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2014年11月30日日曜日

発表会は目立ちたいから?

こんばんは。ようこそお越し下さいました。
そしていつも読んでくださって有り難うございます。

先日、発表会は何のために?という話で生徒さんと盛り上がりました。
『ピアノをやってない人は「目立ちたいから発表会に出る」と思うらしいですよ』と言うと、全員が口を揃えて「まさか!」「冗談でしょ!」と言っていました。

プロフェッショナルはまた違いますが、アマチュアの発表会は、自分の力を試す、が一番の参加理由だと思います。
「聴いてほしい」という気持ちはもちろんあってこそですが、それは目立ちたいからということとは全然、ぜ〜んぜん違う事です。

同じ曲でも人前で弾く弾かないで取り組みはたぶん10倍変わるでしょう。
家で一人で楽しむために弾くピアノと人前で弾くピアノの完成度の差は10倍です。
つまり家でレベル50を弾ける人でも人前で弾けるのはレベル5です。ピアニストっていっぱいいっぱいで弾いているわけでなく、あれらの曲の10倍くらいの実力があるんです。

それくらい人前で弾くってことは難しいのです。ピアノを人前で弾くのは表現する事なのでそれを目立ちたいと誤解されるのかもしれません。でも自分の伝えたい事を言うのが「目立ちたがり」なら人間全員目立ちたがりですね。

人生が与えられたものだけで充実するならそれで充分。
でも本当に充実するってなんでしょう?
私は「自分への挑戦」「自分の成長」「人に喜んでもらう事」だと思います。

人の目を気にしていたら何も出来ません。目立つとか目立たないとかそんな事考えていたら、自分の成長はもちろん人に喜んでもらう事も出来ません。
LEDを発明するとノーベル賞なんかとっちゃって世界中で目立っちゃって嫌だから研究しない、って考えてたらLEDはなかったんです。

子供じゃあるまいし、恥をかく覚悟こそあれ目立ちたいからだけで出来ない、言いたい人には言わせておきましょう、と話はまとまりました。

はじめてピアノの会の「ホールの会」は今のところ2年に一度の頻度で行っています。
ですので来年の春はありません。再来年の春の予定です。
その前にアドバイスレッスンや弾き合い会、サロンの会等ありますので、是非ご参加ください。






2014年11月29日土曜日

作曲家

私生活がなっちゃない作曲家って沢山います。小説家とかでも私生活がなっちゃない作家多いですよね。もちろん全員がそうではありませんが、もし生きていて知り合いだったら「あんな人の書いた物、絶対聴きたくない!読みたくない!」なんて思ったかもしれません。


ただ人間って悪いとこばっかりの人っていないんですよね。
そしていいとこばっかりの人もいない。

歌詞のないクラッシックは暗号のようなもの。
どんなになっちゃない人の曲でも人としての美しさや善の部分が隠れてる。
出来過ぎた素晴らしい人の曲にも人間らしいドロドロした部分が隠れてる。
そんな気がするんです。

作曲家が内面を掘り下げて掘り下げて魂の叫びを楽譜というものに書き写したのがクラッシック。テキトーだったと言われるモーツァルトもサイテーだったと言われるワーグナーも、曲を聴いて、テキトーだったともサイテーだったとも私には思えません。モーツァルトの哀しみやワーグナーの光を感じます。

今日レッスンで「そんなに一音一音掘り下げるものなんですか?」と質問されました。
はい、掘り下げるものです。
何せ楽譜には作曲家の命をかけた魂の叫びが詰まっています。

2014年11月27日木曜日

オペラ講座終了

全3回、と〜っても勉強になったオペラ講座でした。


「ピアノなのになんでそんなにオペラ押し?」と言われますが、音楽の基礎が歌の事、楽器の頂点が声な事はいつも言っているので、ピアノ学習者にとってのオペラの意義について書いてみます。

楽器の王様はピアノです。
その理由は音楽の要素、リズム、メロディ、ハーモニーを「一人で」奏でられるからです。他の楽器だとそれをするのに「何人も」必要なのです。
オペラだったら歌とオーケストラ。オーケストラは何十人もいます。
ようするに、ピアノは本当は「何人も」でやる事がを「一人で」やるのです。「何人もでやる事を」がみそです。

演劇だと思ってみてください。
一人8役おじいさんと娘さんと犬とプロレスラーとセレブマダムとホームレスと日本人とアメリカ人を一人の人がやる。それぞれのキャラクターをきちんとイメージ出来ていないと演じられません。

