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2015年12月31日木曜日

con moto

今日が終われば今年は終わり。
今年を漢字1文字の代わりに音楽用語で表すと「 con  moto 」。

私はもともと静の方が性に合っています。
家にいるのが一番好きです。
でもたまには動かないと、ということで動いてみました。

しかし、いつもの事ながら全部自分のためでした。
人のためのようで結局自分の欲なのが私です。
年齢を重ねた事も体調を崩した事も考えるきっかけになりました。
体調を崩したと100回くらい言ってますが、なにせ元が元気なのでちょっとの事でも大事になります。体の弱い方はいつもこれなんだと思うと今までの自分の傲慢な態度が申し訳なくなりました。そして健康以外でも制約のある中で生きることの厳しさと尊さを感じました。
私は忘れ物に関してはまったく不真面目ですが、生き方に関しては真面目です。


もう少し周囲に優しくならなきゃと思います。
来年は周囲のために「 con moto 」、が目標です。


2015年12月30日水曜日

第九

年末に第九を聴くなんて、なんて久しぶりでしょう!
1月17日のはじめてピアノの会のニューイヤーコンサートにもご出演下さる林田さつきさんがソリストをつとめるMAXフィルの第九に行きました。
素晴らしかったです!
第一楽章からの思いが第四楽章で極まるあの感じが物語ですね。

日本の第九を聴くという習慣、いいですね。
来年も行きたいと思いました。



2015年12月28日月曜日

やるかやらないか

人生やらなくてもいい事って実はとっても多いと思います。
こうしてブログを書く書かないもどちらでもいい事です。
誰かにとってそこまで重要なものじゃないし、書いたからってそこまで得する事もないし、書かなくてもだれも困らないし、私のブログがないからって、餓死する人は1人もいません。

書かなくてもいいだけど書く。
理由は書きたいからです。

向上心と言えば聞こえがいいですが、やはり一種の欲でしょうね。
私はなまけものですが、欲深いので書きたくなるんだと思います。
何かをやらない人は、欲がない優れた心の持ち主なのかもしれません。

ブログを書くのが偉い訳でも書かないのが悪い訳でもないように、他の事もやってもやらなくてもいい悪いはないと思います。


何が言いたいかというと、暮れの大掃除はやってもやらなくてもいい悪いはないってことです。掃除をしたくならない私は優れた心の持ち主かもしれません。










2015年12月25日金曜日

ニューイヤーレクチャーコンサート 

1月17日(日曜日)10:00〜宮地楽器ホール 小ホール 武蔵小金井駅徒歩1分
                1300円 全自由席


「木管楽器ってなあに?〜ピアノと声楽と一緒に愉しもう!」
                           



クラリネット、オーボエ、フルートの3つの木管楽器のしくみや音色の魅力を、ピアノと声楽と共にソロや珍しいアンサンブルでお愉しみいただくレクチャーコンサートです。


「オーケストラの最初のチューニングはなぜオーボエ?」

「クラリネットとオーボエって同じに見えるけど?」

「フルートって金管じゃないの?」

という木管楽器の説明や

「ピアノは何故楽器の王様?」

「楽器のコンサートになんで声楽が入ってるの?


というお話も。
冬のすがすがしい朝のモーニングコンサートです。
どうぞいらして下さい。

















2015年12月24日木曜日

リスト

「生きている愛しき人々を光で照らし、亡くなった愛しき人々を安らかに眠れるようにすること。それが私の芸術の求めることであり、目的なのです」


とリストさんは言っているそうです。
高尚ですね。さすが「巡礼の年」の作曲者です。
しかし若い頃はモテモテのイケメンでやりたい放題だったようです。生き方って変わるものですね。

あれだけのイケメンですから若い頃のやりたい放題は仕方ないのかもしれません。そんな風になったことがないので、チャラいだのなんだの言いたくもなりますが、困るくらいモテちゃったらそうするしかない、というのがあちら側の言い分でしょう。私だって、一億円現ナマで「どうぞどうぞ、ご自由に好きなだけ持って行って下さい。もう好きにして下さい」って言われたら、せっかくのご好意、一万円くらいもらっておきますね。謙虚な私ですらそうです。それが人情ってもんです。いえ、本当は一億全部もらいますが。
ある意味、あちら側は試されています。
あちら側にしてみたら「苦労なくていいよね、そっちは」ってとこかもしれません。

親は心配したでしょうね、どうなることかと。
まさか上記のようなセリフを言うオトナになるとは思いもしなかったはずです。
自分の子供でなくてもそれはわかります。

経験は人を変えます。
しかしその経験を生かす感性や思考力がなければただの出来事で終わってしまいます。
言うなれば経験が人を作っているようで、本当は感性と思考が人を作るのだと思います。
リストさんはやりたい放題しているように見えて、すべてを実として晩年に至ったのでしょう。

流れに乗ることは大事ですが、感性と思考は研ぎ澄ましておきたいものです。




2015年12月22日火曜日

ターニングポイント

私はいつもとても健康なのですが、この間体調を崩しました。
過去に病気になった事もあります。
しかし思い起こせばそれがすべていい意味でのターニングポイントになっています。


今回は大きな病気ではありませんでしたが、普段がとても健康なため色々考えさせられました。私は忘れっぽいしだらしないし雑で大雑把なので誤解されますが、不真面目なわけではありません。とても真面目です。そしてケチです。ケチなので、機会も手間もお金も決して無駄にはしません。だから困難があった時はそれまでの何かを変えたり逆に継続したり普段出来ない決断をしたりします。宗教に走る人もいますが、困難で大変な時にわざわざもっとめんどくさい宗教に入る訳がありません。

今回も考えました。
自分の事、家族の事、仕事の事、余暇の事、老後の事。
今まで見えなかった自分も少し見えました。

最高の神様は自分の胸の内にいる、と以前生徒さんがおっしゃってましたが、その神様の声は忙しく動いていると聞こえません。
ぼんやりと子供の頃のことや好きだったものなどを思い出していたら、普段聞く事が出来ない神様の声がうっすらと聞こえて来た気がします。


2015年12月21日月曜日

光こそ力

一昨日、スターウォーズの最新作を見てきました。
開始時間を間違えてなんとあのオープニングを見そびれてしまいました。。
がっくり。


誰にでもダークサイドへ行ってしまう危険はあります。
ダークサイドには強力に自分を導いて救ってくれる指導者がいます。
うっかり付いて行きたくもなります。
でもダメです。
考えずについていってはダメです。
ダークサイドは自分を利用するだけです。

人は一人です。
人生に困難があると自分を助けてくれるものにしがみつきたくなりますが、ジェダイでも、家族でも救えないことがあります。
しかし闇の中にも光はあると言ってました。
光こそ自分を導いてくれる指導者です。
ダークサイドから自分を守るのはその光だけだと思います。
光こそフォースだと思います。

光はどこにあるのでしょう?
光は自分の内にあるのだと思います。












2015年12月19日土曜日

だから感動する

人はバラバラと書きました。
でもだから人とのふれあいに感動したり感謝します。
それは当たり前のことじゃないから。

そのはずなのにそのことに慣れて当たり前になってしまう。
あげくに、人はバラバラだからみんな違って自分のことなんて誰にもわかるはずがないのに「わかってくれない!」と怒ったり絶望したりする。

人はみんなバラバラで自分の事しかわからない。
人はバラバラで自分が一番かわいい。
だから自分の事を考える。
だから自分のために助け合う。
だから自分のために愛し合う。

それでいいと思います。

2015年12月18日金曜日

日めくりカレンダー

ポジティブ系とネガティブ系の日めくりカレンダー、どちらか買おうかなと見てみました。どちらも楽しくて笑えます。

でもいつも見ていたら洗脳されそうなので購入はしないことにしました。
私のように流されやすい人間は、人の意見や同じ考えを何度も繰り返し聞いていると、すぐにその気になってしまいます。

迷いは誰にもあります。
だから人からのアドバイスは参考になります。
けれど人の話だけで判断したり、それをあてにしてばかりいると自分の頭を使わなくなってしまいます。
自分で考えなくなります。
自分で考えなくなったら今度は考えられなくなります。
思考を止めると洗脳されます。
洗脳は自分にとって良いか悪いかの区別が出来なくなります。
ある人に良くっても自分に良くなければ何にもなりません。

ポジティブ系カレンダーにもネガティブ系カレンダーにも両方に共通しているのは、作者がちゃんと自分の考えを持っている事です。
本当は、ポジティブでもネガティブでもどちらでもいいしどちらでも同じなんだと思います。
大事なのは、自分で考える力なんだと思います。
人は誰でも失敗したくない。
どうしても一回目で正しいことをしたい。
でも失敗するからこそ自分に合うものが見えてきます。
それが自分の人生を歩く力につながると思います。
人の意見を素直に聞くことも書物で学ぶことも大事ですが、一番尊いのは自分で考える事だと思います。


と自分の身勝手を正当化してみました。
ポジティブもネガティブも自分に合ったものを適度に都合良く取り入れようと思います。
















2015年12月15日火曜日

人はバラバラ

「『人間は一人一人バラバラ、だから永遠に分かり合えない』とテレビである哲学者が言っていました」と75歳の生徒さんがおっしゃいました。そして「私もそう思います」と続けました。


最近の流行りの考え方は『人は皆繋がっている』ですから、この考えは今風ではありません。その方は楽しくて親切で明るい方。以前「なぜ怒ったり苛立ったりしないんですか?」と聞いたとき、「人に何も期待してないから」とお答えになって、ああ、そうかっ!て納得しました。
期待はなんだかいい意味で使われますが、ちょっとうさんくさいと私は思っていました。
スポーツ選手に期待したり、子供に期待したりって、なんだか人の力で楽しむみたいなところがあります。期待って簡単なんです。人に夢を託せるから。自分の手で道を拓かなくていいから。自分で考えないですむから。期待は実はとても利己的で他力本願な言葉のようにうっすらと感じていました。


人との交流はとても大事です。
人間関係は音楽でいうなら調和、ハーモニー。一番重要な要素であり、潤いであり美しさです。
けれどその方がそう思ったように、私もその「人間はバラバラ」というものに核心的な真実を感じます。

期待は投げかけている関係。
一方ハーモニーは引き立て合っている。
連弾でも自分のパートをしっかり弾けていなければ相手のパートを引き立てることは出来ない。

人間はバラバラ、だからこそ調和を欲し調和に幸せを感じるのかもしれません。
「人間はバラバラ」と言ってくれた哲学者と生徒さんに何かホッとするものを感じました。











2015年12月12日土曜日

時代とレベル別ピアノ曲

今準備中の「弾ける原曲」講座についてです。

初心者☆、初級☆☆、中級☆☆☆の難易度別のプログラムを時代別にご紹介します。
作っている私たちもとっても楽しくそして更に勉強になってます。
今回、上級の曲はありませんが、音楽史を学んだことがないという上級のかたもいらして下さると勉強になると思います。

なぜ音楽史を勉強するのか。
様式美があるからです。自由なイメージのジャズにだって型があります。クラッシックは歴史が長いのでそれぞれの時代の型=様式を理解することがとても重要なことになります。
そしてもちろん音楽の世界にも政治やジェンダーは影響しています。いつの世も大事なのは「時代」です。

「ロマン派は好きだけど古典派は弾きたくない」「バッハは簡単そうなのに難しい」という話はよく聞きます。これは音楽史から考えると当然のことなのです。ロマン派は直接感情に訴えかける時代。バッハはそれまでの音楽を追求し頭を使う対位法を確立させた人。

音楽史だけでももちろん面白いのですが、それを自分に弾けるくらいのレベルで実感していただき、更に自分で弾きたい曲を見つけ、更にそれを時代的にはどう弾けばいいか理解する、という充実っぷりです。


12月20日 、小金井で。
お待ちしております。

info@hajimetepiano.orgお問い合わせ&お申し込みはこちら














2015年12月10日木曜日

しあわせになりたい

電車の中で女子大生風の2人がお話していました。
「昨日はすごい楽しかったね!また行こうね!」「あそこ美味しかったからまた行きたいね!」「あれすごくかわいいから欲しい!」「気に入ったものに囲まれてると幸せになるよね!」「幸せになりたいね〜」「でも今月はカードの支払いっぱいだから来月かなぁ」「バイトやだな〜、やめたい」

それはもうキラキラ話していましたが、カードの支払からバイトの話にかけてはディミヌエンドぎみでした。
楽しく暮らす、が現代のキーワードでしょう。
「しあわせ」という言葉もそのようですね。
家事も便利になってますます楽しく暮らしたい、幸せになりたいと思う方は増えていくでしょう。

現代は楽しく暮らすを通り越して快楽主義です。
「いやいや、我慢して朝から晩まで働いてるし。我慢して上司や同僚と付き合ってるし」と言う方も多いでしょう。
自覚なき快楽主義ですね。

忙しい。面倒くさい人間関係。やりたくないこと。ストレスがあり過ぎて、快楽でバランスを取っちゃってる気がします。
「自分はこれだけ我慢してるんだからこれはご褒美」と。
私は思います。
快楽のために我慢して働く、我慢して働いた分消費する、飽食するというのは、自分や物や食物を犠牲にしていると。本末転倒だと。

大昔、消費が出来ない頃の幸せってきっと本能を満たすことくらいだったでしょうね。
満腹でなくても空腹じゃなくなったというだけで幸せ。
そうだとしたら、今の日本の人のほとんどが幸せです。
我慢して働いたりそのお金で楽しい体験を買わなくても、本当は幸せなのかもしれません。

と言っても、ピアノだって表向きは自己の向上ですが、それのために他を犠牲にしていたらそれは快楽追求でしょう。
私はこの消費と快楽追求に憤っていますが、流されやすく世間体を気にする性格に加え、自分にとても優しいゆえ、何をどうするわけでもありません。というより完全に享受しております。何も抵抗出来ない本能のままの自分が悲しいです。

人間の欲が底なしなのは本能ですが、底がないのはなんて罪なことだろうとつくづくと、我ながら思うこのごろです。





2015年12月8日火曜日

それだけで美しい

男子フィギュアは高橋大輔選手の引退はとても残念でしたが、日本選手の層は厚く変わらず楽しいです。羽生結弦選手はもう君付けで呼べないほどのカリスマになりました。宇野昌磨選手は初々しくダイナミックで釘付けになります。

でも私はやっぱりパトリックチャン選手のあの流れるようなスケートが好きです。
ジャンプしなくてもそのままでキレイ。
「自分の個性を大事に滑りたい」と言っていました。
シンプルな音楽とシンプルな衣装もチャン選手のその決意を物語っている気がします。
別のところを目指している気がします。

滑るだけで美しい、というのはピアノで言うとスケールだけで美しいということでしょうか?憧れますね。ピアノの音色の最大級の褒め言葉は「転がる」です。
何重にハーモニーが重なってもシンプルな音が響き合う。
私はそんなピアノらしい音が好きです。

もうすぐフィギュアのグランプリファイナル、
日本の選手を応援しつつ、チャン選手の滑りも楽しもうと思います。


2015年12月6日日曜日

原曲を弾こう!

以前はじめてピアノの会で「小さな曲の大きな魅力」というミニレクチャーを、弾き合い会の時にしました。
それが大変好評を頂きましたので、今度は2時間たっぷりの講座として開催します。

今その準備中です。
クラッシックは時代によって弾き方が違うので音楽史を追いながらその時代の特徴をお話しつつ、時代ごとに初心者、初級、中級の方が弾ける知られざる原曲をご紹介します。
音楽史を学びながら知らない曲を知って自分で弾きたい曲も見つけてもらおう!という話です。

なぜ原曲か。
大人の方はどうしても知っている曲の中で選びがち。でも知っている名曲って簡単そうに聴こえるけど、弾いてみるととっても難しくて手に負えない。そこで易しくアレンジしてあるものを選ぶ。でも易しいアレンジは、弾きやすさを優先するばっかりに止むを得ず和声的におかしな音も使わざるをえないのです。

その点、原曲は何百年も残っているだけあって、易しい曲でも作曲家が難しい理論や感性を駆使して作ってある。駄作ももちろんあったでしょうがそれらは長い年月の間に淘汰されています。印刷も出版も高価だった時代、ちゃんと後世に残っているというのはすごいことなのです。なのでピアノを学習している方には、是非ピアノ曲の原曲を弾いて欲しい、という願いが私達にはあります。


講座は小金井、千代田、練馬、松戸で開催予定です。
まずは小金井12月20日日曜日午後。他の地域は日程が決まり次第連絡いたします。
是非お気に入りの一曲を探しにいらして下さい。

info@hajimetepiano.org☜お問い合わせ、お申し込みはこちら

2015年12月5日土曜日

チェルニーが好きになる

子供の頃、チェルニーが大っ嫌いでした。
おまけの丸だけで進んでいました。
なのでチェルニーはやらなかったも同然です。

それが最近チェルニーが好きになりました。
アーティキュレーションでごまかすのでなく、音色や正確なリズムで聴かせるにはこれが必要だとようやくわかりました。大人になった気分です。
歌手でも、へたくそな人に限ってこねくり回して必要ないところで声張り上げたり歌い込んじゃったりします。
私の事です。
恥ずかしくもなくよくやってたと思います。

そして、現代の音楽の洪水の中にいると、古典の機能和声がとっても新鮮で本質だと感じます。

シンプルイズベスト。
音楽だけで聴かせられる音楽。
体を揺らさず顔も変えず(笑)なのに音楽だけでキレイ。

耳を澄ましてチェルニーを弾くと、見栄や虚飾が削ぎ落とされていく気持ちがします。



2015年12月3日木曜日

青春のころ

青春と言われる時代ってけっこう色々な悩みがありますよね。将来のこと思い悩んだり自分のコンプレックスに悩んだり。
でもそれも青春、といいますね。

すがるほどの過去の栄光なんて微塵もない私が最近過去を振り返っているのは、これからどう生きていくのがいいか、未来計画を立てようと思ったからです。

「あの頃人生のどん底って思ったよな〜」と昔を懐かしんでブログを書いたその日に体調を崩して妙な事になりましたが、おかげさまで大きな病気ではありませんでした。お騒がせ致しました。今回お休みしたことで、体や心の弱い方の気持ちが少しわかりました。
偉そうな事言ってて反省しました。すみません。


さて、今回の休養で、現在、未来に対する考えを少しだけ見つめ直せたように思います。
いつもの自分でない自分がやったことが一番自分らしかったということがありました。仕方ないと思ってやっていたことが、一番やってよかったという事もありました。そんな事を思いました。

だから、今一番避けていることが一番望んでいることかもしれませんし、すごくやりたいと思っている事が実はそんなに大切じゃない事だってきっとあります。
見極めと決断が必要です。
自分の事だけでなく周りのことや諸条件も含めて。

あと30年後、生きてたら今の自分をどう思うでしょう?
私の事なので後悔は必ずあると思いますが、それでも「やっぱり良かった〜」と思える過去になるよう、もう少し身の振り方を考えてみよう、と思っています。












2015年12月1日火曜日

最後の一本

なんのことってもちろんきゅうりです。
寝込んでる間に大きくなり11月末に収穫しました。
正確に言うと収穫してもらいました。
最後の一本、自らハサミを入れることが出来ず非常に非常〜に残念でした。
またこちらのブログにアップ出来ず、最後の勇姿をお見せ出来なかったことも残念です。

この夏はきゅうりにすっかり楽しませてもらいました。
その上、食させて頂きました。
半額で購入した一本の苗に30本のきゅうりが実りました。

きゅうりさん、楽しみを、命をありがとう!

