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2015年11月30日月曜日

またよろしくお願い致します

少し体調を崩して仕事をお休みしていました。
ようやく体調が良くなってきました。
ご心配下さった皆様ありがとうございました。
もう少ししたら仕事も再開していこうと思います。

私は真面目ですが、根性ないし体力ないしものぐさなので、元からムリはしていません。
今回もムリしたのではなく年齢的なものやら時期的なものやらです。これも生まれ持ったものですから仕方ありません。体力も能力のうちですね。
今後もムリせずちょびちょびやっていきます。
仕事再開に先がけて、こんなブログですが、読んで下さる方がいることがとっても嬉しいので、ちょびちょび書いていきます。

またよろしくお願い致します!

2015年11月16日月曜日

人生終わったという気持ちのとき

あー人生どん底だな、、と思った経験が私にもあります。
にも、というのは一度もそう思わない人なんていないだろうと思うからです。
以前、いつも明るい生徒さんが「何もない人なんて一人もいないの、みんな言わないだけ」とニコニコしておっしゃっていました。

だからどん底、と思ったとき、私だけが特別なわけじゃないと思えました。
今がその時かぁ、と思えました。
ただだからって辛いときは辛いですね。
そういうときの解決方法はたった一つ、と思います。
ベストを尽くして天命を待つ。

一言でカンタンに言ってみましたが、カンタンではありません。

ベストを尽くすと言っても何がベストかがわかりません。まずは自分に正直になって、自分がどうしたいか気持ちとしっかり向き合わないといけないですよね。人は結構自分に嘘をついているものです。
尽くすとは何かというと、行動することですよね。でもこれには相当の勇気と体力、気力が必要です。それを尽くすというまでやり切る。
天命とは結果です。
待つとは何か、時間ですね。

まとめるとこうです。
「心から自分が良しと思う行動を勇気を持ってして時間が解決するのを待つ」

いやいや、難しい。
どん底の時はそもそも何もやる気にならないんです。
そして自己否定が強くて冷静になんてなれないのです。
天命を待つというのも辛いです。余計なことをジタバタやって事態を悪化させるのが人生の中で一番得意な時期です。

ではどうしたらいいか。
無理矢理勉強するのが一番です。
創造的なことや心の勉強ではなく学生時代のような机に向かう暗記の勉強。
なんとかやり過ごすにはこれです。

私はあーどん底、何にもやる気しない、自分には価値ない、と思った頃イタリア語を勉強しました。
NHKのイタリア語講座のCDや他にもイタリア語会話のDVDやテレビの講座や。名詞も動詞も変化形が超難しいので紙に何回も書いてお風呂に入るときも持って入り電車の中でも覚えました。家ではいつも発音してました。そのうち、ものすごく楽しくなってきてすっかりイタリアにハマり、歴史やイタリア料理にも懲りました。もちろんイタリアには行きました。合間に数独などもしました。

同じ頭を使うのでも、イタリア語を覚えたり数独をしたりすることは悩むことときっと対極なんだと思います。悩むことはとてもクリエイティブです。今までのやり方では間違えたから問題が起こった。それをゼロに戻して新しい発想をする。そのバランスをとるためにもテスト勉強みたいなのがいいようです。

その頃のことは「自分ではあれってどん底って思ったんだよな〜」と、懐かしくなるくらい小さな、そして貴重な経験になりました。


時が過ぎれば小さなこともその時悩むのは苦しいです。でも考えないで苦しまないでその場しのぎのことをしてしまうと悩みは悩みのままです。だから一所懸命考えて一所懸命行動して、その後はほっとく。
そうしたら望み通りの結果にはならなくても、後々『こうなるためによかったんだ』というように人生は流れていくんだと思います。
私の人生なんてたいしたことありませんが、真面目に生きているといいことがある気がします。私にとっての真面目さとは「真摯に考えること」「真摯に行動すること」です。

La Vita e bella=人生は美しい
話しているだけで音楽のようなイタリア語、それに救われました。















2015年11月15日日曜日

楽譜の秘密

楽譜ってすごいですね。
よくあそこまで効率的にたくさんの情報を密度濃く圧縮出来たものだと感動すらします。

でも解凍の仕方を知らないと、せっかくのたくさんの情報も受け取れなくなってしまいます。


楽曲分析とは、楽譜の秘密を読み解くことにかかってきます。
楽譜の秘密を知ると楽曲分析が容易になります。
音の高さだけでない楽譜の読み方を学ぶと、作曲家の思いをさらに汲み取れます。

楽譜には秘密がいっぱい。
たまにはピアノの前だけでなく机の上で、ソファに座って、こたつの中で楽譜を見てみて下さい。




2015年11月14日土曜日

あんまり捨てません

私はあんまり捨てません。

ケチなのでもともとあんまり買いません。ケチなので買ったからにはあんまり捨てません。ケチなので生ゴミですら肥料として菜園に使っています。タダでは捨てたくありません。