それと一緒です。
ピアノの演奏は、本当は、ここは歌、ここはストリングス、管、ベース、というように違うキャラクターの楽器を演じているのです。おじいさんと犬とセレブマダムが同じになっちゃダメなんです。

その意識が必要な楽器なのに、ただただ鍵盤を叩いてしまう。
オペラのアリアコンサートの伴奏はピアノでやりますが、「やはりオーケストラをイメージする、それが難しい」と今回の講座でもピアニストへの質問が出て、そうお答えになっていました。

ピアノを弾く人が、楽器としての役割や演技としての役割をそれを感じやすいオペラで勉強すると絶対ピアノの音色が変わってくると思います。

と言いつつ、いつもながら私は口だけでまだまだです。
でも、聴いている方が登場人物や楽器を想像出来るような演奏を目指して頑張ります!


ソプラノ歌手 中道友香さん
ピアニスト 木村翠先生
今回は4曲ご披露くださいました。透き通ったリリカルな歌声とダイナミックなピアノに皆様うっとり。
「楽しかった!」と大きな拍手を送ってくださいました。とっても嬉しかったです。やって良かった〜。
  

  

2014年11月24日月曜日

ピアノは打楽器、弦楽器

電子ピアノでの練習が続きグランドピアノに戻ったときの衝撃。


ピアノは打楽器であり弦楽器だったことを指が忘れてしまってました。メロディを覚えるには電子でも全く問題がありません。
でも電子は、ピアノで肝心の瞬間の指のコントロールがいらないで済んでしまう。
ということはピアノを弾いた時それが出来ないという事です。

たとえばゆ〜っくり鍵盤を押してみる。
ピアノは音が鳴らない。
太鼓を指の腹全体でゆ〜っくり叩いたら(触ったら)音は鳴らないし、ギターの弦は触ったままでは音が鳴らない。
でも電子はそれに近いことをしてもちゃんと打鍵した時と同じ音が鳴っちゃう。

電子ピアノを弾きこなせばこなすほどピアノは難しくなる。音は覚えられるけど指のコントロールが遠くなる。指の微妙なニュアンスはわからないし、いい音が出ていないことに気づかない、悪い音が出ていることにも気づかない。

たとえば爪が伸びたままでは弾きづらいしネイルした事ない人がするとそれだけで弾けなくなる。指先って本当に繊細です。その指先のコントロールがいい加減になるということは、コントロール=表現なので、弾きにくいだけでなく表現 のない音楽にもなってしまう可能性があります。

様々な事情で電子でしか練習出来ない方は多いでしょう。
でも本番はグランドピアノで弾くという方は、レンタルしてグランドピアノを弾いておいた方がいいですね。楽譜を見る方は譜面台の高さも違います。
趣味でもその差は想像以上に大きいです。











2014年11月23日日曜日

政治家

ニュースはあまり見ません。

がうっかり見てしまうと政治家になって世直しをしたくなります。
なりませんけど(笑)。能力ないですから。

政治家も能力の前に政治が趣味って言うほど好きでないとそもそも出来ないらしいです。好きが大事なのはなんでも同じなんですね。

ケチな私としては「無駄にお金を使う」ことが一番気に食わない事です。
しかし無駄金は時として生き金になる事があります。
税金の話ではありません。税金を無駄に使うなんて死に金もいいとこです。

私が講師一年目の時、全然練習して来ない男の子がいました。
あんまりにも練習して来ないのでお月謝をいただくのが申し訳ないくらいでした。
そうしたらその子のお母様が「お金が無駄になる事は覚悟していますから先生は気にしないでください」とおっしゃったのです。「子育てってそんなものかと思ってます」とあっさり。

色々な考え方があるでしょう。教育費は子供への投資という捉え方もあるようです。でも私はそのお母様のお考えに衝撃を受け感動しました。決してお金が余っている訳ではない。けれど一生懸命稼いだお金を覚悟を持って無駄にする。無駄になってもいいと思う。しいて言えば生きた無駄金。自分の中にそんな価値観がはじめて生まれました。