2015年11月30日月曜日

またよろしくお願い致します

少し体調を崩して仕事をお休みしていました。
ようやく体調が良くなってきました。
ご心配下さった皆様ありがとうございました。
もう少ししたら仕事も再開していこうと思います。

私は真面目ですが、根性ないし体力ないしものぐさなので、元からムリはしていません。
今回もムリしたのではなく年齢的なものやら時期的なものやらです。これも生まれ持ったものですから仕方ありません。体力も能力のうちですね。
今後もムリせずちょびちょびやっていきます。
仕事再開に先がけて、こんなブログですが、読んで下さる方がいることがとっても嬉しいので、ちょびちょび書いていきます。

またよろしくお願い致します!

2015年11月16日月曜日

人生終わったという気持ちのとき

あー人生どん底だな、、と思った経験が私にもあります。
にも、というのは一度もそう思わない人なんていないだろうと思うからです。
以前、いつも明るい生徒さんが「何もない人なんて一人もいないの、みんな言わないだけ」とニコニコしておっしゃっていました。

だからどん底、と思ったとき、私だけが特別なわけじゃないと思えました。
今がその時かぁ、と思えました。
ただだからって辛いときは辛いですね。
そういうときの解決方法はたった一つ、と思います。
ベストを尽くして天命を待つ。

一言でカンタンに言ってみましたが、カンタンではありません。

ベストを尽くすと言っても何がベストかがわかりません。まずは自分に正直になって、自分がどうしたいか気持ちとしっかり向き合わないといけないですよね。人は結構自分に嘘をついているものです。
尽くすとは何かというと、行動することですよね。でもこれには相当の勇気と体力、気力が必要です。それを尽くすというまでやり切る。
天命とは結果です。
待つとは何か、時間ですね。

まとめるとこうです。
「心から自分が良しと思う行動を勇気を持ってして時間が解決するのを待つ」

いやいや、難しい。
どん底の時はそもそも何もやる気にならないんです。
そして自己否定が強くて冷静になんてなれないのです。
天命を待つというのも辛いです。余計なことをジタバタやって事態を悪化させるのが人生の中で一番得意な時期です。

ではどうしたらいいか。
無理矢理勉強するのが一番です。
創造的なことや心の勉強ではなく学生時代のような机に向かう暗記の勉強。
なんとかやり過ごすにはこれです。

私はあーどん底、何にもやる気しない、自分には価値ない、と思った頃イタリア語を勉強しました。
NHKのイタリア語講座のCDや他にもイタリア語会話のDVDやテレビの講座や。名詞も動詞も変化形が超難しいので紙に何回も書いてお風呂に入るときも持って入り電車の中でも覚えました。家ではいつも発音してました。そのうち、ものすごく楽しくなってきてすっかりイタリアにハマり、歴史やイタリア料理にも懲りました。もちろんイタリアには行きました。合間に数独などもしました。

同じ頭を使うのでも、イタリア語を覚えたり数独をしたりすることは悩むことときっと対極なんだと思います。悩むことはとてもクリエイティブです。今までのやり方では間違えたから問題が起こった。それをゼロに戻して新しい発想をする。そのバランスをとるためにもテスト勉強みたいなのがいいようです。

その頃のことは「自分ではあれってどん底って思ったんだよな〜」と、懐かしくなるくらい小さな、そして貴重な経験になりました。


時が過ぎれば小さなこともその時悩むのは苦しいです。でも考えないで苦しまないでその場しのぎのことをしてしまうと悩みは悩みのままです。だから一所懸命考えて一所懸命行動して、その後はほっとく。
そうしたら望み通りの結果にはならなくても、後々『こうなるためによかったんだ』というように人生は流れていくんだと思います。
私の人生なんてたいしたことありませんが、真面目に生きているといいことがある気がします。私にとっての真面目さとは「真摯に考えること」「真摯に行動すること」です。

La Vita e bella=人生は美しい
話しているだけで音楽のようなイタリア語、それに救われました。















2015年11月15日日曜日

楽譜の秘密

楽譜ってすごいですね。
よくあそこまで効率的にたくさんの情報を密度濃く圧縮出来たものだと感動すらします。

でも解凍の仕方を知らないと、せっかくのたくさんの情報も受け取れなくなってしまいます。


楽曲分析とは、楽譜の秘密を読み解くことにかかってきます。
楽譜の秘密を知ると楽曲分析が容易になります。
音の高さだけでない楽譜の読み方を学ぶと、作曲家の思いをさらに汲み取れます。

楽譜には秘密がいっぱい。
たまにはピアノの前だけでなく机の上で、ソファに座って、こたつの中で楽譜を見てみて下さい。




2015年11月14日土曜日

あんまり捨てません

私はあんまり捨てません。

ケチなのでもともとあんまり買いません。ケチなので買ったからにはあんまり捨てません。ケチなので生ゴミですら肥料として菜園に使っています。タダでは捨てたくありません。

来る者は拒まず去る者は追わず。これは私のポリシーですが、人間に限って。人間は自分の意思で行動出来るので本人の意思を尊重しています。
しかし物は勝手に行きたい人の所に行けないし、去りたくても自分で動けません。

自分のところに自分で持ってきたものは責任を持って出来る限り大事にしたいと思います。

2015年11月13日金曜日

自分とは

人前で上がるのは自分を良く見せたいから、と言われます。
よく見せたいんじゃなく普段通りにやりたいだけ、と思います。
でも、それがそもそも良く見せたいってことなのかなと最近思うようになりました。


本当の自分を知って欲しい、って人がいう時、間違いなく自分をいい人だと思ってます。
「他人は自分を誤解している、本当の自分はこんなにピュアなのに」と。
確かに誤解というのはあります。よくあることです。
 しかし自分は気づいてないけど人はわかっている自分というのもあります。

自分の顔や姿を鏡や写真で見ても本当のところどうなのかわかりません。
自分の声って本当はどんな声なのか自分では聞けません。
実は自分より周りの人の方が、自分の顔も姿も声もそしてその行動で本当のその人を知っていることも多いのです。

それと同じで、ピアノも弾いている自分より聞いている人の方がその人のピアノをわかっていることもあります。
本番では間違えるというのを含めてが本当のその人のピアノ、認めたくはないけれど『普段は出来ていても本番では間違える自分が本当の自分』という気がします。


私は「去る者は追わず、来る者は拒まず」のスタンスですので、てっきり自分は受け身な人間だと思っていました。
しかし、よくよく考えたら、というか最近人に言われ気づいたのですが、男女に関わらず去る者は追いませんが、人間関係はほぼ自分からアプローチして築いていました。
そして、自分が去りたい時は全く執着せず駆け引きゼロでさらりとドライに去っていました。
私は、本当の自分はか弱い三歩下がった女だと思っていましたが、そうでないことを認めざるを得ません。どんなに本当はピュアだ、受け身だと言ったところで、他人にはどっちでもいい話です。実際はそうでないんですから。
私にもなかなか積極的になれないところは多々あります。それは自分で必要以上に現実以上に自覚しているのでよくわかるのですが、逆の自分はその意識が全然なくやっていたので不思議なものでこの年になるまで全く気付かなかったんですね。

普段は出来ているという自分と本番では出来ない自分、これは両方その人なんだと思います。受け入れている自分と到底受け入れがたい自分。それが『普段通り』そのものなのかもしれません。

自分を知るのは自分がラクになるため。
本番で間違えなくなる自分に近づくには、やはりそんなどちらの自分も認めた上でのチャレンジあってこそだと思います。










2015年11月12日木曜日

聞こうとするこころ

人のピアノを聴いている時は、あそこの間をこうした方がいい、テンポはこうした方がいいってわかるのに、自分が弾くとなるとそれが全然出来ません。
テクニック的に弾けないというより、間を待てないなどテクニックと関係ないところでそれが起こります。

弾くことに一生懸命になっていて、耳が閉じてしまっているのが原因だと思います。先を弾くことばかりに気持ちが先走ってしまうと今どんな音が鳴っているか聞けません。自分の音が聞こえていないと遅れるとか休符が短いとかが起こってしまうのです。


何でもそうですが、100%理解することは出来なくても、理解しようとすると向こうから少し近寄って来てくれます。
聞こう聞こうとすると少し聞けて来ます。
自分が主張することばかりに夢中になっていると現実が見えないですね。


耳も心も、受け取ろうとする気持ちでいようと思います。

2015年11月11日水曜日

最後から2番目と3番目

毎日1ミリくらいづつしか成長しませんでしたが、
ここが限界かもしれません。

今日の朝収穫しました。


         美味しくいただきました。ごちそうさまでした。

2015年11月10日火曜日

カデンツを覚える意味

はじめてピアノの会ではカデンツを覚えます。
大人の方は音で和音を判別するのはとっても難しいので、和音の判別そのものが出来るようになることは目指していません。
では何故やるかというと理由があります。

一つは伴奏づけをするためです。
簡単な和音の伴奏がつけられると楽しみが広がります。
これは感覚だけでなく理屈も伴っているので大人の方は得意です。
メロディを見て、コードトーンからここはC、ここはG7と考えていきます。最初は戸惑っていますが慣れればすぐ出来ます。

二つ目は、和音を判別しようとすると音を聴こうと集中すること。
曲を弾いているとき、だいたいの方が実はしっかり音が聴けていません。
でもこの音はなんだろうと判別しようとすることで「聴く」意味がわかってきます。

三つ目は、鍵盤をポジションで取ることです。
ピアノの特徴はハーモニーを奏でられること。そのためには一音一音たどって行くのではなく、ハーモニーとして塊で捉えることが大事です。
左手の音がドだったとしてもドミソのドなのかラドミのドなのかファラドのドなのか、それを捉えることが必要です。くく

4つ目は、ベースを理解すること。
ピアノはメロディも伴奏もベースも奏でています。3つ目が出来たら、一番の根っこベースで音楽をしっかり支えることが大事です。

色々な意味があるカデンツの練習。
日本の民謡と違ってアンサンブルが基本の西洋音楽。
歌を歌うにしても日本人は斉唱が好き、西洋人は合唱や重唱が好きです。
日本人はメロディを追ってしまいますが、西洋人はハーモニーを追うそうです。

カデンツを学ぶのは何より西洋音楽に慣れるため、と言えます。








2015年11月9日月曜日

子供の理解力

最近のお母様お父様は小さな子供でも納得するよう、言葉で、噛み砕いて説明しています。


コンサートで3歳くらいの子がのどが渇いたので何か飲みたい、飴は持っていないかとお母様に聞いていました。お母様は耳元でささやきジェスチャーで何度も「しーっ」としながら、「ここではしゃべってはダメよ、飴はあとで買ってあげるから」と目で語っていました。でも子供はそれがわからず、声に出してのどが渇いた、ジュース、飴と何度も繰り返していました。泣きわめいていた訳ではありませんが、咳一つが響くホールでは座席の端まで聞こえています。子供としては伝わっていないと思って何度も言っていただけだと思います。

レッスンで練習をして来ない子の親御さんが「言っても練習しないので話し合った結果、子供が自分でやめるって決めましたのでやめます」とおっしゃっていました。


どちらも理解のある親御さんですが、子供を大人扱いし過ぎです。
と言っても大人でもわからないことはわからないのですが。

マナーや決まり事は「何故そうなのか」わかるようになってからではもう身に付きません。
ピアノの耳作りもそうです。和音など理屈がわかるようになってからではもう遅いのです。

私は偏屈なので、理由のない事はやりたくない、納得出来ないものはやりたくないのですが、しかし父や母に「そうしなさい」と言われ反発しながならやってきたことが今になってとても役に立ってて「あ〜危なかった、自分で決めてたら何にもやらなかった、ヤバイヤバイ」と思うこと多々ありです。字は丁寧に書きなさい、と言われた事も守れば良かったです。今からでは遅し、乱筆が身に付いてしまいました。


あくまで一般論ですが、理由がわからないけどやる必要のあることは、わかってもわからなくても習慣づけたほうがいいですね。子供は感性では天才です。でも知力はまだまだです。何より経験がありません。
「子供の頭ではわからない事もある。大人になってからでは遅いから」という姿勢も大切だと思います。

まあ、子育ては言うは易し行うは難しですね。親は冷静に客観的に教育出来ませんから、大変です。
コンサートの時のことで言えば、喉が渇いちゃった子供をその場で納得させることは出来ません。まずは抱いて急いで外に連れ出す。理解させるのは外で。これが子供に教えるべきマナーです。









2015年11月8日日曜日

食生活

最近食生活を改めました。
少なめです。
ダイエットではありません。

以前は食べたいものを食べたい時に食べたいだけ食べていましたが、ようやくこれは節操がないと気づきました。一時ダイエットした時は『痩せたい』という思いでしたが、そもそも痩せたいって思うまで食べるってどうなの??ってようやく気づきました。食べるとはどういうことなのか考えたら今まで間違っていたなあと思いました。

外食もあまりしないようになりました。
お付き合いでは行きます。私の主観を人に押し付けてもなんですから。
グルメ番組は観る気になれません。
この間まではメモってました。

私は欲の塊ですが、バランスってものがありますね。
欲はありますが理性も少しは使わないと。

感謝して今日も美味しくいただきます♪



2015年11月7日土曜日

七五三

もうすぐ七五三です。
私には関係のない行事ですが、いつも羨望の眼差しで見ています。
千歳飴です。
千歳飴というのはどうしてああなんでしょう。
子どもに長生きして欲しいという意味から長い飴にして千歳とつけたそうですが、いつ見てもそそられます。カンジいいです。魅力的です。

あの袋が特にカンジがいいのです。郷愁を誘われます。
かといって私があの袋を持って歩くのは若干、、いや相当の抵抗があります。私は人の目をとても気にする性格です。

今の時代、飴ごときで喜ぶ子供もいないかもしれませんが、あの袋は是非次の世代にも受け継いでほしい伝統です。

2015年11月6日金曜日

仕事と趣味

私は仕事と趣味が同じです。
趣味は他にもあるので趣味の一つが仕事と同じ、というのが正しいでしょうか。

今日お会いした社長さんがあと1年で引退するとのこと、「今まで頑張って来たからこれからは好きなことをたくさんしようと思う。ワクワクするな〜」とおっしゃっていました。それを聞いて「私はずっと好きなことしているんだ、、」とこんな人生を送っていて申し訳ないような、思い直してこんな人生を送れることが有り難い気持ちでいっぱいになりました。

自分で仕事としてやっているのか趣味でやっているのかわからない時もたくさんあります。イベントが終わったときに「先生はさぞお疲れでしょう」と言って下さいますが、いやいや一番楽しいんでますからって感じだし、このあいだの感謝コンサートのあとも講師の先生と「終わっちゃってなんだか寂しい感じ」と笑い合ったり。またレッスンで人生の先輩の体験談を伺えるのもとても楽しんでます。

私は住宅展示場でちょっとアルバイトをしたことがあります。
憧れの仕事だったし社員の方がとても親切でそのときもものすごく楽しかったです。
仕事が大変だったのは新卒の3年間のリトミックのときです(笑)。
でもあれはあれで超勉強になって、あれがなかったら今の私もなかったし。
たった3年でしたが、貴重な経験でした。


もし私がこの仕事を続けていいのなら、もっともっと楽しい思い出を提供出来るよう頑張らないといけないなと思いました。私がこの仕事をさせていただいている意味を今一度考えたいと思います。


















2015年11月5日木曜日

CM

以前のもものすごーく良かったです。
今回のもすごーくいいです。
比べると前の方が好きですが、でも今回のも他のCMに比べるとものすごーくいいです。
以前のは男の人と全く同じ動作をしてました。お風呂に入ったりお昼寝したり。そして恋人が出来ます。ほんといいCMでした。
今回のはおばあさんがお留守の時にお友達をたくさん呼んで好き放題するお話です。
おばあさんが戻ってきたらまたおりこうさんに戻ってます。
その時の甘えた顔がとってもかわいいです。

どうやって演技指導してるんでしょう!?
不思議です。
窓を買う時はYKKにします。

2015年11月4日水曜日

クラッシックという文化 2

西洋音楽はもともと西洋の日常から生まれています。
が、誰が作り支え伝えて来たかというと、ズバリ選ばれた一部の人たちです。芸術は人類全員が楽しむためにありますが、作り支え伝えてきたのは頂点の一部の人たちです。
作曲家、演奏家はもちろん貴族や経済人など、選ばれた人たちです。

「そんな特権意識があるからクラッシックはヤなんだよね」と言うのは早とちりです。
自分が特権意識がある訳でも自分が優秀な訳でもないのです。
ただ何百年も前の音楽がこうして楽しめるのは、それを守り発展させ伝えて来た人たちのおかげであり、何故そこまでされたかというとその価値を多くの人が認め残したいと思って来たからです。