来る者は拒まず去る者は追わず。これは私のポリシーですが、人間に限って。人間は自分の意思で行動出来るので本人の意思を尊重しています。
しかし物は勝手に行きたい人の所に行けないし、去りたくても自分で動けません。

自分のところに自分で持ってきたものは責任を持って出来る限り大事にしたいと思います。

2015年11月13日金曜日

自分とは

人前で上がるのは自分を良く見せたいから、と言われます。
よく見せたいんじゃなく普段通りにやりたいだけ、と思います。
でも、それがそもそも良く見せたいってことなのかなと最近思うようになりました。


本当の自分を知って欲しい、って人がいう時、間違いなく自分をいい人だと思ってます。
「他人は自分を誤解している、本当の自分はこんなにピュアなのに」と。
確かに誤解というのはあります。よくあることです。
 しかし自分は気づいてないけど人はわかっている自分というのもあります。

自分の顔や姿を鏡や写真で見ても本当のところどうなのかわかりません。
自分の声って本当はどんな声なのか自分では聞けません。
実は自分より周りの人の方が、自分の顔も姿も声もそしてその行動で本当のその人を知っていることも多いのです。

それと同じで、ピアノも弾いている自分より聞いている人の方がその人のピアノをわかっていることもあります。
本番では間違えるというのを含めてが本当のその人のピアノ、認めたくはないけれど『普段は出来ていても本番では間違える自分が本当の自分』という気がします。


私は「去る者は追わず、来る者は拒まず」のスタンスですので、てっきり自分は受け身な人間だと思っていました。
しかし、よくよく考えたら、というか最近人に言われ気づいたのですが、男女に関わらず去る者は追いませんが、人間関係はほぼ自分からアプローチして築いていました。
そして、自分が去りたい時は全く執着せず駆け引きゼロでさらりとドライに去っていました。
私は、本当の自分はか弱い三歩下がった女だと思っていましたが、そうでないことを認めざるを得ません。どんなに本当はピュアだ、受け身だと言ったところで、他人にはどっちでもいい話です。実際はそうでないんですから。
私にもなかなか積極的になれないところは多々あります。それは自分で必要以上に現実以上に自覚しているのでよくわかるのですが、逆の自分はその意識が全然なくやっていたので不思議なものでこの年になるまで全く気付かなかったんですね。

普段は出来ているという自分と本番では出来ない自分、これは両方その人なんだと思います。受け入れている自分と到底受け入れがたい自分。それが『普段通り』そのものなのかもしれません。

自分を知るのは自分がラクになるため。
本番で間違えなくなる自分に近づくには、やはりそんなどちらの自分も認めた上でのチャレンジあってこそだと思います。










2015年11月12日木曜日

聞こうとするこころ

人のピアノを聴いている時は、あそこの間をこうした方がいい、テンポはこうした方がいいってわかるのに、自分が弾くとなるとそれが全然出来ません。
テクニック的に弾けないというより、間を待てないなどテクニックと関係ないところでそれが起こります。

弾くことに一生懸命になっていて、耳が閉じてしまっているのが原因だと思います。先を弾くことばかりに気持ちが先走ってしまうと今どんな音が鳴っているか聞けません。自分の音が聞こえていないと遅れるとか休符が短いとかが起こってしまうのです。


何でもそうですが、100%理解することは出来なくても、理解しようとすると向こうから少し近寄って来てくれます。
聞こう聞こうとすると少し聞けて来ます。
自分が主張することばかりに夢中になっていると現実が見えないですね。


耳も心も、受け取ろうとする気持ちでいようと思います。

2015年11月11日水曜日

最後から2番目と3番目

毎日1ミリくらいづつしか成長しませんでしたが、
ここが限界かもしれません。

今日の朝収穫しました。


         美味しくいただきました。ごちそうさまでした。

2015年11月10日火曜日

カデンツを覚える意味

はじめてピアノの会ではカデンツを覚えます。
大人の方は音で和音を判別するのはとっても難しいので、和音の判別そのものが出来るようになることは目指していません。
では何故やるかというと理由があります。

一つは伴奏づけをするためです。
簡単な和音の伴奏がつけられると楽しみが広がります。
これは感覚だけでなく理屈も伴っているので大人の方は得意です。
メロディを見て、コードトーンからここはC、ここはG7と考えていきます。最初は戸惑っていますが慣れればすぐ出来ます。

二つ目は、和音を判別しようとすると音を聴こうと集中すること。
曲を弾いているとき、だいたいの方が実はしっかり音が聴けていません。
でもこの音はなんだろうと判別しようとすることで「聴く」意味がわかってきます。

