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2015年9月2日水曜日

勉強は役に立つか

私は植物の名前をわりと知っています。
源とか徳川とか誰なのか全くわかりませんが、「おや、こんなところにヘクソカズラが、、」と散歩の途中で口走ることが出来ます。これは非常に役に立っています。何に?というと、生きてて楽しいことに、です。

しかし、いつも思うのはヘクソカズラの名前です。屁糞葛って不憫すぎです。あの可憐な白い縁取りの紅の花や、小さな実をたくさんつけた蔓はほんとに可愛くて、その名を「好きな花」欄に書きたいくらいですが、世間体を何より気にする私としては「屁糞葛」と書く勇気がありません。もしヘクソカズラが屁糞葛でなくスズランとか芍薬とかピエールドゥロンサールという名だったら真っ先に書いてます。イケメンのカレシじゃないと友達に紹介できないみたいな器量の狭さです。

話をすすめますが、つまり知識は役に立つものと、ただ知ってるだけで楽しい、人生を豊かにするものがあるってことですね。音楽の知識は前者もありますが後者だけでも充分です。


私はピアノの先生の仕事として、音楽の本を読んだり調べたりそれなりに勉強します。そのとき私は「役に立たせるため」知識を身につけますが、それをしている過程や人にそれを話している過程は楽しいので、これは一石二鳥です。
それに比べて税金の勉強をしている時は、「こればっかりやってたら気が狂う」と思いながらも知識を得るためしかたなくやっています。

では楽しい方だけやればいいか、税金は知らなくていいかというと違います。
やりたいことをやる上では前者と後者両方が合い絡まって必要となってくるのです。

義務教育ももちろん高校大学の科目には私にとっての税金みたいなものも沢山あります。でもそういう知識を取り入れることは、やりたいことをやる上で必要になって来ることが多いのです。仮に必要にならなくても仕組みや思考の訓練と言う面でとても役立つ、と今の私にはわかります。昨日テレビで「難しいことにチャレンジすることに意味がある」と言っていました。人生、もっともっと難しいことがあるのでその時のために思考力や持久力を鍛えるってことですね。良い話です。

子供のうちはそれがわからなかった。
だからさぼってごまかして生きてきました。
子供の頃の自分にアドバイスするとしたら「文句はやってから言え」です。




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