つまり選ばれた人たちが作り守り伝えてきた美しさを平民で凡人の私などが享受出来るのがクラッシックなのです。そしてそれをより愉しむには少しでも多くその文化を知ることです。その方が本質の美しさに近づくのです。
私たちは音楽を楽しいと思ってやる事が出来ますが、クラッシックの作曲家や演奏家は『音楽って楽しい』という情緒的に作業をした人ではなく、人生をかけて命をかけて音楽をした哲学者です。有り難いものです。

せっかく日本に入って来てくれたクラッシック、カステーラ同様、存分に堪能したいものです。



2015年11月3日火曜日

クラッシックという文化 1

憧れのあの曲をピアノで弾きたくて「はじめてピアノの会」にいらした方は、歌だ、オペラだ、弦楽器だ、木管楽器だ、リズムだ、基礎だ、なんだかんだといわれて不愉快かもしれません。


ピアノの会なのにオペラや他の楽器をご紹介する大きな理由はピアノがオーケストラや歌を奏でる楽器だからと言うのが一つ。
そしてもう一つ「クラッシックという文化を知る」こと、です。

クラッシックをピアノだけでわかろうとするのは、寿司だけで日本食を語ろうとするのと同じです。そば屋の親子丼がおいしいのはそばつゆというと文化があるからです。外国人にはちゃんと天ぷらも煮物も食べて欲しいし、そば屋ではごはんものもおススメだということを忘れないで欲しいです。
家やカラオケで演歌しか聞かない、歌わない方はなおさらクラッシックの文化知ってからピアノを弾いた方が上達します。同じ音楽でもカレーうどんのカレーとインドカリーwithナンのカレーとホテルのカレーwithバターライスのカレーは全く別物です。

要するに日本と西洋というように地域が違うと、間合いや拍子の感じ方が全然違うのです。演歌に3拍子があるかどうかわかりませんが、クラッシックにはヨーロッパ独自の拍やメロディー、ハーモニー、呼吸があります。また、クラッシックの楽器自体が長い期間を経て発展してきた芸術なので様々な楽器の特徴を知るのは、右手左手一人アンサンブルのピアノ奏者にはとても必要なことなのです。

郷に入ったら郷に従えと言いますが、郷を知らずして郷には従えません。
北海道の方が東京に住むなら東京のゴミの捨て方を知らないといけませんね。
クラッシックをもっと楽しむためにクラッシックという文化をどうぞ楽しく学んで下さい。








2015年11月2日月曜日

ショパンメドレー

フィギュアのパトリックチャン選手のフリーを見ました。

今年から歌の曲を使って良くなりましたが、チャンさんの使ったのはピアノ曲。ショパンメドレー。
そのスケートと音楽が本当に合っていて、シンプルイズベストのフリーでした。

ピアノもそうですが、強弱があるほど劇的で目を奪われます。もともと映画だったりオペラだったりするとお話が思い浮かばれて直接心に入ってきます。超絶技巧の早弾きと同じで激しいステップやジャンプばかりに注目します。
逆に言えば、劇的でなく具体的でないものは伝わりにくい。

それなのにこんなに美しく魅了する。ほんとうの美しさが際立ちました。
フィギュアは「演技」と言いますが、スケーターはつくづく役者ではないと実感しました。

ピアノも顔とフリで弾きたくなりますが、フィギュアがスケーティングで魅せるようにやっぱり音色が勝負でしょう。
背筋を伸ばしてただスッと弾いただけで美しい音を出せたら、、、。

何かと大げさな私の目指すところです。

2015年11月1日日曜日

ピアノは認知症予防になるか

なる、と言われているようです。

確かにピアノの生徒さんは皆様認知症になっていません。でもそれは続けている方であっておやめになった方がどうかはわかりません。私は、ピアノを弾いているから認知症にならないのではなく、難しいと思うピアノにチャレンジし続けるから認知症にならないのだと思っています。難しい事をやるという選択をしている方々だからだと思っています。

そこに上手下手は関係ありません。
その証拠に認知症のグループホームの方々のほとんどが大きなお声で歌詞を見ず上手に抒情歌を歌えますし、子供の時弾いた難しい曲をパラパラ弾く方もいます。

でも新しい曲や新しい歌を、簡単な曲でも、練習して出来るようになろうとはしません。


ピアノを弾くには色々な事を同時にしなくてはいけません。
ト音記号ヘ音記号別々の読み方を同時に。
音の高さと音の長さを同時に。
拍子とフレーズを同時に。
右手の何番の指、左手の何番の指と別の手、別の指を同時に。
左と右のペダルを同時に。
これら「すべて」を同時に。

上記は歩きながら計算する程度のことではありません。日常では全くしない事をわざわざ、すべて、同時に、行わなくてはいけません。

更に。ここからが肝心です。
そこに心を入れるのがピアノ。そこまででも精いっぱいなのに、ここは悲しげに、ここは軽やかにというように魂を吹き込む。
頭と身体ともう一つ心も同時に使うのです。

書くとほんと難しそうですが、やるともっと難しいです。
そして発表会では、この非常に難しいことを、とてつもない緊張の中で集中してやる。
間違えたらその場で即時修正する。

こんな難しいことみんな出来るのか、というと出来ません。
出来なくてもいいのです。この難しいことをやろうとするかどうか。
これは並々ならぬことです。そこまでやるのはほんとうに大変なことです。
冷蔵庫に何取りにいったか忘れたり今会った人の名前が思い出せなかったりする(笑)、そんなお年頃なのに、です。

でもピアノにはそれをやろうとする力があるんですね。
なぜこんな大変な事をするか、やれるかというと理由は音楽が美しいから。
美しいものに心動かし、そこに向かう過程を楽しいと思える。

ピアノが認知症予防になるというよりピアノを弾く人が

・楽しみと美しさのために努力したいと思えるから

・人と比べず自分を認めているから

・そのために努力するから

だから認知症にならないのだと思っています。










2015年10月30日金曜日

ハロウィン

楽しむ事は人生に必要でしょう。
でも楽しいってなんだろうと思います。

その昔、お祭りは地域の人たちにとって年に一度の楽しみでその日は騒いで歌ってごちそうを食べました。またテレビで「昭和の始め小さな劇団の劇を年に1、2回見るのが何よりの娯楽だった」と言っていた方がいました。

経済というのは恐ろしいものだと思います。
人間の欲を刺激して消費を促しまくります。

人がなぜお金稼ぎが必要になるかというと、今の時代それは消費したいからです。

消費したい→消費するお金が欲しい→お金を稼ごう→あの手この手で他人の欲を刺激する→お金が手に入る→消費する→もっと消費したい→レベルアップしてふりだしに戻る

経済ってこういう事ですよね。
どの段階をとってみても成熟した発想じゃないのにまかり通っている。
人はパンのみにて生きるにあらず、ですが、楽しみはなんですかというとアドレナリン任せの本能のまま。楽して楽しいこと。

と言っても自分もその中にどっぷり浸かっています。
私は自分に優しい性格です。
批判は口だけです。
人間てしょうもないですね。

でもとりあえず、日本のハロウィンは無視します。






2015年10月29日木曜日

2015年サロンの会終了


銀座 飛雁閣にて




今日で2015年のサロンの会が終わりました。
はじめてご自身満足のいく演奏が出来たという方が何人かいらっしゃいました。
何年も足掛けで、ようやく努力が実を結んだ感じです。

感動する演奏というのは、私が講師だからではなく、皆様が一様に感じられます。
終わった直後は安堵感でいっぱいですが、お家に帰って自分の演奏を省みて、またプログラムを見ながら他の方の演奏を「あの曲よかったな」「あの演奏感動したな」と思い出すようです。

ピアノは地味な事をする以外、魅力ある演奏には辿り着きません。
しかし自分でやっていると、「こんなのやってもやらなくてもどうせ誰にもわからない、譜面通りに弾けてればきっとよく聞こえる。上辺の強弱だけ付いてればよく聞こえる。ピアノは楽しむものなんだからめんどくさい事はやらなくていいや」と思いがちです。

でも今回、やっぱり極めるだけの事がある、と思いました。
自分の演奏に満足するというのは、「運良く上手くいってラッキー」じゃなくて「練習した甲斐があった」というもの。
練習は裏切りません。
もし結果が出ないなら、まだ期が熟していないか曲が難し過ぎるため。
感動は曲の難易度には関係ない事もわかりました。


終わったら、ちょっとレパートリーを離れてもう一度基本に帰るのも大事です。






2015年10月28日水曜日

ずいき

ずいきを知らない方も多いようです。里芋の茎です。
お料理の好きな母がよく使っていました。美味しいです。大好きです。
ずいきは薄い皮を手で剥いて干します。
今日のようなお天気で湿気が少ない日は絶好のずいき日和です。

お天気で湿気が少ないずいき日和の今日ですが、明日はサロンの会の最終日、ずいきを剥いてはいけない日です。ずいきは紫なので皮を剥くと指先が紫になります。爪の間にアクも入って取れません。ドロじゃないのでピアノの鍵盤は汚さないんですが汚れるイメージだし指先や爪の間が紫になってかっこ悪い感じです。

しかし!
朝、図書館に行く途中、JAでずいきを発見してしまいました。
買ってしまいました。
剥いてしまいました。
指先が紫になりました。
爪の間にアクが入り洗っても取れません。
軍手をしましたがダメでした。
ゴム手袋をすれば良かったのでしょうか?


農業とピアノの両立は難しいです。








2015年10月27日火曜日

木枯らし一号

成育中のキュウリが6本あります。
やや大きいのからミニミニまで。

以前は朝起きてみると少し大きくなってて、夕方になるとまた大きくなっていたのが、最近はわずかに大きくなるだけです。

先日は木枯らし一号も吹きました。
日々寒くなる今日この頃、見守りたいと思います。

2015年10月26日月曜日

ヒヤヒヤ

生徒さんが弾いていると、実のところドキドキです。ほんとのところヒヤヒヤです。
いつどこで何が起こるかわかりません。


でも最近は本当に何が起こっても皆様自分で対処出来るまでになりました。
「対処」とはどういうことか、この難しさはピアノを弾いた事がある方しかわかりません。
歌などと違って歌詞を忘れたからラララで歌うとか伴奏の人にフォローしてもらってキリのいいところで入るとか出来ません。右を思い出しても左がどうしてもわからないとかもあります。
そして初心者や練習不足だと、そこをすっ飛ばしてごまかして先に行くことが出来ず、思わず音楽を止めて「なんだっけ?」と鍵盤から指を離しあごに手を当て首をかしげてしまったり。。

心臓の鼓動のごとく音楽は停止してはいけないものなのです。
何故かというと、聴いている人がその方が心地よいからです。
はっきり言えばあごに手をあて首をかしげられると心地悪いのです。
人生もやり直せるなら元に戻ってやり直したいことはたくさんある。
でももしそんな事が出来たら誰も真剣に生きなくなります。
それと同じ。
間違えても何しても1回の真剣勝負をみせることが生演奏の魅力なのです。

先日の弾き合い会で先生が「弾けないところはもう弾けないものとして突き進む」とお話していました。弾けなかったところに構わっていないでそこをすっ飛ばしてどんどん突き進むのはピアノではとても難しいけれど、その力をつけることは、ミスタッチをなくす事よりもっと必要な事かもしれません。
終わりよければすべて良し。
もう途中わからなくなっちゃったら最後の主和音もしくは主音を一個弾いて終わらせちゃう。これは基礎の練習をしていない人には出来ません。


ピアノは一生楽しめます。
自分が楽しいことも大事ですが、いかに周りに楽しんでもらえるかを考えた練習をするとさらにピアノ人生が楽しくなります。
人に喜んでもらうことこそ人の一番の喜びなのですから。








2015年10月24日土曜日

演奏する勇気

今回のサロンの会で私は久しぶりにピアノを弾きません。
9月に弾いたし、色々イベントの準備が取り込んでいて、、というのが表向きの理由ですが言い訳です。弾くと弾かないでは天と地ほど精神的負担が違います。
昨日はサロンの会1回目。
私よりお年上の生徒さんが大勢の前での弾いているお姿を拝見し、そのチャレンジ精神に心から敬服致しました。

演奏家を批評するのは簡単な事です。
特にピアノを弾いた事がない人、まだ弾き始めの人は言いたい放題です。
でも1つの曲をそれも1人で大勢の前で演奏するのはただ事ではありません。
まして年を取ってそれをやる事がどれほど大変な事か、、、。
冷蔵庫に何取りに行ったかも忘れるのに右手左手の音を覚える、緊張すると日本語でさえろれつが回らなくなるのに、人前で正しい鍵盤を弾く。年取ったら指先なんて力が届かなくて普通です。しかもピアノは自分の楽器を持っていけないので、そこにある楽器の特製を掴んでペダルまで付けてそのピアノにあった演奏をしないといけません。

今回のサロンのピアノは鍵盤が重く、dolceの音は撫でただけだと音がしません。
というか音はしているのですが、響きが出ません。
かなり手強いですがある意味、芯をとらえている音とそうでない音の区別が出やすいのかもしれません。そして低音がよく出るピアノなので伴奏の左手が大きい方はバレてしまいますし、メロディの右手が出ていない方は左手ばかり聞こえてしまいます。
弾きやすいピアノ弾きにくいピアノは必ずあります。
弘法筆を選ばずですが、これはプロでもなかなか難しいことです。
ピアノを弾くとこういうこともわかって簡単に批評なんて出来なくなります。

昨日のサロンの会の出演の方の90%は70歳以上。80歳以上、90歳以上の方もいらっしゃいます。よくぞご出演くださったと皆様の勇気と弾かなかった自分の後ろめたさを感じつつ、こんなに努力を必要とするピアノという美しい楽器の魅力を改めて思った初回となりました。

明日は2日目のサロンの会です。


















2015年10月23日金曜日

本を読む

生徒さんが「なんか腱鞘炎みたいなんです。ピアノそんなに弾いたわけではないのですが、、、」と言ってきました。
私は「量の問題ではなく、弾き方が悪い証拠です。弾き方が悪ければ8時間弾かなくても腱鞘炎はなるんです。」と先生らしく答えてみました。
「あ〜、ここに力入ってますね〜、ここはどうですか?こっちは?」とピアノを弾きながら腕を持ってお医者さんの診療のようにも言ってみました。
「あ〜、、。そう言えばそのあたり力はいってます。。ダメですねー。」と生徒さんは反省しました。


翌週「先生、やっぱり違ってました。分厚い本持ちながら読んでたのをやめたら直りました!」。
医者ぶったのが恥ずかしくなったのと、分厚い本を読む、というところにまず反応してしまいました。腱鞘炎直って良かったですね、が一番後回しになりました。
その方はお仕事もとっても忙しい方。でもいつもきちんとした練習をなさっていて、その上「分厚い本」も読んでいる!

最近私はめっきり本を読まなくなりました。スマホと老眼です。
でも本にはスマホでは得られない大切なものが詰まっています。
本を読まないと心も頭も鍛えられない。想像力も創造性もなくなります。
電子書籍は種類、数でまだまだ本に及びません。


反省すべきは生徒さんではなく私でした。次のお休みは図書館にいこうと思います。






2015年10月22日木曜日

サロンの会 in 飛雁閣

いよいよ明日から今年のサロンの会が始まります。
サロンの会は午餐会付き発表会です。

今年は銀座の飛雁閣。
完全予約制の落ち着いた高級中国料理のお店です。
とても丁寧に作られたお料理を堪能出来ます。

発表会前日はワクワクどころか出ることを後悔するくらい緊張します。
でも、思い切って弾いたそのあとには美味しいお料理が待っている。。
目の前の人参目指して頑張りましょう。



2015年10月21日水曜日

理由があるもの

理由があるものが好き


というCMがあります。
私もそうです。
これを選ぶのはこんな理由、これが好きなのはこんな理由、これをやらないのはこんな理由。だから思い入れも出て来るし時間も効率に使える。

昔音楽史を勉強しなかったのは勉強する理由がなかったからですが、今は音楽史を知ると曲の背景や様式がわかり更に音楽がよくなるという理由があるので勉強します。魚卵を食べ過ぎないのは健康のためです。
貯金するのは豊かで穏やかな老後のためです。全部理由があるから出来ます。

たとえばピアノのレッスンをしていると子どもは言われたからやる。でも大人はこれをやるとこんな効果が出るという理由がわかるので、やる気にもなるし目的がはっきりしているので正しいやり方で出来ます。

でも理由って邪魔な時もあります。長年やってみないとその理由がわからないものだと、私の音楽史のように理由がないからやらないってなってしまいます。
和音の練習や音階の練習、ソルフェージュなんてまさにこれです。
曲が覚えられなかったりテンポが定まらないというのも、自分で聴けてなければ理由を理解出来ていないと一緒なので直す事は出来ません。

誰かが「量より質、は10年やってから言え」と言ってました。
その通りです。質がどうなのかは出来た人がいう台詞です。何でもいいからやってこそいい悪いもわかるし修正出来る力もつくのです。
口より手を動かせ、って話です。

効率を重視する私は理由がないものはやらずにその時間をダラダラすることにあてて生きてきました。しかしそれは間違いだったとハッキリ言えます。

理由は必要だけれど、理由がわからなくても必要なものもある。
身をもって知りました。














ふところ

けん玉のパフォーマーの方が「どこがいいところですか?」と聞かれ「必ず失敗するものなので100回に1回しかできない事を10回に1回にしていくこと」」と言っていました。

100回に1回を10回に1回にするって大変です。
必ず100回が10回になる保証も何もない中でそれを目指す。
必ず失敗するもの、と言っているのにそうじゃないことを目指す。

失敗ってすごいリスクです。
人が離れてしまうかもしれない、お金がなくなるかもしれない、けがをするかもしれない、時間を失う、その間に大事なものを失うかもしれない。自分自身の自信喪失が一番怖いです。


そんな風にとらえられるけん玉パフォーマーに懐の深さを見ました。





2015年10月20日火曜日

旅立ちのとき




ふっくら大きくなり過ぎそうなので3本まとめて収穫しました。
はさみを入れるとき「いいのか!?」といつも戸惑い思います。
はさみを入れた時点できゅうりの人生が終わります。
責任重大です。