三つ目は、鍵盤をポジションで取ることです。
ピアノの特徴はハーモニーを奏でられること。そのためには一音一音たどって行くのではなく、ハーモニーとして塊で捉えることが大事です。
左手の音がドだったとしてもドミソのドなのかラドミのドなのかファラドのドなのか、それを捉えることが必要です。くく

4つ目は、ベースを理解すること。
ピアノはメロディも伴奏もベースも奏でています。3つ目が出来たら、一番の根っこベースで音楽をしっかり支えることが大事です。

色々な意味があるカデンツの練習。
日本の民謡と違ってアンサンブルが基本の西洋音楽。
歌を歌うにしても日本人は斉唱が好き、西洋人は合唱や重唱が好きです。
日本人はメロディを追ってしまいますが、西洋人はハーモニーを追うそうです。

カデンツを学ぶのは何より西洋音楽に慣れるため、と言えます。








2015年11月9日月曜日

子供の理解力

最近のお母様お父様は小さな子供でも納得するよう、言葉で、噛み砕いて説明しています。


コンサートで3歳くらいの子がのどが渇いたので何か飲みたい、飴は持っていないかとお母様に聞いていました。お母様は耳元でささやきジェスチャーで何度も「しーっ」としながら、「ここではしゃべってはダメよ、飴はあとで買ってあげるから」と目で語っていました。でも子供はそれがわからず、声に出してのどが渇いた、ジュース、飴と何度も繰り返していました。泣きわめいていた訳ではありませんが、咳一つが響くホールでは座席の端まで聞こえています。子供としては伝わっていないと思って何度も言っていただけだと思います。

レッスンで練習をして来ない子の親御さんが「言っても練習しないので話し合った結果、子供が自分でやめるって決めましたのでやめます」とおっしゃっていました。


どちらも理解のある親御さんですが、子供を大人扱いし過ぎです。
と言っても大人でもわからないことはわからないのですが。

マナーや決まり事は「何故そうなのか」わかるようになってからではもう身に付きません。
ピアノの耳作りもそうです。和音など理屈がわかるようになってからではもう遅いのです。

私は偏屈なので、理由のない事はやりたくない、納得出来ないものはやりたくないのですが、しかし父や母に「そうしなさい」と言われ反発しながならやってきたことが今になってとても役に立ってて「あ〜危なかった、自分で決めてたら何にもやらなかった、ヤバイヤバイ」と思うこと多々ありです。字は丁寧に書きなさい、と言われた事も守れば良かったです。今からでは遅し、乱筆が身に付いてしまいました。


あくまで一般論ですが、理由がわからないけどやる必要のあることは、わかってもわからなくても習慣づけたほうがいいですね。子供は感性では天才です。でも知力はまだまだです。何より経験がありません。
「子供の頭ではわからない事もある。大人になってからでは遅いから」という姿勢も大切だと思います。

まあ、子育ては言うは易し行うは難しですね。親は冷静に客観的に教育出来ませんから、大変です。
コンサートの時のことで言えば、喉が渇いちゃった子供をその場で納得させることは出来ません。まずは抱いて急いで外に連れ出す。理解させるのは外で。これが子供に教えるべきマナーです。









2015年11月8日日曜日

食生活

最近食生活を改めました。
少なめです。
ダイエットではありません。

以前は食べたいものを食べたい時に食べたいだけ食べていましたが、ようやくこれは節操がないと気づきました。一時ダイエットした時は『痩せたい』という思いでしたが、そもそも痩せたいって思うまで食べるってどうなの??ってようやく気づきました。食べるとはどういうことなのか考えたら今まで間違っていたなあと思いました。

外食もあまりしないようになりました。
お付き合いでは行きます。私の主観を人に押し付けてもなんですから。
グルメ番組は観る気になれません。
この間まではメモってました。

私は欲の塊ですが、バランスってものがありますね。
欲はありますが理性も少しは使わないと。

感謝して今日も美味しくいただきます♪



2015年11月7日土曜日

七五三

もうすぐ七五三です。
私には関係のない行事ですが、いつも羨望の眼差しで見ています。
千歳飴です。
千歳飴というのはどうしてああなんでしょう。
子どもに長生きして欲しいという意味から長い飴にして千歳とつけたそうですが、いつ見てもそそられます。カンジいいです。魅力的です。

あの袋が特にカンジがいいのです。郷愁を誘われます。
かといって私があの袋を持って歩くのは若干、、いや相当の抵抗があります。私は人の目をとても気にする性格です。

今の時代、飴ごときで喜ぶ子供もいないかもしれませんが、あの袋は是非次の世代にも受け継いでほしい伝統です。

2015年11月6日金曜日

仕事と趣味

私は仕事と趣味が同じです。
趣味は他にもあるので趣味の一つが仕事と同じ、というのが正しいでしょうか。

今日お会いした社長さんがあと1年で引退するとのこと、「今まで頑張って来たからこれからは好きなことをたくさんしようと思う。ワクワクするな〜」とおっしゃっていました。それを聞いて「私はずっと好きなことしているんだ、、」とこんな人生を送っていて申し訳ないような、思い直してこんな人生を送れることが有り難い気持ちでいっぱいになりました。