税金は違いますね。人が稼いだお金を無駄に使うんですから。


ちなみにその生徒さんはその後音大に進み、今は政治家として活躍しています。


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2014年11月14日金曜日

選手を守るのは

羽生選手には滑らないでほしかった。だって危険だから。


でもあのような場面で危険だからやめます、って選手本人が言うはずがありません。「アスリートは自分の体を知っていますから自分で判断したんでしょう」的なコメントがありましたが、勝つために、自分の力を出すために、お客さんのために、スポンサーのために、いろんな「ために」練習してまさにアドレナリン出まくりで「この場」に臨んでいる19歳の男の子がそれほど冷静であるはずないと思うのです。自分の「この場」の先を考えるはずがないです。ほとんどの選手が「この後は?」と聞かれると「これから考えます」と言います。そういう事です。

「もう終わりかと思った」と言っていた羽生選手は、だからこそ滑ろうと思ったのかもしれません。

はっきり言えるのは覚悟を持って責任を持って決断する大人がまわりに一人もいなかったってことです。驚きです。一人も、です。
頭を打ったのに起こして歩かせるなんてどうかしてます。
担架がなければ担架が来るまで、あの場に毛布を敷いて頭を極力動かさないとかするでしょ、普通。フィギュア界ってどれだけ原始的なのかとぞっとしました。
更に、松岡修造さん気取りの元フィギュアの男性解説者がこんな時も相変わらずいつもの自分の存在感アピール解説で、見ていて不快になりました。


水泳の富田選手も羽生選手も、彼らは自分のためだけでなく応援してくれる人のため、みんなのため、コーチのため頑張っているのがわかりませんかね?なのに大人のする事といったら自分の保身ばかりです。親御さんの気持ちを考えると胸が詰まります。
私に被害が及ばない事については言いたい事言います。


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2014年11月13日木曜日

勉強

自慢じゃありませんが勉強は好きです。特に本を読むのは大好きです。

なのに講義のような座学は全然ダメです。
これはなんででしょう?
学生時代からきちんと聞いていられませんでした。
高校のとき、寝てるか笑ってるかのどっちかだ!と怒られた事がありましたが、まったくその通りでさすが先生です。わかってます。その時は寝ていました。起きてる時でも両肘をついたり腕組みしたり悪い生徒でした。先生、嫌いだったでしょうね。

たぶん意思が弱い上、腹筋と背筋も弱いんだと思います。

今も会議とか座って話を聞く仕事とか苦手です。
さすがに寝ませんが、どうしてもきちんとしていられません。少しは大人としてそのような場に慣れなくては、と思っていたのですが、首を動かしたり手を動かしたりで、この態度では申し訳ないです。申し訳ないのですがじっとしていられません。なので今後はあまり出ないようにしようと思います。

きちんと聞くのがダメなので勉強が嫌いと思われる事がありますが、勉強は好きだし人の話を聞くのも大好きです。勉強が好きなので本当は聞きたいです。
テレビでアメリカの授業をやっていました。みんな好き勝手な格好をして聞いていてうらやましく思いました。







2014年11月12日水曜日

いまさら

いまさら上手にはならない。

一つハッキリ言っておかないといけないのは、努力すれば思ったように弾ける訳ではないということです。どんなに努力しても、です。


望みが高過ぎると本当の自分とのギャップに苦しみます。
「先生は何でも弾けていいですね」ととんでもない事をいわれます。
もし私が何でも弾けるなんて 今思っていたら苦しくて生きてられません。
ズバリ間違いはどこにもないこの現実を、まさかの「こんなはずではない」「何かの間違いだ」なんて思ってしまったら、心の病になってしまいます。

今更自分が努力すれば弾きたいあの曲が弾けるとは思っていません。
ただ、あの曲以外にも世の中にはいい曲が沢山ある。
だからあの曲は弾けないけれどこの曲を弾く。
この曲を美しく。
伝わるように。

矛盾しているようですが「いまさら上手にはならない」くらいの覚悟を持ちながら、それでも密かに地道に上達を目指す。
大人のピアノはそのくらい達観しないと続かないかも。

そしていまさらながら、自分の手に届く曲を弾ける事に感謝して、聴く人に気持ち良くなってもらえるような演奏を目指しましょう。


今日はオペラ講座でした。
沢山の方にご来場いただき大変嬉しく思っております。
有り難うございました。

2014年11月11日火曜日

なんのために

忙しくなると、調子に乗ると、疲れていると、ずるがしこくなると
何のためにそうしたのかわからなくなり、
とんでもない横柄な事をしたり言ったりしていることがあります。