今日も感謝していただきます。









2015年10月19日月曜日

弾き合い会が終わりました

弾き合い会は定期的にあった方がいい、と終わった後毎回思うのですが、いつも不定期になってしまいます。次回は12月、3月にやりたいと思います(笑)。


今回の野村先生のアドバイスで印象に残った事は、

1、長いパッセージでも小節ごとに区切って練習すること

2、16分音符のリズム替え練習は伸ばしている音で脱力する

3、フレーズの最後の音の処理の仕方

4、手の筋肉


特に私が謎に思っていた先生がミスタッチをしない理由は、上記4番だとわかりました。以前からいい手で羨ましいなあ〜と思っていましたが、やっぱり理由がありました。
努力の証です。
「ミスタッチしないより大事な事がある」というお話ではありましたが、ミスタッチを平気でやらかす私はその話に甘えてはいけません。


ミスタッチなしは1日にしてならず。
昨日は5指のトレーニングをしました。









2015年10月18日日曜日

伝えられないもの

「言葉は非常に大切なときには役に立たない」まどみちお


詩人のまどみちおさんは画家でもありました。
日曜美術館でまどさんの作品を紹介していました。
まどさんの絵は抽象画ですがとても宇宙的だそうです。確かにそんな感じ。
力があります。

まどさんは詩人でありながら「言葉では伝えられないもの」をいつも考えていたそうで、「言葉なんてちゃちいもの」とおっっしゃっていたとか。

言葉と言葉の間にあるもの。。
それをなんとか伝えたくて無理矢理言葉を探す。でも言葉だとしっくり来ない。
それなのに言葉を探してしまう。言葉を信用してしまう。言葉が一番だと思ってしまう。
「約束」が欲しいのかもしれない。
責任の所在をハッキリさせたいのかもしれない。

言葉には限界がある。
そのことを大人は忘れてしまっている気がします。
なんでも理屈を求める姿勢をもう一度見直したいと思いました。

2015年10月17日土曜日

ピアノのお医者さん

なんだかんだと片付かなくて調律を全然していません。


自分が気持ち悪いのもありますが、ピアノに申し訳ない気持ちになります。
変な音の鍵盤を弾くと痛がっているようでかわいそうです。

調律はピアノの病院みたいな感じです。
早いとこ色々片付けてお医者さんに見てもらおうと思います。

2015年10月16日金曜日

曲に飽きる 練習に飽きる

生徒さんがよく「弾けてないのにこう言うのもなんですが、飽きちゃって、、、」とおっしゃいます。


その気持ちすごくわかります。
でも実は逆なんです。
「弾けてないのに飽きる」のではなく「弾けてないから飽きる」のです。


弾けてないから飽きるのは、その曲の理想的な姿が掴めていない、自分の実力以上の曲を弾いている、単調な練習が退屈、などなどが原因です。

それには
1、その曲の理想とする良い演奏を聴く
2、自分のレベルに合った曲にする
3、楽譜を良く見る
4、目標を持つ

というようなことを考えていくといいと思います。



1、良い演奏を聴く
良い演奏を聴くと、「私もここをこんな風に弾きたい」となるのでやる気がおきます。
完璧に弾ける事は永遠にありませんから、良い演奏を聴くと次々に具体的な課題が見つかります。それには指を動かす事より耳を鍛える事です。耳が出来ていないと客観的に音楽が掴めません。それが出来ていないと弾けてないのに弾けたつもりになります。ただし、その後は徹底的に指を鍛えなきゃいけないのは言うまでもありません。


2、自分のレベルに合った曲にする
難しすぎる曲は挑みきれなくなりやる気がなくなります。
少しここを改善すればこの曲は良くなる、というとき人はやる気がおきます。
もうちょっとでここが弾けそうとなると人はますますやる気になります。
少しじゃなくてたくさん頑張らないといけない時はなかなか頑張れません。すごく良い演奏を聴いたとき「こんなのムリムリ」と思ってしまったらモチベーション下がります。上手になる実感がないのに練習なんて出来ません。もう少し手の届く曲にしたほうがいいです。


3、楽譜を良く見る
曲が好きじゃないというのは、実は楽譜の理解に欠けている事が多いです。
楽譜には物語があります。
ここは何を語ろうとしているのか、ここはどんな感情かを読み取ろうとする勉強や努力が足りないのです。楽譜を読み解くとさすが大作曲家の曲、どの部分も大事でどの部分もちゃんと伝えなきゃと思います。その読み方が浅いと上辺だけ音を真似して弾く事になります。意味を持たない音楽は弾いている方も聴いている方も飽きます。


4、目標を持つ
単調な練習に飽きるのは当然です。地味ですから。自分の音に耳を澄ましてコツコツやる練習はもはや苦痛です。これは時間もかかるし成果もあるんだかないんだかすぐにはわからないのでやりたい訳がありません。
でもピアノを続けるにはそのルーティーンワークが欠かせないんですね。
ルーティーンワークは飽きてもやらなきゃいけないんです。
この単調な練習を続けられないと上達はしないのです。
テニスやサッカーや野球の選手だって本職をするより、ジムで体幹鍛えたり走り込みしたりしてますよね。この間のラグビーの練習なんて頭に何キロもの重り付けて腕立てみたいな事してて過酷以外の何ものでもありませんでした。ピアノも一緒です。試合しかしないサッカー選手が上手になるわけないと誰にでもわかります。ピアノも曲しか弾かない人は上手にはなりません。

でも体幹を鍛えるのも走り込みをするのも「試合で勝つ」という目標があってこそ、単調な練習を続けるには「人前で弾く」という目標を持つ事が一番です。というかそれ以外ないです。単調な練習は目の前に人参か後ろからイノシシで続けるしかないと思います。ピアノには勝ち負けはないですが、自分で満足するために弾いているだけだとイヤな事は絶対避けます。でも人前で弾くとなると恥をかきたくないし、せっかくなら「よかった」と言ってもらいたい。だから単調な練習もするしかない、となるのです。
芸能人があれだけ美に気を遣っているのは、見られるからですよね。ピアノだって聴かれると思うとやらなきゃ!ってなります。


「なんか飽きた、、、」と思ったら以上のことを試してみてください。たまには飽きて次の曲に行くのもいいけれど、いつもいつも飽きていたら肝心の音楽に到達出来なくて勿体ないです。素晴らしい曲の数々、弾けば弾くほどのめり込むはずです。実際どんどん良くなっている生徒さんは「こんなに長く弾いているのに飽きない」とおっしゃいます。


ちなみにほんとうに魅力ない曲もあります。
上っ面だけの曲は当然存在します。上辺だけの演奏に魅力がないように、そういう曲は一時は楽しくてもすぐ飽きます。原曲を編曲してる場合もその可能性はありますね。
原曲でも編曲でも100年以上残っている曲には必ず残っている理由があります。











2015年10月15日木曜日

スウィング

ジャズのライブというものに先日初めて行きました。
そこで心に残る言葉を聞きました。英語の言葉の訳だそうです。

『もしミスをしてしまったら、お客さんはスウィングに合わせて踊りに来ていることを思い出せ。あなたが間違えない事よりお客さんは楽しくスウィング出来る事の方が大事なのだ』

演奏者がミスしたくないのはもしかしたら自分のためかも、と思いました。せっかく練習したからちゃんとやりたい、そんな自分本位な思いかも。でも本来、音楽を人に聴いてもらうってそんな目的じゃないはず。。。
そんな事を考えさせられました。

音楽ってやっていて気持ちいい。だから「自分が楽しめないと人を楽しませられない」っとか大義名分つけてほんとは自己満足してるだけかも。

クラッシックだったらお客さんは踊りじゃなくて何を求めて来ているんだろう?

美しさ?クラッシックの真髄は何でしょう?




2015年10月14日水曜日

さすがピアノの会

先日のオペラの会で「オペラが音楽界を牽引していたのがわかりました」「歌ってすごいですね!」と嬉しいご感想をいただきました。
普通そこで終わるのですが、さすがピアノの会の皆様、違います。


ちゃんと脇役のピアノを聴いて下さってました。
「伴奏って本当に心理描写なんですね。ピアノに心が奪われちゃいました」
「ピアノの前奏からその世界に入れました。ピアノを見ながら歌を聴いてました」。

そうなんです。
オペラの楽しみは歌ではないんです。歌とピアノのアンサンブル、両方なのです。
生演奏だと息づかいが感じられて協力し合っているのが実感出来ます。

ピアノは前奏や間奏などは主役だし時には歌の引き立て役でもあり誘導役でもあり。
また歌は思いっきりレガートなのにピアノはスタッカートだったりと、合わさることで全然違う作用が起きてしまう。

実はこれ、ピアノの右手と左手なんです。
ピアノを弾くのは難しいのでつい「運動」になってしまいますが、ほんとは主役が入れ替わってメロディを奏でたり引き立てたり誘導したり右手左手がそれぞれの場面で役割を持つものなのです。
右手がメロディとは限らなくて左手にメロディが来るときもあるし、右手左手で協力し合ってメロディを弾くときもあるし、カノンのように追いかけっこになってる場合もあります。
そのときに必ず歌手とピアニストの関係がある。
それを考えられるときっと歌うようなピアノが弾けるはずです。

言うのは簡単、やるのはほんとに大変ですが(笑)。
もちろん私はまだまだ口だけです。










2015年10月13日火曜日

皇帝

N響アワーでベートーヴェンのピアノコンチェルト「皇帝」をやっていました。
なつかしく聴きました。
「皇帝」は池田理代子さんの「オルフェウスの窓」でイザークが弾いた曲です。
ピアノの思い出ではなくマンガの思い出です。

私はだいたいピアノではなく他の事に興味がありました。
こんなにあちこち気が散る私がよくぞピアノを続けました。
ピアノが好きだから「オルフェウスの窓」が好きだった訳ではなく、「オルフェウスの窓」を読んでピアノやってて良かったと思ったくらいです。ピアノじゃなくてクラウスのヴァイオリンやってれば良かったとも思いました。

その頃はピアノは苦痛なだけでマンガの中に夢を見てました。
美術部でデッサンをしたり油絵の真似事をしたり、倫理の先生と意見を闘わせたり、スポーツの得意な友人に鍛えられそうになってヒーヒー言ってたり、ピアノ以外に逃げたかったんだと思います。

今はというと完全に現実的な私です。
夢は穏やかで豊かな老後です。

マンガは夢のままで良かったです。
「皇帝」は夢見ていたあの頃に戻って聴きました。

2015年10月12日月曜日

ルッコラ

きゅうりのことばかり言ってますがルッコラもうちの大事な作物です。







野性味溢れるうちのルッコラは
最近ではマリネにしています。



トマトとスモークサーモンを少し加えて
お酢とオリーブオイルと塩と粉チーズで
1日つけ込みます。











今年は唐辛子のこぼれ種から芽がでないと思っていたら、今頃になってたくさん芽が出てます。夏が暑すぎたのでしょうか?
これから寒くなるので心配ですが、ぎりぎりまでベストを尽くして欲しいものです。







2015年10月11日日曜日

飽食



ベジタリアンにもいろいろあるそうです。
「肉は食べないが魚は食べるベジタリアン、卵や肉類は食べないが、ミルクやチーズなどの乳製品は食べるベジタリアン、未加工・未精製の禅式自然食派、鶏肉と魚肉だけは食べるベジタリアン、肉類を多少は食べることもある穏やかなフレキシタリアン」

私は食べる事が好きで、この偏った考えが理解出来ませんでした。アレルギーならわかるのですが、宗教的理由とか健康を考えてとか全然理解出来ませんでした。

現代に生まれたんだから現代を楽しみなさいよ、食べたいもの食べなさいよって思っていました。
でも。

安保法案と違ってこの件については最近ハッキリ思うのです。

人間は食べ過ぎ。
理性を失っている。


私は生きていくのに必要だからでなくあれもこれもと本能で食べてきました。

これは美味しいマズいと偉そうに語ってきました。
反省しています。
食べないのは偏っているんじゃなくて理性だという事実に最近気づきはじめました。
私は散々食べてこの年になってるので、こんな事を言うのかもしれません。お若い方はもっと食べたい年頃かもしれません。

フィンランドの友人はほんとうに粗食です。

だからごちそうをいただく時はほんとうに特別で、特別だから私たちの何倍も喜びをもって食べ物をいただいている感じがします。

私は庭のきゅうりがとっても愛おしくとっても有り難くて、1本1本大切にいただきます。この間大事なきゅうりを猫が床に落っことしていたずらしそうになったので慌てて取り上げ急いで洗って食べました。買ったきゅうりだったらうちのかわいい猫ちゃんのおもちゃにしてしまったかも、、。

当然の事ですがほんとうはこんな風に1つづつ食材を有り難くいただかないといけないんですよね。。


だったら今日からもう食べないのか?と聞かれれば、いやまだ食べるんですけど。

まだ反省して日が浅いので、これから深く考えていこうと思います。







2015年10月10日土曜日

本番前の練習

発表会までもう少し、、、となった時、どんな練習をしていますかとこの間生徒さんに聞いたら、
「1日5回は必ず弾きます」とか
「朝と夜に必ず弾きます」とか
どんな?ではありませんでした。

本番が必ず上手くいく魔法の練習があるなら知りたいですが、たぶんそんな魔法はありません。なのであらゆる練習をする、ことに限ると思います。

本番前に大切な練習ってほんとはいつでも大切な練習ってことなんですけど、ついつい目先のことで頭がいっぱいになってしまいます。
10月18日の弾き合い会ではそんな本番に臨むにあたっての大切な練習のミニレクチャーがあります。わかっているけど忘れてしまう、そんな大切な練習についてもう一度確認してみてください。

私は一週間前の通しの練習は必ず録音するようにしています。
録音して聴くというより、録音する緊張の中で弾く練習です。
録音すると上手く弾けない、という方は残念ながらすでに練習が足りません。
録音してここをこうしたい、と直すのはもっともっと前の段階でやっておかないといけませんね。







2015年10月9日金曜日

ピアノの音

ピアノは楽器の王様。
様々な楽器の音域やハーモニーを奏でられたり、弱い音から強い音まで奏でられたり。。

昔はピアノのあのレガートが好きでした。
でも今はレジェッロ、軽く転がるような音が好きです。

自分ではなかなかその音は出せなくて、私の音はべたべたドタドタしてます。

いい音を聴くと癒されますね。

2015年10月8日木曜日

まだまだ頑張ります

晴天続きでぞくぞくと実っています〜。


もう諦めていたのにこんな日がくるとは、、、。
人生わからないものですね。



あの雨を乗り越え

あの風を乗り越え

そしてまた

きゅうりは実る




う〜ん、詩人になります。
やはり太陽の力は凄いです!


私の人生にもおひさまと米ぬかを補充します。
農業は癒されるってほんとですね。



































オペラの会終了

オペラの会が終わりました。

音楽史って実は面白いんです。だからこんなに面白いことを皆様に伝えたい!と意気込むのですが、でも人前に立つと順序がばらばらになったり主語述語が繋がらなかったり。。
昨日は今までで一番流れが悪かったと反省しています。

演奏家の方には、私が待ち合わせ時間を間違えたり、始まってからは人前で待機していただく形式のため、緊張が解けなかったり直前のウォーミングアップがままならなかったりきっとご不便が多々あったであろうと思い返し反省しています。

ご参加下さった方には、私の不手際でお聞き苦しい点ありましたこと、お詫び申し上げます。
ただバロックのカストラートの曲から古典のモーツァルト、ロマンのベッリー二、ヴェルディ、プッチーニ、そしてオペレッタ、ミュージカル、おまけにナポリ民謡、日本民謡、歌謡曲と時代ごとに歌って頂いた甲斐あって終わったあと歌手の方と談笑されて帰る方も沢山いらして喜んで下さった方もいらしたかなと嬉しかったです。

これに懲りずまたいらしてください。
気を引き締めて次回に臨みます。


2015年10月6日火曜日

最後じゃなかった

もう最後かと思っていたら、晴天続きでまた実りました〜。


きゅうりって本気出せば10月でも実るんですね〜。

米ぬか足した甲斐があります。



うっとり眺めたあと大切にいただきました。












2015年10月5日月曜日

ピアノはオペラ

10月7日水曜日10:00〜はじめてオペラの会です。

今回は特別企画という事で、オペラの主役歌手にスポットをあてて盛りだくさんの演奏です。

オペラの誕生のころから現代まで、クラッシック音楽がどんな風に発展していったか、声楽がどんな風に変わっていったかがわかると思います。曲目も凄いんです。


ヘンデル「リナルド」〜私を泣かせて下さい

モーツァルト「ドンジョバンニ」〜彼女こそ私の宝〜

ベッリーニ「カプレーティとモンテッキ」〜ああいくたびか〜

ヴェルディ「椿姫」〜乾杯の歌 二重唱〜

ビゼー「カルメン」〜花の歌〜

プッチーニ「ラボエーム」〜私が町を歩くと〜

ヨハンシュトラウス「こうもり」〜あなたのようなお方は〜

バーンスタイン「ウエストサイドストーリー」〜マリア〜

ナポリ民謡「オーソレミオ」


すごい!曲目がすごい!
聴かないと勿体ないです!


