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2014年12月24日水曜日

作曲家の仕事

作曲家の伝記を読んだり映画を観たりすると、作曲家が人生を賭して曲を書いていたのがわかります。作曲家はそんな大変な思いをしてもなぜ曲を作ろうとしたのでしょう?


クラッシックの作曲家はポップスの作曲家のように「メロディーが思いつく」だけでなく、伴奏やオーケストラのようなハーモニーが作れる、楽器の配分が出来る、それを楽譜に出来る、構成が出来る、時間が組み立てられる、など耳や感性はもちろん、相当の知的能力と、それを持続する体力が必要です。

それらの知識、技術、感性を最大限発揮して、無限な音の組み合わせの中からベストな一音を選びベストな位置に配置する。そんな気の遠くなるような作業の繰り返しでようやく曲が完成します。汗と涙の結晶です。


報道の自由と言う言葉がありますが、伝えたいことのために命をかける人がいる。
それと一緒です。一見、わがままな作曲家ですが、「美しさ」や「せつなさ」を伝えるために命をかけたんだと思います。戦争の悲惨さ、祖国への強い思いを伝えるのは報道ジャーナリズムだけではありません。

ベートーヴェンもショパンもリストもみんな作曲家は伝えたいことのために命をかけました。気楽で自由で思いつくまま作曲出来たと言われているモーツアルトの死の3年前のお手紙をご紹介します。
 「ヨーロッパ中の宮廷を周遊していた少年の頃から、特別な才能の持ち主だと、同じことを言われ続けました。目隠しをされて演奏させられたこともありますし、ありとあらゆる試験をやらされました。こうしたことは、長い時間かけて練習すれば、簡単にできるようになります。ぼくが幸運に恵まれていることは認めますが、作曲はまるっきり別の問題です。長年にわたって、僕ほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人は他には一人もいません。有名な巨匠の作品はすべて念入りに研究しました。作曲家であるということは精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味するのです」



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