そんな時、だれかのほんの一言で「そうだった」と気づく事が有ります。
でもまたすぐ忘れて、調子に乗ったり卑屈になったり生意気になったりします。

周りをみて「なんか ヤダな」と思ったらだいたいそういうときです。
人は鏡って言いますよね。
人を見て嫌だと思ったらたいてい自分が嫌な人間になっている。

すぐ忘れてしまいますが
何のためにやるのか、究極なんのために生きているのか忘れないようにしたいです。
忘れてもまた思い起こすようにしたいと思います。

2014年11月10日月曜日

なくなる職業

30年後ロボットやコンピュータが人間に代わって人間の職業がなくなっていく。でも芸術はなくならない、予想だそうです。


これは何を意味しているかというと、芸術とは予想外の事が起きることに価値があるということです。計算 など予想外の事が起こってはいけないものはロボットにやってもらい、予想外の事が起こっても可のものは人間がやる。

昔、人々は完璧な演奏に憧れていたと思います。
でも皮肉な事に、自動演奏が出来てそれがどんなに味気ないものかわかり、いつも通りでないほんの少しの間や緊張感が音楽の醍醐味なんだと私たちはわかった気がします。「完璧」を求めたけれど「完璧」がいいわけではなかった。人の息づかいがわかるものこそ心に響くものですね。

絵も最近はまねして書くと上手に書けるソフトがあります。
構図や基本を学ぶにはいいかもしれませんが、絵も上手な絵が心に残る訳ではありません。絵はとくに「へたうま」って言葉があるくらい味が伝わりやすいですよね。
私もへたな絵を描くのは好きです。

歌手とかでも半端に上手な人より音痴でも心に響く人っていますよね。
クラッシックは、残念ながらこれはないですね。
いずれにしても本番は出来ない、ってそんなに悪い事ではない気がしてきました。





2014年11月9日日曜日

洋物

ハロウィンが終わったらもうクリスマスと商戦盛んです。

仮装してくる子供の生徒さんはすごく楽しそうだし、ママも嬉しそうだし、街はキレイになるし、カップルはおしゃれしてロマンチックでうきうきだし、華やかで、それは別に私のおサイフから出ている訳じゃないからわるい事ではありません。

でも「ここは日本!大晦日とお正月がトップイベントでしょ!」という気持ちと、 余計なお世話「企業のカモになってどうする!」と一言言いたくなります。

と言ってみましたが、隠すまでもなく私は西洋音楽にどっぷり洗脳されています。
初詣はここ10年行っていません。
肉もケーキも大好きです。
夜はベッドで寝ています。
iPhoneは手放せません。

自分を省みると、イヤイヤこれは言えた話ではないと気づきます。
生活が便利になるのも、文明が発達するのも今の世の中、企業があってこそ。
音楽も食べ物も物もエンターテイメントも日本も西洋もいいものはいい。
年を取るとまわりも自分も見えなくなって、受け入れられないものをすぐ批判したくなります。気をつけなくてはいけません。


日本人には盆踊りも大事にしてほしいものですが、ハロウィンもクリスマスも全力で楽しむ方の邪魔をせず、私もいいとこ取りでクリスマスソングを歌いチキンを食べてケーキを食べてプレゼントももらいたいと思います。






2014年11月8日土曜日

どうしたらいいのだろう

生きていると「どうしたらいいんだろう」という問題がたくさんありますよね。個人的な人生の問題。

私は、人生の問題は極力人には相談しません。難しい問題であればあるほど一人で決めます。

人にアドヴァイスを受けるとすぐにブレる私は「なるほど!」とすぐそうします。そうすると聞いた数だけ違う事をする。日替わりってことも。受け売りなのでよく理解していないままやってるし、そうなるともう自分がどうしたいのかはわからなくなるし、周りは振り回されて当然うんざりされるし、いい方に向いた試しがありません。その挙句私の性格なので、人のせいにします。

大失敗をして大後悔をしてようやくわかりました。
「わからない事は自分に聞こう」と。
直感に従うのは賭けのようで怖いです。でも一番納得出来る。そして私の経験だと一番上手くいく。というか自分で決めた手前、本気で捨て身でやるってことでしょうね。
本気でやると「出来ることはすべてやった。だから大丈夫」とか「出来ることはすべてやった。だから仕方ない」とか気持ちがラクになる気がします。