「オペラのお勉強なんてピアノに関係ないし、、」と思うかもしれませんが、これを知らずにピアノを弾いていた!?と知らないでいるのが怖いくらいの話?です。
面白い事にピアノを弾く人にとっての音楽史というのは、音楽史全体とはちょっと違います。例えばバッハ。私たちにとってのバッハは音楽の父、平均律の父、大スターですが、当時のオペラが一番の音楽の世界ではなんとも地味なオルガン奏者。同じ年のヘンデルさんは大スターだったけど。

、、と言ったピアノのお話は今回は出来ないんですが、オペラあってこそピアノ曲がこんなに発展して出来上がったんです。
ピアノはオペラ!とつい言いたくなります。


お問い合わせ、お申し込みはこちら  info@hajimetepiano.org


※ピアノのお話やらは1月17日日曜日 はじめてピアノ&オペラの会の解説付きコンサートでしたいと思っています。またくわしくご案内します。





2015年10月4日日曜日

ほんとうにイヤな事

ちょっとイヤなことをやらないでいると本当にやりたい事がやれなくなる事があります。
ちょっとイヤなことを避けているとほんとうにイヤな事をやらなきゃいけなくなる事があります。


好きな事をやると言っても一番好きな事だけをやる訳じゃなく、順位付けすると30番目に好きな事とか3000番目くらいに好きな事もやっていかないといけません。それは3001個中の3000番目に好きな事かもしれません。後ろから数えると2番目。

「やりたい事が何かわからない」という若者が多いと聞きました。
そうだと思います。私もそういう時期あったのでわかります。やらなきゃいけないことに追われていると、本当に好きな事もやりたい事もわからなくなります。

そんな時はちょっとでも興味のあることを片っ端からやるのもいいと思いますが、私がオススメするのは「ほんとうにイヤな事」以外なんでもやるという事です。好きな事はわからなくてもイヤな事ってわかりやすいし、ほんとうに死んでもイヤな事かどうか考えると、まあだいたいの事が出来ます。
なんでも受け入れられるようになると視野が広がり、またやっていても「ほんとうにイヤな事ではない」という自覚があるので結構楽しくなります。そしてその中で「割と好き」で「向いてる」事が見つかってくると思います。

私はそんな考えです。







2015年10月3日土曜日

大人も人間

法案の善し悪しは置いておいて、アドレナリンで安保法案反対のデモに参加した人がいたのは否めない、と思いました。
一方、権力を振りかざして偉そうに恫喝している幼稚な政治家にゾロゾロ付いていく子分たちもいました。

こんな事を書くと不謹慎かもしれませんが、人間はどんな時でもというかその機会がある時には自分の存在価値をアピールしたいし、自分の行動範囲の中で一番強そうなところに集まるんだなと思いました。
自分で考えているようで考えてない。ほんとは影響を受けているだけ。
声の大きい人に付いて行くだけ。

私はといえば、もちろん全然わかっていません。
だから反対も賛成もなくて時の流れに乗るだけっていうか流されるだけっていうか。
話を聞いても全然わからないのです。
私みたいなのは、軍国主義ならそうなってカトリックならそうなって振り返れば「時代を黙認した人々」になるのでしょうね。

でもわからないのに自分から行動するわけにもいきません。
私にとっては動かないでいる方がまだマシなのです。
子供に自分で考えなさいと大人は言いますが、大人になっても人間は浅はかです。

2015年10月2日金曜日

毎日書くのは…

ピカソさんは毎日線を描くことを日課にしていたそうです。
卵を描いていたそうです。


ピアノをやって来て、習慣がどれほど大事か実感しています。難しいことをやるんじゃなくて「簡単な事を続ける」。

卵っていろいろな表情があるんだと思います。
きっと卵を描く中にはたくさんの意味があって、単純な線を描くトレーニングだったり、卵が何かを伝える練習だったり。
そう考えると絵で真実の卵を理解してもらうのはなかなか難しそうです。

人と話すことは日常で沢山あっても、わかりやすく短時間で伝えるということとなるととても難しいです。私は全く出来ていません。よく何言ってるかわからないとか、1時間くらい話したあと「こういう事だよね」って10秒でまとめられたりします。
そのため、自分がどう思ってどう考えているのか整理してそれを伝えるには訓練するしかありません。
以前短歌をやっていたときに先生がおっしゃっていたのが「何でも57577でものを考えるようにしてみなさい」でした。
それを思い出し、音楽や仕事に関係する事などをちゃんと伝えられるよう毎日書いてみようと思いました。

呆れず読んでいただけて有り難いです。これからもキュウリの事をはじめ音楽の事、暮らしの事、本の事など逸れつ戻りつ伝えたい事を伝える訓練をしていこうと思います。親の小言と茄子の花は無駄にならないと言いますが、高校の時、黒板の上に勤勉努力と書かれた紙が貼ってあったのを思い出しました。よろしくお願いします。











2015年10月1日木曜日

毒には毒を

個人的事情で人前では弾かない時期が長くありました。
なのでもう一度人前で弾くというのは、大げさでなく清水の舞台から飛び降りるほどの恐怖でした。それでも弾こうと思ったのはピアノが好きだったからでも本当は人前で演奏したかったからでもなく「生徒さんだって頑張ってるのに示しが付かない、しかたない…」という思いから。

あの時仕方なくでもイヤイヤでも前日に死ぬほど弾く事を後悔してでも弾いた結果、私はとても大切な事を知りました。
「毒には毒を」。


最近グレープシードオイルというのが流行ってるらしいです。体にいい油らしいです。
私はその「体にいい油」って言うのがどうもうさんくさくて「いやいや、油は油だから」と思っていました。
しかし。
油を制するのは油、だそうです。
なんだか妙に納得しました。まさに毒には毒を、ですね。お化粧落とすのも油ですもんね。肉などの良くない油は良い油でキレイにするのが一番だそうです。


つまりどうしようもない恐怖に打ち勝つ特効薬は恐怖だという事です。
清水の舞台から飛び降りたところで、ピアノが上手になる訳ではありません。でも勇気を出して恐怖に向かったという事はまず自分の誇りになります。
そしてそこから恐怖で見えなくなっていた事が少し見れるようになるのです。
私は人前で弾く大切さを、初めて知りました。初めてです。子供の頃から学生時代は弾くのが当然だったから考えた事がなかったし、弾けない状況をこれ幸いとぬくぬくしていました。

ピアノは人前で弾いてなんぼです。きゅうりは食べられてなんぼです。
きゅうりがなったけど苦くて食べられなかった、ではダメなんです。

食べられるきゅうりを育てる、これが人前で弾く大切さです。













2015年9月30日水曜日

先生だから

「先生だからあがらないし上手に弾ける」
、、、と見られる中で弾くのは拷問です。

私は世界で一番あがるんじゃないかと思うほど緊張するし、その上下手です。
人前で演奏する事は生徒さんと同じように簡単な事ではありません。

たった5分の演奏でも、そこにはどれだけの練習時間が詰まっているか、どれだけの緊張が詰まっているか、どれだけのプレッシャーが詰まっているか。。
それは人間なので生徒さんと同じなのです。
もし弾く曲が少し難しいとしたら、少し音がきれいだとしたらそれは努力して来た時間分だけです。
不安も緊張も一緒です。
本番が近づくとプレッシャーでいっぱいになるし、本番は逃げたくても逃げられないまさにバンジージャンプ。「アラ、、先生なのに、、ヘタクソね、、」というレッテルが目の前にちらつきます。もう怖い事だらけです。

でも回避回避で人生終えたら失敗もない分、震えるような感動もない。
感動、じゃなくて震えるような感動。
私は先生ですが、ピアノは下手だし緊張するし全然お手本にはなれません。
でも、下手でも失敗しても先生だからジャンプし続けます。
















2015年9月29日火曜日

弾く気がなくなる

「色々弾けるようになるのが楽しみです!」と期待に胸を膨らませてピアノを始められる大人の方。でもその言葉を聞くと私は少し複雑になります。

そうおっしゃっていた方が何年か経ったとき「やっても弾けなくて」「練習する気がなくなってきて」「やっぱり子供の頃からずっとやってないと無理ですね」といったネガティヴ発言をたくさんするようになります。

期待が大きくまたグングン伸びていた方ほど、壁にぶつかった時理想と現実のギャップにがっかりしてしまうのです。最初から「認知症予防で」位の気持ちの方は「最初に比べたらこんなに弾けるようになっちゃったわ、やってるだけで予防になるし皆さんとも会えるし。楽しいわ〜」とポジティヴです。


人間、上達しないとやる気にならないのは当然です。
でも。そこも人間。いつまでも伸び続けるってことはないんです。人はいくつになっても成長するって言ったって、60歳になって身長が10センチ伸びる事はありません。それくらい無理なものは無理なんです。
これを受け入れられないと間違いなく弾く気がなくなります。

これは大人になって始めた方だけでなく、子供の時からもしくは音大に行ったというような方も同じです。人にはそれぞれ限界があるのです。そうすると上手にならないならもうこれ以上弾かなくていいや、、、となってしまう。


でも音楽は芸術です。
今弾ける曲をもっと美しく弾くことや聴いている人に伝える事やそれを分かち合う事、そしてあと10歩先じゃなくてあと0.5歩先に行けるよう頑張る事、本当はそんな究極の楽しみが沢山あるのです。

弾く気がなくなってしまった方は、本当の音楽の魅力に立ち返ってみて下さい。
ベートーヴェンやリストだけがピアノじゃありません。
グルリットやチャイコフスキーの小品などいい曲が沢山あります。
そういう曲を楽しんで下さい。

酷なようですが、能力や年齢には限界があると受け入れないと弾く気がしなくなるし、そうなるとピアノに限らず人生の楽しみが遠ざかってしまいます。















2015年9月28日月曜日

さぼるとラク

この2日ピアノを弾いていません。
ラクですね〜。
弾く事が大変な訳じゃないんですが、なんか弾かないのって凄いラクです。弾きだすと時間が足りなくて「あ〜もっとやりたい」「楽しい」って思うのですが、やらないのってこんなにラクです。


はじめてピアノの会が10年になり「やはりピアノをやる人は認知症にならないってことですね」と言われました。
確かに続けてらっしゃる方は認知症になっていません。ご本人たちは「もう覚えられなくて忘れる方が早くてぼけてるわ〜」なんておっしゃっていますが、それは子供じゃないので右肩上がりにはなれません。
でも同年代の方より全然明瞭でいきいきしています。

続けられる方ってつくづくこの「ラクする」ことを選んでない方々なんだと思います。

やると楽しいけどやらないのはちょっとラク→やらなくても困りはしない→なんとなくちょっとさぼる→一度さぼるとさぼる時間が長くなる。。。となりますよね。そうするとやっぱり続けるのは難しいです。

ちょっと面倒くさいけど、右肩上がりにはならないけど、やる。
続けなくても困らないけどやると楽しい。
これがきっといきいきしてる理由です。

簡単なようで、なかなか出来ない事だと思います。
楽しいって感じる事も年をとると貴重です。

今日はピアノ弾こうと思います。












2015年9月27日日曜日

ピアノ弾き合い会開催します

10月18日日曜日 10:00〜12:00
場所 都内
参加費 会員1000円 非会員1500円
ピアノ  YAMAHA  SC1 白いグランドピアノです
参加資格  お子様からシニアまでどなたでも。
ミニレクチャー「発表会前の練習ポイント」



ピアノ弾き合い会を行います。
リハーサルとして、場数として、また仲間との交流の場としてご参加ください。


ピアノは自分の楽器を持ち運べないので、いろいろなタイプのものを弾いておくと良いです。自分の家のピアノと本番のピアノは絶対違うし、鍵盤やペダルはもちろん、椅子や置いてある場所などでも弾きやすさ弾きにくさが変わります。また状態の良いピアノばかりとは限りません。上達は100回の練習より1回の本番、己を知る事から始まります。

ミニレクチャーは、本番前に必要な練習のあれこれを、ご紹介。
アドバイザーはミスタッチと無縁のコントロールの女王、野村静香先生です。


お問い合わせ、お申し込みは
info@hajimetepiano.org はじめてピアノの会まで
詳細お送りします。









2015年9月26日土曜日

悲しみの人

いつも読んで下さってありがとうございます。
毎日書こうと決めて出来るだけ毎日書いています。
書く事は自分を知る事です。
自分を知るといい事があります。
自分を受け入れると生きるのが楽になります。

先日、私があまりにものんきなので、ある人に「もしかしたら重大な、例えば深い哀しみを心の奥底に抱えているからなんでも気にならないんじゃない?もしかしたら人生捨ててるんじゃない?!」と言われました。
そう言われて「ええ!?そうだったのか、、。私は人生に重大なむなしさを感じていたんだ。そう言われるとそんな気が、、」となんだかそんな気になってきました。

それから何がそんなに悲しいのか、なにに欠乏感を覚えているのか、何があれば満足なのか、本当はどんな人生を望んでいるのか、それは本心なのか、ぐぐっと自分の内面に探りを入れました。すると昔の悲しかった事なんかもフラッシュバックして1時間くらい哀しみでいっぱいになりました。しかし1時間したら哀しみも忘れました。

奥深い哀しみが見つかったら、どうしたら悲しくなくなるか考えていきたいと思います。
せっかく言って下さったので、これを機会に更に自分を探ってより楽しい人生を送りたいと思います。


読んで下さる方にとって何にもためにならない事を書いて恐縮です。
読んで下さる方がいるというのはとても嬉しい事です。とても有り難いです。

今日も一日、お疲れさまでした。









2015年9月25日金曜日

力を抜く

何事も力を抜くというのは難しいですね。
一生懸命やろうとすれば自ずと力が入ってしまう。
それを力を抜けってどういう事?って矛盾を感じます。

私は子供の頃から適当でしたが、適当というのは雑で大雑把という意味です。決して人生不真面目に生きて来た訳でも、いい意味での適当に生きて来た訳でもありません。
子供の頃から真摯に真面目に力を入れて生きてきました。
いや、ほんとはよく覚えていません。
ただ無駄に力が入っていたであろうことは確かです。
でも初めての人生、そりゃ力も入ります。
人生経験を積むにつれて「そんなしゃかりきにならなくても。死なないし」
「死ななきゃなんとかなるし」とわかりました。

初めてピアノを習う生徒さんは皆さん力が入ってます。
全員です。何故なら初めてのピアノ、力を入れないと弾けないからです。
緊張しちゃうとかそんなことじゃなく、物理的に力を入れなきゃ弾けないのがピアノです。

つまりなんでも
初めは力一杯やる

力を入れないで出来るよう訓練する

力を抜いて出来るようになる

なのです。
ほんとにはじめから力を抜いちゃったらピアノは音はしません。逆に言えば力が全くかからずに鳴るものではありません。最小限の力でいい音を出す、これが難しいのです。

これはなんとなく出来るものでなく訓練の賜物です。
ピアノも人生も積み重ねですね。






2015年9月24日木曜日

強い人

私は権威に弱く、強い人を前にすると足がすくみ言いたいことを言えなくなります。
長いものにもそのつもりはなくてもくるくる巻かれてます。

しかし、私は気づきました。
それは私だけじゃないんだと。
強い人ってあくまで強い絶対的な人だと思っていましたが、ほんとは相対的に強い人しか存在しないと最近思うようになりました。

権威に弱いのも、強い人に負けるのも、長いものに巻かれるのも私だけじゃないんです。
ある集団ではリーダーシップとって強い人も、別の集団の中では存在感すらなくて弱い。こっちの人には言いたいこと言ってもこっちの人には言いなり。

なるほど。
肩の力が抜けました。
みんなそうならコンプレックス感じる必要ありません。思う存分フラフラ出来ます。
フラフラする方がかしこい気がしてきました。
フラフラしてる人は進化した人の気さえしてきました。
思いっきり巻かれようと思います。

生きるのが年々ラクになります。




2015年9月23日水曜日

最後?

連休はずっといいお天気です。
秋ってほんと気持ちいいです。

もう終わりかと思っていたキュウリですが、1本無事に成長しました♪


















あと1本小さいのがあるのでもしかしたらもう1本収穫できるかも!?














2015年9月22日火曜日

頭と体

演奏者はまずは頭と体で楽譜と向き合います。


楽しいとかこんな感じとか脇に置いておいて、冷静に楽譜を読み取ります。
聞いたことがある曲だとイメージで弾きたくなるのはわかりますが、思い込みがあると間違いなく仕上がりが悪くなります。楽譜は頭できちんと理解しておかないといけません。

譜読みの段階から音楽的に、というやり方を推奨するピアニストがいますが、それはもう「やだ!この加線がいっぱいあるの何の音?」とか「このリズム右がこうで左がこうだからこれで合ってる、、かな?」とか「ここ何番で弾こう?手届かないし、、、」とか考える私のような素人向けのアドバイスではありません。少なくとも全て同じテンポで止まらず弾ける人がやることです。

素人はしっかりゆっくり考え考え譜読みをしたら、次はしっかりゆっくり運動です。
この時点でも聞いた感じの曲のイメージで弾いてはいけません。
頭で考えた事を手に伝達するのです。
中上級になるとこの作業が、上記の楽譜を読むのと同時に出来ます。
でも運動自体は念には念を入れて片手ずつ→両手を順番にやって身につけていく事が大事です。

そしてあとは量をこなすのみ。徹底的に運動量をこなす。

そうするとようやく音楽としてとらえられるようになります。

いくつものパートを同時に弾くピアノは、楽譜の理解と運動を音楽とは別のところで訓練しておかないと肝心の音楽に辿り着けません。こんなふうにあんなふうに弾きたいのをぐっと我慢してきちんと黙々と「頭を使って」「体」のトレーニングをするのです。

考えなくても体が動くまでやらないと、音楽を伝えるところまで余裕が生まれません。
それがピアノです。






2015年9月21日月曜日

コンサートの反省1

演奏のクオリティが低かったことは置いておいて。
(これが一番大事なことは百も承知なので)

出演者でお客様のお見送りをしようと思っていたのに、成り行きで写真撮影になってしまい、お見送りが出来ず、直接御礼も申し上げられず、ご感想を伺えなかったことが残念で残念でなりません。

はじめてピアノの会をやめられた同窓生の方々も多くいらして下さっていたので、久しぶりにお話したかったし、ご家族やご友人がいらしてた出演者はきっとその場でお話したかっただろうし、ちゃんと進行出来なかった自分が腹立たしいです。

もう一つ。
生徒さんから「明るめに髪を染めた方がいい」とアドバイス頂いていたので、前日に美容院で髪を染めようと思っていたのですが、トラブル発生で行く時間がなくなってしまい、だったらと近所のスーパーで「明るめ」と「ちょっと控えめなダークブラウン」のカラーを買って、夜自分で色を混ぜて髪を染めたら前髪と分け目がライトブラウン、頭頂部からお椀型に青くなってしまいました。
何故青になったのかはわかりません。化学反応でしょうか。
自分の髪が青い、と気づいたのは舞台裏の楽屋の鏡を見たときでした。

カラーを混ぜた自分を反省しました。
















2015年9月20日日曜日

ピアノなかま

以前一緒に仕事をしていたピアノの先生と久しぶりに会いました。ご主人の転勤で今は遠い楽器店でピアノの先生をしています。

久しぶりに会って、それぞれの近況報告など一通り話すとやっぱり話題はピアノのこと。
こういう教本が良かったとかセミナーがためになったとかピアノってほんと難しいね、どうしたら上手になるんだろうとか。

美味しいものや旅行の話も楽しいけれど、やっぱり共通して一生懸命頑張っているものがあるのは話の密度が違う。その場でしか聞けない話がたくさんあるし励みになるし。ピアノは特に孤独な楽器。一人で頑張ってるとなぜピアノをやっているのか意味さえ失う。そんなとき、こんな風に「そうそう!」とお話出来るのはほんとにありがたい。

今日も色々収穫がありました。聞いたこと早速私も試してみよう!とやる気が出ました。

2015年9月19日土曜日

ピアノの10年

大人の生徒さんで、なかなか上手にならない、もうやめようかしらと悩みながらも地道に練習をしっかり続けてらした方々がここに来てぐんと伸びています。

以前からピアノは年単位でしか上達しない、と言って来ました。年単位でしか結果は見えないと言って来ました。
それをまさに生徒さんが証明してくれてます。
好きな曲を好きなように自分のやり方でやって来た方と、言われた練習を繰り返し、進んでは戻り合格しなくてもくさらず地道にやって来た方と大きな違いが出ています。

大人もやっぱり基礎って大事なんだと改めて思っています。
10年は長いようだけどあっという間です。
目先のことにとらわれず、10年、地道な練習をやってみてください。

違いはご自身が一番わかるはずです。


2015年9月18日金曜日

時間を管理する

こういう種類の本て、私なんだか批難されてる気持ちになります。
そんなに急いで何するのでしょうか?
明日じゃダメなんでしょうか?
来年じゃダメなんでしょうか?

