと、それだけでは物足りないのか、って話になりそうですが、そうとも思っていません。物足りないわけでなく、時代や国を超えて魂を揺さぶるものはあまりに共通点があって、お互いを無視など出来ない。たくさんのものからインスピレーションを得てインプットし、そして絵に昇華させるのが画家、言葉に消化させるのが作家、音に昇華させるのが音楽家。そこでのコラボレーションが一種の相乗効果または新しい化学反応を生む、と思っています。

ところで、音楽だけやっている人より、芸術と関係ないビジネスの第一線で活躍している人の方が繊細な感受性を持っている事がよくあります。ピアノが弾けなければピアニストではありませんが、ピアノが弾けるから、絵が上手だから芸術家というわけではありません。五感を磨くのは技術を鍛えるだけでないとつくづく感じます。



2014年2月2日日曜日

責任の所在

先日友人と、自分のせいにする人のせいにするの話題になりました。


私は自分で悪いことはちゃんと反省するようにしてますが、相手が悪いときはちゃんと相手のせいにするようにしています。相手の悪いところは自分の悪いところではなく間違いなく相手の悪いところに決まっていますので、真面目な私はこの区別をきちんとつけておこうと心がけています。しかし、どちらか一方が悪いと言う場合はとても少なくて、原因はお互いで作っている場合が多いです。

ピアノでも自分が弾けないと曲が合わないことにしますが、単にテクニックや練習不足で他の曲に行っても同じだったりします。しかもその方式でいくと合う曲はなくなったりします。

直せるところはとりあえず自分から直してつきあったほうが、人もピアノも世界が広がりますね。





2014年2月1日土曜日

休む力

日本人は休む力を付けた方がいいとテレビで言っているのを聞いて
「持っています!」と手を挙げました。
ついでにブレる力も持っています。


音楽で言う休む力を休符と捉えるなら、確かにそれは力です。その間、だら〜んと休んでいるのでなく、次への緊張だったり、他のパートを待っていたり、難しいんです。休符こそ音楽と言いますもんね。
音楽の場合、このように休符があればメリハリが出来て全体が締まり、もう一度クリアな音の世界が始まります。

しかし、生活の中の休みを力と表現するのはなんかあまりに冷たい感じがします。一生懸命夢のため、会社のため、人のため、自分のため、ブラック企業だと騒ぎをもせず休まず働いているビジネスパーソンに向かって、一人になりたいと叫びたい中一生懸命子育てしているお母さんに向かって、いじめにあいながらも学校で頑張っている子供に向かって、そんな尊敬すべき人々に向かって休んでる人間が休む「力」がないなんて、少なくとも私のように気づけば休んでいる人間は恥ずかしくて言えません。「休まない力」を持っている方に失礼すぎです。

鈍感力という本が出たかと思ったら悩む力という本も出て、変な力争いが盛んです。私は大雑把ではありますが、鈍感でも無神経でもありません。鈍感力に大反対です。大大反対です。悩む力側に付きます。せっかく敏感な人に鈍感になれなんて厚かましいもいいところです。あんたが敏感になりなさいよ、って話です。
小さなことにこだわらない方がラクに生きられますよというつもりかもしれませんが、小さなことにこだわらなくなるためには、鈍感力どころか、もっと小さな喜びをちゃんと見つけられる敏感力が必要です。だいたいこの鈍感力って、傷つけられても、って前提があっての話で、傷つける側を正当化しています。ゆゆしき事です。傷つく側も傷つける側も、人に大切なのは敏感力に決まってます。

休む力が鈍感力のように悪用されなければいいです。休まない力を持っている方は、休む力なんて言葉に惑わされず、休まない力に誇りを持ってください。能力です。才能です。

けれど音楽に休符が効くようにきっと人生にも効く休符。くたくたな方は健康に気をつけて、できればやはり少し休んで下さいね。
喧噪を離れ、太陽の有り難さ、水の美しさだけを感じる日々を思い切って過ごしてみて下さい。もしその時間も取れないならばそんな気持ちにもなれないならば、朝日にだけはあたる。意味はなくても朝日にあたる。ポッキリ折れちゃってても、ちっちゃいままでも植物は朝日にあたって生きて、ある日横から芽を出したりします。