結局、どうしたらいいか、はどうしてもいい、本気ならば、という事じゃないかと思っています。




2014年11月7日金曜日

驚き二連発

「自分はやっていないとその時は言えなかった」と言った選手に「何故その時すぐ言わなかったんだ」と言う人が一人でないことに驚きました。

真実は置いておいて、自分のところの所属選手がわざわざ会見を開いてまで言ったことを、2時間かそこらで直接本人と話もせず、当事者も出て来ないであっさり否定するような団体に驚きました。


皆さん、非常時において強く言えるんですかね?
どんな状況でも自分の意見を述べられるんですかね?
驚きますね。
まず普通の人間なら、怖くて言えないでしょう。普通。
チョー怖い国で拘束されなくても、私なんて平和な日本でちょっと圧力かけられただけで言いたいこと言えなくなります。言えません。言ってません。
まして師弟関係が強いスポーツ選手、 恩義のある方が関わっていたら時間を割いていただくのは申し訳ないとかそのくらいの理由で遠慮して重大な事も言えないのは察しがつきます。
普通は言えるって言っているコメンテーターも、局の上層部やスポンサーや自分の人気を気にして言葉を濁したり言えてないこと沢山ありそうに今までも見えていましたが。
あ、彼らは保身のためだから逆ですね。

私の場合、後になって「言えば良かった」って後悔することばっかりです。
自分の中で恐怖が薄らぐ頃ようやく、半年とかたって悔しい損したってじわじわ来ます。
だから1カ月やそこらで行動に起こして人前でそれを言うなんて充分早い。
充分勇気ある。
さすがスポーツ選手。


学校で盗難事件があって、カメラで自分の子供が映っていて子供も一度認めたけれど、その後子供はやってないと言う。いや、誰かにそうさせられたという。その時「いえ、カメラで確認しました。うちの子が間違いなく犯人です。」って言う親ってどうですか?
親だったら仮に自分もその映像を見ていたとしても「 「 待ってください!もう一度話を聞きます、映像も見直させてください」と仕切り直すでしょう。まずは直接子供と話すでしょう。えん罪かもしれない事に、一度でも盗んだかもしれないと信じた自分が申し訳なくなるでしょう。

親と団体ではたとえが適切でないかもしれませんが、少なくとも私は、迷惑そうに会見した団体の人間を信用しません。

最強のオリンピック選手の親である団体は、何を恐れているのか知りませんが、選手という子供を信じない弱い心を持った人間に見えました。不愉快です。
今回私がこれを言ったところで私は怖い目に遭いませんので、言いたい事言っときます。





2014年11月6日木曜日

ピアノを習うと頭がよくなる、、、

この理由で習う方はいないでしょう。
、、、と思っていたらそれを信じて習わせる事があるようで驚きました。


絶対音感もそうですが、習えば良くなるなら苦労しません。
ピアノで頭や耳がよくなるのはあくまで続けた結果です。

ピアノは難しくて並ならぬ根気がいります。それを子供が自然にやるか。
やりませんから。
国語の勉強をするように楽譜を読み、算数の勉強をするように拍子やリズムを理解し、授業をしっかり聞くようにレッスンを受け、運動選手のようにトレーニングする。
これがピアノです。

ただここに音楽の楽しさが加わるので、目的が変わってくるところが音楽のいいところです。この目的が「頭が良くなる」ではピアノを続ける事自体難しいです。

「ピアノってステキ」「ピアノって楽しい」「弾けるようになりたい」
だからピアノを習いたい、習わせたい、習う。
その結果、ピアノの特徴から頭が良くなるってこともあるかもしれません。

ちなみに私は一夜漬けの勉強で試験はそこそこ点数とれましたが、物理も数学も全く残ってないし、頭は全然良くなっていません。





2014年11月5日水曜日

11月 



11月になったと思ったらもう1週間経っちゃいます。
少し寒くなってきました。
冬の寒い曇りの昼間にのんびりお茶を飲むのもいいものです。
まだ暖かい日も多いので、それまでしっかり働いて冬に備えたいと思います。


2014年11月3日月曜日

頭で覚えるタイプ 体で覚えるタイプ

私は行動力が全くないのですがあると誤解されます。
決断力なんて皆無ですが、よく決められるね、なんて言われます。
考えられないから考えないでやってるだけです。
考えてすぐ決断してすぐ行動しているのとはぜんぜん違います。