早起きして仕事しちゃうっていうのはわかります。
私も夜起きていられないのでそっちのタイプです。仕事は朝起きてやります。
でも忙しいのはダメ。
追い立てられるように何かをするって持たないです。心も体も。
追い立てられると私なんて時間を管理するどころか時間に管理されちゃいます。支配されちゃいます。

「あ〜、いいわね、優雅で」と言われそうです。
はい、ハッキリ言って優雅です。

何が自分にとって優雅なのか。
たくさん働いてたくさん稼いでたくさんお金を使ってたくさん遊ぶことが優雅なのか、無理をしないでやれる仕事とそれに見合った収入とそれに見合った支出で自分なりの楽しみを行うことが優雅なのか。
1日24時間は皆同じ。
私は皆が1年で出来ることを3年かけてやってますので楽しいことは皆の3分の一かもしれまん。でも何も困りませんし、損してるとも思いません。3分の一でも十分楽しいです。
これが私の優雅な暮らしです。



2015年9月17日木曜日

音大受験

管楽器をやっている高3の女の子が音大受験をしたいとご両親とレッスンにみえました。
管楽器でも受験にはピアノがあるからです。
部活の引退のとき、これでもう吹かなくなるのは寂しい、もっとやりたい、と思って音大受験を決めたそうです。

ピアノの経験はなし。
試験曲はソナチネの一つの楽章。
ピアノ初心者でソナチネは難しい。
あと5カ月。。
昨年6月にやはり高3で音大の管楽器に進みたい女の子が来ました。
ピアノ経験はなし。でも試験にピアノはある。
ピアノは関係ないかもしれないけど半年頑張ったけど一歩及びませんでした。

音大受験のことわからない方は管楽器の試験にピアノがあるなんてビックリですよね。家族親戚に音大出身とか詳しい方がいなければ当然でしょう。
管は、小さい頃からやるピアノやヴァイオリンと違って部活でやって目覚めるので、進路や学部を決める段階で音大行きたい…えっ?ピアノあるの?ってなるのでしょう。

そのチャレンジ、もちろん私も喜んでお手伝いさせてもらうことにしました。
練習は大変だけど、目標に向かって頑張って欲しい。

ただ近年気になるのは、AOがあったり入りやすくなってるせいか、簡単に音大に行きたいと思うこと。勉強より音楽が好きだから。勉強しないですむから。友達の間で一番上手だから。。

それくらいでは到底無理。
入ったらやることはたくさんあるしお金もかかる。
学費だけじゃなく楽器代もレッスン代や場所代や演奏会だってお金がかかる。でも練習時間も確保しないといけない。精神的にもかなり強くないとやっていけない。
音楽は楽しい。周りも楽しく出来る。
でも続けている人は、たくさんの努力や代償を払っているのです。楽しいと思うヒマもないくらい。華やかな部分は一部だけです。音大は漫画に出てくるような「青春の1ページ」なんて甘いものではありません。制約がたくさん出て来てもその中で続けられるかどうか。

音楽はある程度ならみんな楽しい。嫌いな人なんていない。
でも好きなことをやらせてもらえるようになるまでにはやりたくないこともたくさんやらなきゃいけない。

その道にすすむというのはまた別の話です。






2015年9月16日水曜日

音楽の楽しさ

ピアノの会なのになぜ歌?管楽器?弦楽器?とよくきかれます。


早い話、他の楽器も楽しいからです。
楽器の習得は本当に時間がかかるから、自分で演奏するにはピアノもフルートもヴァイオリンもあれもこれもって訳にはいかない。でもピアノもクラリネットもチェロも素敵な曲が沢山ある。だから聴くだけでも楽しいし勉強になる。


オペラの会をやっているのは、そこには音楽のすべてがあるから。
歌もオーケストラも指揮者もソロも合唱も、、、。
あれ?唯一出て来ないのは、、、ピアノ??
いえいえ、オペラの練習はピアノでするんです。
ピアノはいわば全部を網羅しているのです。

オペラを知るとクラッシックが見えてくる。
どんな風に始まって、流行って、カタチを変えて、今に至っているか。

「声楽ってあの叫ぶような声がキライ」とか「ヴァイオリンのキイキイした音がキライ」というピアノ好きな方ももちろんいらっしゃいます。でもクラッシックの良さって1回や2回でわかるものじゃない。個性があるものほど取っ付きにくい。でも一度親しくなると離れがたい魅力がたっぷり。

ぜひオペラの会にいらして下さい。

10月7日(水曜日)午前10:00〜12:00 
たっぷりのソプラノとテノールの生演奏で、オペラの歴史をたどってみます。

小金井市 於

詳しくはこちら

2015年9月15日火曜日

消えてなくなる

講師の先生が
「それまでの大変な練習も当日の大変さも、一瞬で消えてしまう。音楽は本当に贅沢ですね」とおっしゃいました。
ああ、そうだな、、本当にそうだな、と思いました。

感謝コンサートにお越し下さった生徒さんに「その場にいることが誇りに思えるコンサートだった」と言ってもらえました。それを聞いてとても光栄に思いました。
そしてその先生がおっしゃったことと重なりました。


もしかしたら音楽会って聴くと言うよりその場を分かち合うことなのかも。
演奏者やスタッフはずっと練習して準備してプレッシャーをいっぱい抱えて舞台に立ち、一瞬で燃焼させる。
それはもうその瞬間で終わって消えてしまうんですね。何も残らずに。
その短い時間を、そこに至るまでの膨大な時間を凝縮した時間を、その場にいる人と分かち合う

そんな感じ。

お料理もそうですね。
食材を育てそれを収穫して下準備して調理して、最後に舞台に上げるごとくキレイに盛りつけて食べたら消えちゃう。

星の王子様は「一番大切なものは目に見えない」と言っていました。
そこにはもうないけれど、消えてしまったお料理も音楽も目には見えないけれどきっとそこにある。
心の目に心の耳に心の五感に残っている。。

そんな心に残る音楽を目指して頑張りたいです。










2015年9月14日月曜日

10周年感謝コンサート終了



昨日、無事終了しました。
ご来場いただきました皆様誠に有り難うございました。
おかげさまで満席となり和やかなくつろいだ雰囲気の中、開演となりました。


実は、やはりというか不覚にもまたプログラムにミスが出てしまい、その訂正で前日夜まで大慌てでした。ずいぶん前から準備したつもりでも、いつも間際になって何かが起こり慌てます。また当日はセッティングしたビデオが開演直前に壊れていて録画出来なくなってしまったのがとても残念でした。

アンコール3曲を入れて全部で二時間半、出演者がそれぞれの個性で繰り広げる世界が見事に広がりました。ポピュラーな知っている曲で気分をほぐし、音楽朗読、クラッシックへと続きます。
小沢征爾さんは「あえて有名じゃない曲を入れる。その方が真の音楽の力が伝わる」とおっしゃっていましたが、今回の第3部で、クラッシックの有名でないけれど名曲を、皆様真剣に聞いて下さっているのを見て、ほんとうにそうだな、これが音楽の力だと思いました。

個人的にはもっと練習したかったというのが心残りですが、それはいつもの言い訳、一生言い続けるでしょう。いつもいつも未完成、これが続ける原動力かもしれません。

思いつきで口走って行動しちゃってあとに引けなくなって「ヤバイ、やるしかなくなった、、、どうしよう、、、」と青くなっている私を助けてくれるのは一緒に仕事をしてくれている先生たち。先生たちの助けがなければ、何も出来ません。本当に今までも今回も感謝です。

そして今回このわがままな企画に賛同し出演してくれた出演者と裏方の皆様に心から感謝申し上げます。


キャスト(あいうえお順)
岩村忍(ピアノ)
氏家球子(ソプラノ)
熊倉正博(朗読)
正部家喬久(テノール)
堤陽子(キーボード、ピアノ)
直井紀子(ピアノ)
野村静香(ピアノ)
中村晶(ギター)
平石愛美(ピアノ)
藤田貴子(ピアノ)
藤田幹(ピアノ)
本間翔子(ピアノ)
森田有紀子(ピアノ)
山川達也(ベース)



スタッフ(あいうえお順)
伊藤真司
大野雅弘
児玉睦子
富井かおり
松井外恵
山本大樹


カメラ
金子秀幸


広告協賛
アポロ管財株式会社 様
税理士法人 東京さくら会計事務所 様
彩食遊膳 和花 様
i office 吉祥寺 様
株式会社 吾妻 様
つくば観光株式会社 様
PIANO MAINTENANCE WORK 早川 様


舞台吊り看板
山本将尋 様


ご寄付
株式会社石黒工務店 様



後援 小金井市教育委員会




















2015年9月12日土曜日

明日は感謝コンサート

大きな水害があったり今日の朝は地震もありました。

明日は一般社団法人はじめてピアノの会10周年感謝コンサートです。
私は気が小さいので、イベントの度にドキドキしちゃってプレッシャーすごいのですが、戦後70年を迎え、またこんな風に自然災害が続くとこうして無事に生きていられてその上音楽も出来て、ドキドキしてる場合じゃないよな〜と思います。以前に演出家の方とお話ししたときにかけていただいた言葉「人前に出る責任」を全うしたいと思います。


沢山の方に応援していただき準備が整いました。
定員が150名の小さなホールなので、チケットをお渡し出来ない方が出てしまったことが唯一心苦しいのですが、いらしていただいた方と一緒に楽しみたいと思います!







2015年9月10日木曜日

様式美

伝統を伴う芸術には様式美と言うものがあります。
私はこれが大好きです。

たとえば茶道。
お菓子をもぐもぐ食べてお茶を飲んで「あ〜美味しい〜」でいいところを、それを口にする前に細心のおもてなしの心であらゆるものを整える。
招かれた方もそれを一つ一つ細かいところまで感じる。
お花も掛け軸も水を打つことも食べる飲むとは関係ありません。
でもやるんです。
こういった究極の様式美が大好きです。


「好きな曲が弾けて楽しい」は大事な楽しみではあるけれど、それだけでは「おいしいお菓子と美味しいお茶がいただけて満足」で終わってしまいます。
クラッシック音楽は何と言っても様式美。
バッハはこう、モーツァルトはこう、ショパンはこう、ワルツはこう、ポルカはこう、というのがわかるとまるで茶道のような楽しみが出来ます。

それを覚えてやるのは大変だけど、ほんの少し知るだけでも世界が広がりますよ。



2015年9月9日水曜日

思い出

子供のころ、イヤな事があると歌を歌ってました。
親に叱られたり、失敗したりした時。

とっても音痴だったので、叱った母はくすくす笑ってたし歌の上手な姉はハッキリ「音痴!」と言ってました。
「近所に聞こえるからそんな大きい声で歌わないで」と言われてたのに、全然懲りもせずやっぱり大声で歌ってました。自分では音痴だと思ってませんでした。というかちょっと音程ずれるけど、ま、いっか、と歌が大好きなので歌っていました。

中学になって、遅ればせながら自分がかなり音痴なことが恥ずかしくなりました。それから言われなくても歌わなくなりました。歌うのがイヤになりました。だから音楽の授業は大嫌いでした。歌の試験では小声でこそこそ歌いました。だからテストが100点でも5じゃありませんでした。

音楽にはあまりいい思い出がありません。
ピアノの先生にも上手な人と比べられコンプレックスの塊でした。


それが今こうして楽しく音楽をやっている。
不思議です。
才能より努力と言いますが、私は才能より努力より継続と思っています。


2015年9月8日火曜日

習い性になる

今日、生徒さんに「新聞に載ってたんですけど」という話を聞きました。

記憶には4段階あって
ぼんやりそんなこともあったなというもの。
取っ掛かりがあると思い出せるもの。
考えれば思い出せるもの。
考えなくてもわかるもの。

その方いわく「ピアノは4段階目のオートマティックじゃないとダメなんですね」。

「それ読んで私、生まれ変わりました。ピアノやりたくない日でも練習する事にしたんです。習慣になるくらいやらないと考えずに出来るわけない。そしたらこれ、弾けるようになりました!そしたらピアノやりたくない日が少なくなりました。好循環です!」

その方は78歳。
習い性になると言いますが、考えなくてもそうなるってやっぱりそれだけの量が必要です。

人生の先輩には学ぶ事が多い。
私も見習います。

2015年9月7日月曜日

アレクサンダーテクニークのDVD

「練習では出来るのに本番では出来ない」
このみんなが解決したい問題を解決出来ると噂のアレクサンダーテクニークのDVDを観ました!


なるほど!
、、と思ったのですが忘れました。
忘れた理由は「練習で出来ている、と思っても本当は出来ていないことが多いので、まずそこを見直しましょう」。
この言葉をささやかれ、もう先に進めなくなりました。
ですよね。
だって、いくらアレクサンダーテクニークを持ってしたところで、私が身の程知らずのプロコフィエスのソナタを弾けるわけないですもんね。

練習で出来るのにと悔しがる前に、自分に問うことがありますね。
「本当に練習では出来ていると言えるのか」


練習で本当に納得するくらい出来ていれば、「練習では出来るのに本番では出来ない」と胸を張って言えるでしょうが、でも、そうでない私は、まずはきっちり練習から見直した方が良い、ということです。

毎日しゃべっている日本語でさえ、人前でスピーチするとなるとろれつが回らなくなるものです。アナウンサーの方だって、必要のない早口言葉を練習してますよね。早口言葉が言えるほどだから原稿をスラスラ言える。

どれだけピアノの訓練をすれば良いかそこでわかります。
中には「スピーチなら緊張しない」「歌なら緊張しない」という方もいます。
でもピアノは別。
だってピアノは日本語ほど時間をかけてないし歌と違ってメロディー以外の部分も多いし両手だしペダルもあるし。。あれもこれも。


ただ、アレクサンダーテクニークの「体の使い方」をピアノの練習と一緒にやっていくといいと思いました。ピアノ以外の楽器の方やダンスの方なども取り入れているそうです。

最後の最後は指だけど、最初や途中で必要なことは指以外にもたくさんあります。








2015年9月6日日曜日

歌と音楽とピアノ

10月7日 水曜日 10:00〜12:00 武蔵小金井 1000円

はじめてオペラの会
「オペラにおける声楽家たち〜歌でたどるオペラのれきし〜」


とっても詳しくて簡単でわかりやすい解説とミニコンサートの講座です。
ミニコンサート、と言っても実はミニではありません。
ソプラノとテノールの方がそれぞれソロ4曲 & 二重唱 もしかしたらアンコールも? 10曲くらい歌って下さいます。
コンサートにミニレクチャー付き、という方が正しいかもしれません。
それくらい充実しています。

時代順に解説を交えながら歌っていくので
「へえ〜、こんな風に変わっていったんだ〜」というのがとってもよくわかります。
バロックから現代まで歌でたどります。
よくわかるということは楽しいということです。
「知ること」は役立てるためでなく楽しむため。これが知ることの醍醐味です。

ピアノを弾く人によく「歌をやってピアノに役に立つんですか?」と聞かれます(笑)。この質問自体が驚くくらいです。当然です。歌を知らずして、音楽の一部であるピアノが弾けるわけがありません。この質問をする方はきっとピアノを指の運動だと思っているのでしょう。そしてクラッシックには様式美があるので、ピアノはクラッシックを弾くけど、歌うのはポップスと演歌のカラオケ、ではやはり手落ちです。

ただ、役立てることを目的にしてしまうと、見えなくなることもあります。
自分で余計な取捨選択をしてしまうからです。
純粋に「へえ〜」という気持ちの方が、知らず知らず役に立ちます。どんなふうに役立っているか本人にもわからない形で、その効果が表れていたりするものです。


また詳しくお知らせします。
とりあえず10月7日午前、空けておいて下さい!






