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2015年7月13日月曜日

思うピアノ 考えるピアノ

音楽は情緒的で音は思いで奏でると思われがちですが、実際演奏する側には『緻密に考える』作業が欠かせません。


音楽は芸術です。好きな相手に「好きだ好きだ!」とわめき散らすまたは泣き散らすことはあってはなりません。

音楽は言葉。
一つ一つの音を吟味して「この想いの時は果たしてどんな言い方をするだろうか」と考えるのです。
激しく思うとき、たとえば大きい声で言うだけだろうか、それとも思いが深ければ深いほど声にならないそんな状況じゃないか、なんでもないフリをしてしまうかもしれない、、、そんなことを考えます。

ではそれは好き勝手に想像を巡らすことかというと、そうではなくて楽譜に書かれていることを読み解くのです。
ABAA'の形式のとき、何故こんなにAを繰り返すのか、人と会話するとき、同じことを何度も言うのはなぜか考えればわかります。
音が上がっては下がり上がっては下がり、最後にやっと上がっている音型からは、気持ちの変化が読み取れます。

自分の思いというより、普遍的な人間の思いが描かれているのが音楽です。
独りよがりにならずにそれを表現するには、何と言っても考えることです。
そして考えたら次に必要なのは、それを表現する技術に他なりません。

私のような未熟者にはそれは大変難しいことですが、そこは技術ありきを面倒くさがらず実践していくしかありません。

高い表現には必ず豊かな感受性と高い技術が必要ですし、豊かな感受性と高い技術無くして高い表現は出来ません。
思いつつ考える。
芸術への畏敬の念が年々深まります。







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