こう聞くと体で考えるタイプと思われがちですが、勘が悪くて少しも体で覚えられないので、頭で考えるタイプと最近までずっと思ってきました。

でも最近ようやく、この年になって頭で考えるタイプでないと気づきました。気づかないあたりが頭を使ってなかった証です。

体でも、頭でもわからない。
こういうタイプは、習慣になるまでやらないとダメですね。
頭と体を使わないで出来るまで量をこなすしかありません。
どっちもダメなのに、まるで考えてすぐ行動する頭も体もデキる人のように誤解されるのには笑えますが。

考えずやってみるので、やってみて大惨事ってことがたくさんあります。ここで頭や体で覚えられる人はそれぞれの方法で学習するのですが、頭でも体でも覚えてないのでまた同じ大惨事を繰り返します。とても落ち込みますが、でもそこは覚えられない頭が幸いしてちょっとすると忘れます。で、また失敗して落ち込みます。少しも幸いじゃなかったです。

以前武井壮さんがスポーツには「反復練習をする前に、自分の体を思ったように動かす技術が大事」と言っていました。要するに頭と体を繋げるってことですね。

そうでしょうね〜。ピアノもその通りです。
武井さんは、そうすればだれでも伸びるって言っていたけれど、それが出来るってことがもうすごいことです。
どっちも悪い私は繋げるのが大変!とりあえず時間をかけるしかありません。その割に量が少ないので出来ないのです。

ピアノの場合、目からの情報を脳へ送り脳からすぐ右手左手何番の指と区別して指先へ送る「つなぎ」が大事だと思います。この神経が繋がっている人は上達が早い気がします。どれか一つがまたはそれぞれが良くても繋がらないと上手くいかない気がします。

これを言うと元も子もないですが、やっぱり生まれつきのものなんでしょうね。
どうにもならないので私は失敗を繰り返し恥をさらし、それでも充分楽しめる人生を自分なりに満喫します。








2014年11月2日日曜日

聴けてよかった

サロンの会が終わって、みどり先生がふっと口にした
「せっかく聴いていただけるのだから、、、」


はっとしました。
「聴いてもらっている」。

ピアノを弾く人がどれくらいこの意識を持っているでしょうか?
どうしても自分が練習通りに弾きたいとか弾かなきゃとかに気持ちがいってしまいますが、でも、そうではなくて、
「わざわざそこに集ってくださった方が『聴けてよかった』と思えるようなピアノを弾こう」と思うのが一番大切だったんだ、と、、、。

音楽の表現とは「その曲らしさを自分のやり方で伝える」ことですが、
もう一つその先に「聴いてくださっている方がその情景を見る事が出来る演奏」がある、と思いました。プロでもアマでもやっぱりこれが大事だと改めて思いました。
「こんな風に弾きたい」だけではなく「こんな風に感じてもらえるように弾く」。
聴いてくださる方への贈り物です。


今年のサロンの会が終わって2日。
いつも表現云々と言い過ぎているので、今回はその前に技術ありき、基礎ありきをわかってほしくて、「ミスをなくす」を課題にしていました。
もちろん厳しい芸術の道、表現が一番大事なことにかわりはありません。

だからこそ現在の技量にあった曲を選びその中で「伝える」ことを目指したピアノを教えよう、と思いました。自分の演奏とももう一度向き合い直します。

発表会に参加する事はそれ自体にも意味がありますが、まわりの感想などの一つ一つが大きな反省の機会になりますね。






2014年11月1日土曜日

才能あるのとないのとどちらがいい?

という話を講師の中でしました。

もし才能があったらいいな、と思うけれどあったらあったでもっと上を目指すから、限りなく大変かもしれない、でも音楽の才能がある人は羨ましい

が意見のまとめです。

私から見たら先生たちは才能豊かでそもそもうらやましい限り。
でもそんな風に思うってことは、やっぱり才能ってキリがないのかもしれない。

私はというと、
才能があって後世に名の残る人は、研究家に過去の失態や変な癖まで明るみにされちゃって大変だろうな、と思います。
そして私、才能がないからこそ謙虚に生きてます。
もし才能があったとしたら調子に乗っていい気になってたこと間違いありません。
才能がある人って才能があっても謙虚ですね。才能があるからこそ謙虚なんでしょうか?
いずれも才能を持っている人は才能にふさわしい人格も兼ね備える必要があります。

才能があっても埋もれている人もいますが、見ているとお子様が才能開花させてたりしてやっぱり才能はあるところにあるものだ、と納得します。

ピアノが上手だったらいいのに、、、って 日々うらやましくは思いますが、
才能がないのにこうして毎日楽しく暮らせる事に、身に余るほど満足しています。