2015年9月4日金曜日

パクリ

パクリかパクリじゃないかって事ですが、パクらずオリジナルの個性という強さを持った人なんか、そんな滅多にいるものではありません。オリジナルのものなど生み出せない私は、パクってなくても同じようなものしか作れない凡人状態がよくわかります。

例のデザイナーも私たちと同じただの凡人だっただけです。
デザイナーと名がつくとすごい才能溢れる感じですが、ピアノの先生と一緒で国家試験があるわけでもなし、自称でもなれる職業でしょう。
パクってなくても似ているって、それだけで個性的でないってことですからね。
それで賞もらえるってデザインの世界ってけっこう甘いんだ、と思いました。
私になめられちゃ気の毒です。

個性とは何か、と言ったら私は「強さ」だと思っています。
岡本太郎さんのデザインなんて最初見た時「なにこれ!?全然よくないし!」って全員が思いましたよね。全員が。
でもあの変なデザインを貫いて、人前にさらすって岡本太郎さんはすごい勇気だと思います。いわば、たいしたカラダでもないのに全裸写真集出すみたいなものです。強すぎます。ふなっしーもここまで人気が出たのは、他と違う強さがあったからです。

ビジネスの世界では、パクリは戦略で大アリのアリアリです。ファミマやローソンはセブンイレブンのパクリだし、100均が出来たら今度は300均が出来て、それがなんと本家本元より良かったりしてます。

でも芸術はそうではないはず。
人やスポンサーに媚びることなく、人の内から出てくるもので闘う。
そうでなければ絶対強くはない。
なんとなくいいカンジとか何となくカッコいいとか何となくかわいいって何かに似てる。今あるいいカンジの何か。今あるカッコいい何か。今あるかわいい何か。
ほんとは個性なんてないのに、それが商品に簡単になってプロもどきになってあたかも自分にアートの才能とか個性があると勘違いしちゃう。きっと私たちはそんなことに慣れているんだと思います。でもこれは芸術でなくあくまで使い捨ての商品。淘汰されるのは時間の問題。

第一線でご活躍の方も実は同じ凡人だった。
凡人はうっかり調子に乗りやすいので気をつけないといけないのだなと思いました。






2015年9月3日木曜日

音楽史の女性

音楽史が大嫌いでした。
世界史や日本史も嫌いだったので当然音楽史もその流れで、やる前から嫌いと決めていました。

しかし今になってとっても面白いことに気づいています。
当然のことながら、1行で終わる出来事に様々なドラマが詰まっています。
また、音楽史に登場しない人のドラマもあります。


昔、女性は職業を持てませんでした。
お仕事と言えば修道女でしょうか。
シューマンの奥さんのクララさんやメンデルスゾーンのお姉さんあたりになると、少し人前に出て来られるようになっていますね。それでも交響曲などは書いたり演奏してもらう機会などありませんでした。今こうして女性の作曲家や指揮者が活躍するようになるには、それまで長い道のりがあったのですね。

西洋は男女平等といいますが、それはあくまで人工的な感じがします。
私は男性女性と接して、女性の方が頭もいいし感性も優れている方が多いと感じます。
でも職業となると瞬発力、持久力から言って男性の方が適していると、思っています。
時には戦闘的にならないといけないこともあります。

私が仕事に向いていない人格なのは間違いないです。
才能ないし体力ないしルーズだし雑だし鼻っ柱は強いけど気が弱いし。

それなのにこんな風に楽しく音楽のお仕事させてもらえるなんて、まったくもって良い時代に生まれたものです。








キウリ

きゅうりの育て方がわかって、どんどん収穫!、、、と思ったら、長雨の日照不足になって生育中だったミニキュウリがほとんど黄色くなってしまいました。。きゅうりの旬は真夏なので、普通ならもう時期的に終わりなのですが、うちは遅く植えたし、南向きで日当り良好なマンションのベランダだし、かつてピーマンは12月まで生っていた実績もあります。だから長雨さえなければ百歩譲っても11月までスタンダードキュウリが豊作だったはずなのです。

キュウリは連作は出来ないようなので、あと2年待たないといけません。
育て方を忘れそうです。


2015年9月2日水曜日

勉強は役に立つか

私は植物の名前をわりと知っています。
源とか徳川とか誰なのか全くわかりませんが、「おや、こんなところにヘクソカズラが、、」と散歩の途中で口走ることが出来ます。これは非常に役に立っています。何に?というと、生きてて楽しいことに、です。

しかし、いつも思うのはヘクソカズラの名前です。屁糞葛って不憫すぎです。あの可憐な白い縁取りの紅の花や、小さな実をたくさんつけた蔓はほんとに可愛くて、その名を「好きな花」欄に書きたいくらいですが、世間体を何より気にする私としては「屁糞葛」と書く勇気がありません。もしヘクソカズラが屁糞葛でなくスズランとか芍薬とかピエールドゥロンサールという名だったら真っ先に書いてます。イケメンのカレシじゃないと友達に紹介できないみたいな器量の狭さです。

話をすすめますが、つまり知識は役に立つものと、ただ知ってるだけで楽しい、人生を豊かにするものがあるってことですね。音楽の知識は前者もありますが後者だけでも充分です。


私はピアノの先生の仕事として、音楽の本を読んだり調べたりそれなりに勉強します。そのとき私は「役に立たせるため」知識を身につけますが、それをしている過程や人にそれを話している過程は楽しいので、これは一石二鳥です。
それに比べて税金の勉強をしている時は、「こればっかりやってたら気が狂う」と思いながらも知識を得るためしかたなくやっています。

では楽しい方だけやればいいか、税金は知らなくていいかというと違います。
やりたいことをやる上では前者と後者両方が合い絡まって必要となってくるのです。

義務教育ももちろん高校大学の科目には私にとっての税金みたいなものも沢山あります。でもそういう知識を取り入れることは、やりたいことをやる上で必要になって来ることが多いのです。仮に必要にならなくても仕組みや思考の訓練と言う面でとても役立つ、と今の私にはわかります。昨日テレビで「難しいことにチャレンジすることに意味がある」と言っていました。人生、もっともっと難しいことがあるのでその時のために思考力や持久力を鍛えるってことですね。良い話です。

子供のうちはそれがわからなかった。
だからさぼってごまかして生きてきました。
子供の頃の自分にアドバイスするとしたら「文句はやってから言え」です。




2015年9月1日火曜日

指番号通りに

初見に強くミスの少ない方は指番号通りに弾けますね。
指番号で弾けるというのは、生真面目だからではなく、さっと指番号通りに弾けるテクニックを持っているということです。その上で、自分に合う指番号を探すのです。

私のように、指番号通り弾くのが出来ない人は、性格が雑なのとは別に、10指がまんべんなく使える技術がないからなんです。
私は雑ですぐなんでもごまかす性格なので、子供の時、スキがあれば指番号を無視して弾いてました。でも先生に怒られてイヤイヤある程度は直しました。しかし「ある程度」なんかではダメですね。考えずともその指が出てくるようになるまで練習しないと。
今もめんどくさがりの性格は改善していませんが、新しい曲では、まずは徹底的に自分に合う指番号を見つけることが最初の仕事です。

「弾きにくい指番号」は誰でも弾きにくいのです。3番4番の指の間が開きづらいのは程度の差こそあれ人間みな一緒です。
そもそもピアノなんて弾きやすくないのです。全部難しい中、マシな指を探す感じです。

難しいからこそ、10指をまんべんなく使えるようにしたいです。
自分に合った指番号を探すには、まずは書いてある指番号はしっかり守って全部の指を使えるように鍛えましょう。






2015年8月31日月曜日

手のポジション

大人の方は「バイエルやチェルニーは結構弾けるけど、もっと音の少ない簡単なはずのギロックとかがなぜか苦手です」とおっしゃいます。


まったく耳なじみがない曲だからという理由もありますが、もう一つ大きな理由があります。それはポジションです。

本当はバイエルのような5指以内のポジションのものの方が音の不揃いが際立ってしまい難しいのですが、ポジションが同じということでバイエル類はあまり考えずに弾くことが出来ます。


頭を使うのが得意なはずの大人ですが、パターンが決まっていない柔軟に考えないといけない譜読みは大変苦労します。リズムや音域が広がりポジションが変わると、パターンや思い込みで弾けなくなります。目で見た楽譜の音とリズムを頭で考え正確な指の番号で、考えるヒマなく鍵盤を弾く、という頭と体を繋げることが必要になります。

そいうい作業に慣れていない大人にとってそれは「別の思考力」を使わないといけない。「高いドが左手の3番?それにオクターブ上の記号が付いている?鍵盤はいったいどこ?」ととってもややこしいです。

ただこれはその曲を弾くと言う意味だけでなく、ピアノ脳を作る練習としてもとても大切です。何でもそうですが、思い込みは上達を妨げます。

大人の方は、頭を使うのが得意なゆえに、過去の経験からドは右手の1番、ひだりの5番で弾くものと思い込んでいるのですね。
経験を生かすのは大事ですが、まずはまっさらな気持ちと頭で楽譜に向き合ってみて下さい。

認知症予防に良いとわれるピアノ、脳の活性化にはバイエルよりバロックと近現代です。





2015年8月30日日曜日

繰り返し基本に戻る

ミスタッチを防ぐためには指先の力とコントロールがいかに大切かを実感しています。


音色のために一番大切なのが指先。
指先を鍛えることは、ミスタッチを防ぐことにも繋がります。

譜読みが出来て音符も正確に弾けるようになって表現をしだすと、それらしく弾けるようになりちょっと得意になります。

しかし、ピアニッシモやフォルティッシモ、クレッシェンドはなんとなくそうなっているのと本当にそうなっているのでは全然違います。だからちゃんと表そうとするとやっぱり指先を徹底的に鍛える、それしかありません。
それで嫌々指先のトレーニングをじっくりやる。。

そうするとやっぱり効果はあるんですね、音がキレイになってくる。
しかし、ここからが問題です。

自分なりにきれいに弾けるようになるともう最初にした練習はしなくなります。
とにかくテンポで曲想を付けて弾く。
やるとしても片手練習、部分練習。
その結果、、、。


ふたたび、雑でモヤモヤした響きのない、そしていつミスタッチしてもおかしくない音になっています。。。


つくづく、たえずありとあらゆる練習をする必要性を感じます。
どんなに仕上がっても、「基本に戻る」。
片手練習、部分練習はもちろん、やはり指先のトレーニング。
力は抜けていて柔軟でそれでいて体幹ならぬ指幹のしっかりした指。


めんどくさいけど、でもやれば必ずやっただけのことはあります。
頑張ります。





2015年8月28日金曜日

もっとやっておけば、、

もっと真面目にちゃんとやっておけばよかったと、いつも思います。
ピアノのことやらなにやら色々です。

今は少し理解して、こうすると上達するとか上手くいくとか、逆に上手くいかないとか、少しわかります。これをもっと前に気づいていれば、と思うのです。

でもそのことを今知った、今気づいたって時点でもう「これが私」なんですよね。
子供の頃それをやってればよかったとか、若いうちに気づけばよかったとか、もっとはやく出会えればよかったとか、全部神様が凡人に用意してくれてる言い訳です。

神様は全員を天才にはしてない。
けれどまるで可能性があったかのように言い訳を残してくれてるのです。
だから未練がましく「もっとやっとけば上手になったのに」とあり得ないことを妄想してしまいます。

ピアノはもっと上手になりたかったけど、でも人生にこんなスゴイ楽しみを見つけられただけでも佳し!です。






2015年8月25日火曜日

台風

関東に台風は来ませんでした。
九州の方は大変でした。
沖縄や九州、四国あたりの方はいつも台風でご苦労なさっています。

西日本と東日本は全然気候が違いますね。
カリフォルニアは日本全土と同じくらい広いそうですが、日本くらいの違いはないですね。日本はなんと豊かな風土を持っていることでしょう。
気候が違うので収穫出来るものや習慣も違って様々な文化が生まれています。ステキです。
しかし国の借金は多すぎです。

2015年8月24日月曜日

食べること

お年を召してもお元気な方は、皆さんよく召し上がります。
食べることは大事ですね。

私は若い頃は美味しいお店を探して食べに行くのが大好きでした。
家に帰って真似して作っていました。
味はちょっと違いましたが、自分に甘い私としては満足してました。

食べ物で好きでないものは乾燥した納豆と納豆汁です。
普通の納豆は好きです。色々なお野菜と和えて食べます。今日も家の畑のツルムラサキと鰹節を和えました。

今も美味しいものをいただくのは大好きですが、新しいお店を探してわざわざ行くことはあまりなくなりました。冒険の気持ちがなくなったのとめんどくさいのとが理由です。「行っても美味しいとは限らないし」とか「行くほどの味でもなかったな」とか。
でも行ってみると「すごい!美味しい!来て良かった!」ってなることも多いんですけどね。

不思議なことに今は自分で作るお味噌汁だけでも「美味しい!」って思うのです。しかもおいしい感覚が深くなっている気がします。上記納豆さん以外はみんなとっても美味しいのです。

わざわざすごいお店に行かなくなったのは、それも理由かも知れません。


2015年8月23日日曜日

羨ましい世界

趣味で音楽をやる場合、結果がでないとやめたくなります。
職業としてやっていくには、やめたくなくてもやめなきゃいけない状況もあります。


音楽ってどっちにしても難しい。
続けていく中では実力の問題も家族や経済的な事情や色々なことが起こるでしょう。
演奏家として続けてらっしゃる方は、そういうものをぐぐり抜け乗り越えて、大変な努力を続けたのでしょう。もちろん他の芸術ジャンルでもそうです。

先日ニューヨークで活躍する日本人の写真家の方が「毎日がハラハラ」と言ってました。
実力主義で力がある人がどんどん出てくるから仕事をし続けるのは本当に大変と言ってました。

ただ漫然と甘んじていては現状維持は出来ない。
大変な世界です。
だからこそ沢山の方を魅了出来るのですね。
多くの方々に喜んでもらえる。

大変だろうけど羨ましい世界です。

2015年8月22日土曜日

ライブ見学会

ライブに誘っていただき行って来ました。実はこういうのははじめてです。若い子の行くようなものでなく年代は30〜60代くらいのお客様の、ギターとベースとドラムとキーボードで落ち着いたいい雰囲気です。

ギターやベースのことはよくわからないのですが、セッションがとっても楽しかったです。
クラッシックだとアンサンブルと言います。
アイコンタクトをとって呼吸を合わせて。
これはジャンルを問わず一緒ですね。
ただクラッシックと違うのは、クラッシックは真剣な顔であんまりわからないようにやりますが、こっちでは相手を良く見て笑ってわかりやすくとても楽しそうにやる。
クラッシックもほんとは楽しいんだけどそれは表に表さずやる(笑)。
やはりアドリブが多いので、わかるようにやらないと合わないですもんね。

やる側がそうなので100名くらいのお客様も見るからに楽しい!って感じでした。
「こんなに沢山の方を一度に楽しませるって音楽ってすごいんだな」と思いました。


2015年8月21日金曜日

ベストな人生とは

宇宙飛行士の選抜試験に不合格になってしまった人のドキュメンタリーを観ました。


その中の医師の女性が言っていた言葉。
「どんな人生でもいいんだということがわかった」

その女性は不合格になったことがとてもショックでそれまでの仕事もやる気がなくなってしまったそうです。でもお父さんに「これがベストなんじゃないか」と言われハッとしたそうです。

人生に「もしも」はないと言いますが、「もしあのとき、、、」ということを私はよく思っていました。
しかし最近になって「これ以上の人生はない」と思えるようになってきました。


人間ですからみんなもちろん欲は山ほどあります。
手に入れたいと思ったらやっぱり行動してみるのがいいけれど、でも残念ながらそこは手に入らないものもある。

けれど手に入らないものも含めてそれは自然で必然の流れのような感じが最近するのです。それがきっと自分の器にあってる。それ以上の人生を望むならまずは自分で自分の器を大きくしないと。

無理すると疲れるので、私は自分の器にあった人生を歩いていきたいと思います。




2015年8月20日木曜日

KIURI

いいカンジです!
うちの畑のきゅうりがいいカンジです!





花が咲いて2センチになってはそのまま黄色く枯れてしまっていたので、そのことを生徒さんに話したら「水と土が足りないんだと思う」とのこと、急いで家に帰って土をこんもり盛って、根っこの側に米ぬかを埋めて、水を1日5回やり続けました。忙しかったです。

そうしたらこんなふうにいいカンジになりました〜♪
雨→晴れ→雨でさらに大きくなってます。
毎日楽しくてたまりません。
ディズニーランドに行くより楽しいです。



2015年8月19日水曜日

夏の終わり

少し涼しくなりました。
昨日、樹の沢山ある公園に行ったら蒸し暑いとはいえ充分暑さをしのげしばし避暑気分でした。
「昔の日本はこれくらいの暑さだったのかな」

オリンピックが心配です。
アスファルトをはがす構想は現実的ではありません。
そのあとの地面をどうするかの問題があります。
地面を舗装するとき、まさかここまで照り返しがすごいとは想像つかなかったんでしょうね。想像つかなかったのは無理もありません。
でもきっと頭のいい人たちが想像プラス計算して科学的に、これからの世界のことを考えてくれます。頭のいい人はただ文句を言う私とは違って、文句を言うヒマに静かに淡々とこれからの世界のことを考えています。頭のいい人がいてくれて助かります。
今後も頭のいい人を頼って生きていきます。

2015年8月18日火曜日

エアK

ジャンプしながらボールを打つ錦織選手の技がこう呼ばれています。
これは基本ではない打ち方だそうですが、ピアノでもピアニストになると基本とは違う弾き方をすることは良くあります。


素人はそれを表面だけ真似してしまう。
例えば強く弾く音や歌う曲想のところをピアニストは体で思い切り表現してますが、基本が出来ていないと見かけだけで肝心の音が出ません。エアKをやってもボールが打ち返せていない状態です。
エアKが威力を発揮するのは錦織選手だからで、もし私がやったら体を痛めるだけです。

ピアノの演奏は体が大事です。間違った体の使い方をすることは遠回りになります。
エアKも素人が飛び上がったりひねったりしていては運良く打ち返せる時があってもそれはいわばまぐれです。返せる確立は低くギャンブルです。まして、体が硬くなる本番ではそうそう上手くもいきません。
ピアノも同じです。

練習では出来るのに、レッスンや本番で出来ないという方は、家でエアKをしちゃっているのかもしれません。ピアニストの演奏はもちろん参考になりますが、彼らだからこそ出来ることがあるのです。

2015年8月17日月曜日

感謝コンサート5

いくつかの会社、団体様などが広告にご協力下さいました。
また、今まで開催したイベントの出演者等の方にお祝いのメッセージもいただきました。当日のプログラムに掲載させていただきます。


今回、皆様へ感謝の思いを伝えたいと企画したコンサート。
いらして下さったお客様が「あ〜、楽しかった!来て良かった!」と満足してくれる、それだけを目指しています。
それが出来るのもご協力くださった皆様のおかげ。
有り難い限りです。
心から感謝いたします。

2015年8月16日日曜日

本番への臨み方

トリプルアクセルをオリンピックで成功させたのは、伊藤みどり選手と浅田真央選手のみですが、練習では出来るという選手はほかにもいます。
でも練習で出来るのと本番でも出来るのとでは、天と地ほどの差があります。
伊藤選手も浅田選手も、もちろん練習では出来ていても本番で成功させるのは難しい。
だからそこの間を埋めるために信じられないほどの努力をしたのだと思います。

ピアノ学習者は練習で出来ると「出来る」と思い込んでしまいます。
自分はその曲が弾ける、と。
でも練習で出来るのと本番で出来ることは、そもそも次元が違うのです。
練習で出来るのに本番で出来ないのは何故かというと、本番で弾ける実力がないからです。同じに考えることがそもそも違います。

その間を埋めるのは簡単なことではありません。
本番で弾ける実力は、練習で出来ることの半分。
プロが弾いてる曲をみて「自分が弾ける曲だ」と思っても本番でそれが弾けるかとなるとまた別です。つまり本番でその曲を弾くには、練習ではその倍の難度の曲を弾けていないと本番では弾けません。

ピアノ学習者はそこを自覚して、
「本番で弾ける曲を選ぶ」もしくは
「本番では弾けないことはわかっているけど挑戦する」という割り切りを持って発表会に臨むことが大事だと思います。

このことはピアノを長年やっていくと自然にわかってくることですが、ここをきっちり押さえておかないと、先生が選曲する子供と違って「知っている曲じゃないと弾けない」「好きな曲を弾きたい」という希望が多い大人の方は、本番で弾けないショックが大きくなってしまいます。

私も無理のない選曲にしていますがそれでも本番は難しいです。
120%弾けていても今までかつて練習でも一度も間違えたことのないところを間違えたりします。ウン十年もやっているのにそれです。
時々、「ピアノは好きだけど人前で弾くのは向かないから」と人前で弾かない方がいますが、きっと練習で出来る曲よりレベルを落としたくないのでしょう。
私も、練習ではあんな曲が弾けるのに人前ではこんな曲しか披露出来ない、というのなんだか悔しいです。
でもそれが自分なのです。
あんな曲を披露出来る人は、こんな曲しか披露出来ない自分より力がある、それだけのことです。自分がその人と同じだと思うから悔しくなるのです。

あんな曲は弾けないけどこんなステキな曲が弾けるというリスペクトを持てば、曲に貴賎はありません。

















2015年8月15日土曜日

どちらも手に入るなら

天海祐希さんに
「すぐに台本が覚えられる記憶力」と「人を魅了する演技力」どちらが欲しいか質問したら「どちらもいらない、どちらも努力して手に入れるものだからそこに価値がある」と言ってました。


う〜ん、この台詞はどちらもある人の台詞ですね〜。うらやましい。。

私は努力家ですが、好きで努力しているわけではありません。やらないと出来ないから仕方なく努力しています。それも本当に努力している人からすればたいした努力ではありません。もともと根気がなくて5分で飽きちゃうところ7分頑張ってる、しかも手を抜き抜き、というレベルです。その2分分の努力をしないで手に入るなら、それに越したことはありません。その2分分の努力をやっとこしている私ですが、結果は「少しは努力しなさいよ」と言われる程度のものです。

天海さんは美貌と頭の良さと豊かな感受性に加え、努力出来る根気もお持ちということになりますね。選ばれた人は違います。


と言っても、選ばれた人は選ばれた中でやらなきゃいけないこともあるでしょうから、うらやましがらず自分に与えられたものの中で今日も2分分の努力を手を抜き抜きしてみます。

ちなみに私だったら上記の質問、当然ながら「どちらもいります」です。







2015年8月14日金曜日

どんな練習をすれば、、、

プロゴルファーの松山英樹さんが子供に「どんな練習をすれば上手くなりますか?」と質問されていました。いい質問です。練習の仕方で結果は変わってくるというものです。


「基本になるのは体幹トレーニングです」
「素振り100回です」
「集中することです」
「ゴルフばかりでなくお家のお手伝いも大事です」
「ポルシェを乗り回してる自分を想像することです」

、、、あたりの答えを妄想して見ていました。

しかし松山英樹さんは「どんな練習をすればいいかを良く考えて、またその練習の意味を考えてすることが大事です」とおっしゃいました。

子供にこの真実の返答…。
私はゴルフはしませんので松山英樹さんのスゴさは良くわからなかったのですが、これだけでスゴイ人だとわかりました。こんなに若いのに感覚じゃなくて考えてやってるんだ〜と驚きました。一流の人には当然のことでしょうが。

ピアノでも人生でもつい、HOW TOを知りたくなっちゃいますが、やっぱり考えることが大事なんですね。
自分が出来ないのは何故か、自分の課題は何か、今何をやればいいか、今なんの練習をしているのか、これをやると何になるのか、
そしてこんな風に頑張るのはなんのためなのか。


思慮も才能のうち。凡人の私が思慮浅いのは無理ないことですが、ここは開き直らず心にしっかり刻んでいこうと思います。







2015年8月13日木曜日

立場の違い

生徒さんのヨメシュウトメ談義が面白いです。
この間までヨメだった人も、シュウトメになると途端に考え方が変わります。
同じ人間でも立場で真逆の考え方になるもんですね。

私もピアノをはじめ習い事に行くと、生徒さんの立場がわかり勉強になります。
様々な体験が人の気持ちがわかる人間へと成長させてくれるのでしょう。

2015年8月11日火曜日

感謝コンサート4

プログラムが決まりました。
手前味噌ですがとても楽しそうです。

プログラムが出来て印刷に出すときすごくドキドキするんですが、「何回もチェックしたから大丈夫!もう時間もギリギリだし」と決意を固めて入稿します。

しかし絶対間違ってます。
2人がかりで、時に3人がかりでチェックするんですがミスがあります。
要するにチェックしてるようでしてないんですね。
「練習したのになぜか間違えるんです」とよく聞くあのセリフの香りがします(笑)。

最初から最後までただ弾くという講師からみると、甘い甘い、そりゃ間違えるわ、という詰めの甘い練習がありますが、たぶん校正のプロに言わせると、私たちのチェックはそんな詰めの甘い練習と同じでしょう。ミスもあって当然だというやり方だと思います。
しかし、正しいやり方でチェックしなさいと言われたところで、「いや…ミスがあっても命に関わる事じゃないし、日本人だからわかるし、見た方も許してくれてるし」と絶対今までのやり方を押し通すに決まってます。
めんどくいことは避けるのが私のモットーです。

そして思いました。
生徒さんはピアノのことを同じように思ってるのかも?

確かに間違えたくはない。
でもそこまで自分を追い込みたくはない。
趣味だし。
死なないし。
そんなめんどくさいことしなくたって出来るかもしれないし。

少し生徒さんの言い分がわかった気がしました。
でも、ピアノは「出来るかもしれない」=「100%出来ません」ので。
これは肝に銘じておいて下さい。


2015年8月10日月曜日

友達親子

大人になってわかったことの一つに、ほとんどの大人は身体が大きくなっただけの、子供と同じ人間というのがあります。もちろん自分もです。

なので教師だから医者だから優れているってことはないと、納得しています。
そして親だって成熟した大人な訳じゃないんですね。


でも、だからって私は友達親子というのが好きではありません。
大人同士になれば別ですが、子供が小さい時は立場が全然違うのですから、意見も行動も違うはずで、友達になれる訳がないのです。めんどくさくて大変なことはしたくない子供と大人が話が合うわけがないのです。なぜ友達親子が増えているかというと、その方が楽だからです。友達になっちゃったら叱ったり管理しないで済みます。自分が楽なのです。
私みたいに楽したい人間にはそのことが良くわかります。

昨夜11時頃帰宅するとき、居酒屋から4人家族が仲良く出てきました。小学生の子供は慣れた感じで楽しそうでした。バカな親だと思いました。たとえ子供がそれを望んでも、早く寝かせるのが親です。ケチだなんだと言われても寝かせるのが親です。たまにはそういうこともいいという人もいますが、何故たまにいいのかもわかりません。子供の生活に沿ったたまにいいことをすればいいと思います。

宇宙飛行士の油井さんのお父様が息子を尊敬しますと言い、油井さんは私が父を尊敬しているんです、と言いました。いい話です。
友達親子との違いは、油井さんのところはどちらも大人ということです。

子供の上に立つには、上に立つ責任が生じます。
責任あるものは責任ある行動をしなくてはいけません。
自分が夜11時まで居酒屋でのんびりお食事したりお酒飲んだりしたいのを我慢して、自分を律しないといけません。友人と遅くまで話も出来ません。ゲームをし放題、お金を使いたい放題ってわけにもいきません。

親がストレスがあると子育てに良くないといってそんなことでストレス発散するのは、未熟な証拠です。責任あるものはストレスなんてあって当然なのです。ストレスのない喜びなんてないのです。

子育ては難しいでしょう。
ピアノの生徒さんにも、いかに練習をさせるかはとても苦心するところです。
私のような幼稚な人間は生徒さんと友達でいられたらとても楽です。
でも、それが一番生徒さんを成長させることになるのかと言うと違います。
親子でもそうです。

責任あるものが迎合していてはその力は発揮出来ませんし相手も成長出来ません。
逆境に負けない精神を培うには、大人が逃げず、子供たちと毅然と闘うことだと思います。

そんな大人に自分がなれるかというと絶対なれませんが、でもなれるよう心がけたいとは思います。








2015年8月9日日曜日

出来ることを数える

年を重ねていくと、以前出来た日常のことが出来なくなります。
昔、祖母が言ってたその意味が身をもってわかるようになってきました。


ピアノを習い始めると何も知らなかった時より少し出来るようになる。
これは年に関係なくそうです。
何もやらなかった時よりは絶対、誰でも出来るようになるのです。
ただ「やらなかった時より」なのです。
年を取って日常生活が出来なくなるのにピアノだけはずっと右肩上がりとはいかないのです。考えたら当たり前なのですが、最初にぐんと伸びるので、つい「このまま頑張っていったらどんどん弾けるようになっていく」と、年齢は関係ないかのように錯覚してしまうのです。

夢を壊すようで悪いのですが、ピアノだけそんなことあるわけないのです。
自転車や水泳と違って、若くたって弾けた曲すらすぐ弾けなくなるのがピアノ。
若者だって現状維持は難しいのです。
年を取ったら尚更。習えば習っただけ難しい曲が弾けるようになると思うのは幻想です。
習う年月と比例して上達することは、残念ながらありません。

先日ある生徒さんがおっしゃってました。
「出来ることを数えてます」
出来ないからやめてしまっては、たぶんいつかみんなやめなきゃいけなくなる。
だから、出来ることを出来る中でやっていく。

これからずっと忘れないで覚えておきたい言葉です。


2015年8月8日土曜日

知らないこと

アメリカ大陸を発見したコロンブスは奴隷商人で先住民を虐殺したヒドい人、と先週生徒さんに聞きました。知らなかったです!


「そんなヒドい人だったとは!!」と驚きました。
でもこれ、聞きっぱなしで自分では何も調べていないので、聞き違いとか勝手な自分の解釈とか入っているかもしれません。私は全てが大げさです。
コロンブスに言わせると「いや、そこまででは…」という部分もあるかもしれません。

知らないと、聞いたことや言われたことを鵜呑みにしてプラス妄想を膨らませます。
音楽に関することもそうです。
諸説ある中の一つがテレビで取り上げられたりすると、完全に信じてしまいます。
ピアニストなんかでもドラマティックに取り上げられると、すごいピアニストの気がしてすごいお金出して聴きに行ったり(笑)。

別にコロンブスがどんな人だろうと、ピアニストが上手だろうと下手だろうと生活を脅かすほどでなければ別にそれも構いませんが、身近な人間関係や大金や国同士の話だと事は重大です。

知らないから信じてしまう。
知らないと、人の言葉やウワサだけで判断してしまう。

出来ないことは沢山あるけど、まずは少しでも知っておこうとすることは大事ですね。
明日は長崎、原爆の日です。
もう少し歴史を勉強しなくては、と思うこの頃です。

2015年8月7日金曜日

幸せなら

私は今が人生で一番幸せな気がします。
じゃあ以前は不幸せだったかというとそうではなく、今は「幸せだということに気づいた」状態だということです。

ドラマで「幸せな子やねえ。その分励まなきゃね」と言ってました。
もう既に終わった「天皇の料理番」を録画で見ています。
その中の台詞です。

幸せだと感謝出来る。
感謝出来ると励める。
励むと結果が出る。

幸せだと気づくだけでいい循環になる感じがします。

2015年8月6日木曜日

修羅場

修羅場ってすごい響きですが、経営者の方に伺うと修羅場は必要だそうです。


凡人としては修羅場は経験したくないものです。
もっとも好きで修羅場を経験してる訳でもないでしょうが、修羅場を迎えるくらいギリギリの選択をして乗り越えるってことなんでしょうね。

修羅場が訪れるのは、なにかアクションがあったわけで、安全を求めて手や足を出さなければいいこと悪いことどちらも起こりづらいでしょう。
その結果に関わらず、修羅場の学びがそこにあるということですね。


修羅場を経験せず一番の幸せはないとお話された最後に言っていました。
「何があっても続ければ死ぬまでには人生黒字になるから」

なるほど。
そのくらいの気持ちで修羅場をお迎えできたら、乗り越えられるのかもしれませんね。

2015年8月5日水曜日

才能は他人が見つける

運ってあります。
なんでしょうね、ほんとに運ってあります。


「才能は人に見つけられるもの」と言いますが、自分でこだわっているものより人に望まれるものをした方が自分の才能を発揮出来るってことでしょう。
運というのは「いい」って言ってくれる人が繋がっていくことなのかもしれません。

ただし何もせずに待っていては運は来ない。
私の好きな映画の「ラブアクチュアリー」では、いっぱいガールフレンドを作りたいがためだけに、ある男の子がアメリカに行きます。そしてアメリカに行ったらほんとにガールフレンドがいっぱい出来ます。夢は叶う、です。

こんなバカバカしい理由で行くって現実では軽蔑間違いなしですが、そんな理由でほんとにアメリカに行っちゃうその男の子が清々しく爽快です。

夢は叶うっていうと、壮大なカッコいい夢を叶えるように思ってしまいますが、身近なバカらしい願望から始まるのかもしれません。
他人に見つけてもらえるには他人にわかるようアクションを起こさないと始まりませんね。

2015年8月3日月曜日

スーツ

この暑い中、スーツを着てお仕事なさっている方がいます。
さすがに外ではジャケットは着ていませんが、スーツを着ないといけないのはとっても窮屈そうです。
だらしないカッコでは雇う気もしないでしょうが、いくらなんでもこの暑い国でスーツやパンプス、革靴はかわいそうです。
やはり日本人はゆかたにすべきでしょう。

私のように好きな格好をして出来る仕事はつくづくラクチンだと思います。ゆかたは着ませんが。靴だってラクな靴履けるし。

仕事の内容もさることながら、ピアノの先生はほんとに恵まれた仕事です。
こんないい仕事をさせてもらえることに感謝です。

2015年8月2日日曜日

小学生 はじめてピアノ夏休み体験会

小金井でいよいよ始まります!

まずは夏休み体験会


小学校1年〜3年

8月20日木 13時〜14時半
8月22日土         〃

二回で2000円

耳とリズム感を鍛えるリトミックを取り入れたピアノ教室です。
シニアや大人の生徒さんを多く指導してきたからこそわかるこどもの時に大事なことを中心に楽しくレッスンします。



ピアノがはじめてのちびっこさんをお待ちしています。

お問い合わせ お申し込みは      info@hajimetepiano.org   まで

2015年7月31日金曜日

奥底の小さな星

私が短歌を習い始めたきっかけは、いつも言いたいことが整理出来ずくどくど余計なことばかり言って最終的に「で、何がいいたいの?こういうこと?」って10秒でまとめられ、「そう!そういうこと!」となる会話の過程を省略し、自分から「こういうこと!」と颯爽と話せる女になりたいと思ったからです。


短歌は古典の教科として大嫌いで「けり」とか「なり」とか見たり聞いただけでイラっとしてたので、好きで始めたわけではありません。57577で伝えられる女を目指しただけです。仕事で英語が必要だからしょうがないから習います的な。それが30代前半の頃。

「いやいや、その目的なら短歌は違うでしょ」と思いますよね。
はい、私も今はそう思います。
しかしその頃は57577を学べば論理的な思考と会話が出来ると思ったんですね。そのくらい短歌がなんなのか全く知らない本物の素人だったのです。

ただ「和歌」という響きに、うっすら魅力を感じていたのは事実です。
なにしろ20代の頃は「30歳になったら毎日着物で過ごす」と夢見ていたくらいですから。

話がそれますが、35歳ころ、夢は叶えなくては!と毎日ゆかたで過ごた夏があります。
マンションの管理の方に「お加減悪いんですか?」と聞かれました。
尋ねて来た証券会社の方に「今時珍しい普段着ですね」と言われました。
それを聞きつけた九州の姉が電話してきてゆかたを止められました。
あれで私の夢は幕を閉じました。

短歌の話に戻ります。
最初はただ字数だけ合わせていましたが、実はただ字数を合わせるものではないことにようやく気づきその魅力に取り憑かれました。ピアノより断然好きになりました。

クラッシックもきっと縁のない方は、私が短歌を知らなかったように「お高く止まった西洋の昔の音楽でしょ」と思われるのでしょう。どちらも「わあ〜!楽しい〜!」「うう、、感動した、、」という大きな感動とは違うものなので、ぱっと見魅力的には映りません。

けれどそれに触れたとき、心の奥にしまっていたなにか小さな星のようなものがキラリと輝く瞬間があるのです。

人間が時代や国を超えて持っている心の中の小さな星。そんな星に気づき、その小さな星が強烈に輝く感動。

私が短歌を沢山勉強してその魅力を伝えられるならそれもしてみたかったのですが、どうも残念ながら縁がなかったので、今いる場所で今出来ること、クラッシックの魅力を伝えてたいと思います。

多くの方にキラリと輝く自分の小さな星を見つけて欲しいと思います。