自分で仕事としてやっているのか趣味でやっているのかわからない時もたくさんあります。イベントが終わったときに「先生はさぞお疲れでしょう」と言って下さいますが、いやいや一番楽しいんでますからって感じだし、このあいだの感謝コンサートのあとも講師の先生と「終わっちゃってなんだか寂しい感じ」と笑い合ったり。またレッスンで人生の先輩の体験談を伺えるのもとても楽しんでます。

私は住宅展示場でちょっとアルバイトをしたことがあります。
憧れの仕事だったし社員の方がとても親切でそのときもものすごく楽しかったです。
仕事が大変だったのは新卒の3年間のリトミックのときです(笑)。
でもあれはあれで超勉強になって、あれがなかったら今の私もなかったし。
たった3年でしたが、貴重な経験でした。


もし私がこの仕事を続けていいのなら、もっともっと楽しい思い出を提供出来るよう頑張らないといけないなと思いました。私がこの仕事をさせていただいている意味を今一度考えたいと思います。


















2015年11月5日木曜日

CM

以前のもものすごーく良かったです。
今回のもすごーくいいです。
比べると前の方が好きですが、でも今回のも他のCMに比べるとものすごーくいいです。
以前のは男の人と全く同じ動作をしてました。お風呂に入ったりお昼寝したり。そして恋人が出来ます。ほんといいCMでした。
今回のはおばあさんがお留守の時にお友達をたくさん呼んで好き放題するお話です。
おばあさんが戻ってきたらまたおりこうさんに戻ってます。
その時の甘えた顔がとってもかわいいです。

どうやって演技指導してるんでしょう!?
不思議です。
窓を買う時はYKKにします。

2015年11月4日水曜日

クラッシックという文化 2

西洋音楽はもともと西洋の日常から生まれています。
が、誰が作り支え伝えて来たかというと、ズバリ選ばれた一部の人たちです。芸術は人類全員が楽しむためにありますが、作り支え伝えてきたのは頂点の一部の人たちです。
作曲家、演奏家はもちろん貴族や経済人など、選ばれた人たちです。

「そんな特権意識があるからクラッシックはヤなんだよね」と言うのは早とちりです。
自分が特権意識がある訳でも自分が優秀な訳でもないのです。
ただ何百年も前の音楽がこうして楽しめるのは、それを守り発展させ伝えて来た人たちのおかげであり、何故そこまでされたかというとその価値を多くの人が認め残したいと思って来たからです。

つまり選ばれた人たちが作り守り伝えてきた美しさを平民で凡人の私などが享受出来るのがクラッシックなのです。そしてそれをより愉しむには少しでも多くその文化を知ることです。その方が本質の美しさに近づくのです。
私たちは音楽を楽しいと思ってやる事が出来ますが、クラッシックの作曲家や演奏家は『音楽って楽しい』という情緒的に作業をした人ではなく、人生をかけて命をかけて音楽をした哲学者です。有り難いものです。

せっかく日本に入って来てくれたクラッシック、カステーラ同様、存分に堪能したいものです。



2015年11月3日火曜日

クラッシックという文化 1

憧れのあの曲をピアノで弾きたくて「はじめてピアノの会」にいらした方は、歌だ、オペラだ、弦楽器だ、木管楽器だ、リズムだ、基礎だ、なんだかんだといわれて不愉快かもしれません。


ピアノの会なのにオペラや他の楽器をご紹介する大きな理由はピアノがオーケストラや歌を奏でる楽器だからと言うのが一つ。
そしてもう一つ「クラッシックという文化を知る」こと、です。

クラッシックをピアノだけでわかろうとするのは、寿司だけで日本食を語ろうとするのと同じです。そば屋の親子丼がおいしいのはそばつゆというと文化があるからです。外国人にはちゃんと天ぷらも煮物も食べて欲しいし、そば屋ではごはんものもおススメだということを忘れないで欲しいです。
家やカラオケで演歌しか聞かない、歌わない方はなおさらクラッシックの文化知ってからピアノを弾いた方が上達します。同じ音楽でもカレーうどんのカレーとインドカリーwithナンのカレーとホテルのカレーwithバターライスのカレーは全く別物です。

要するに日本と西洋というように地域が違うと、間合いや拍子の感じ方が全然違うのです。演歌に3拍子があるかどうかわかりませんが、クラッシックにはヨーロッパ独自の拍やメロディー、ハーモニー、呼吸があります。また、クラッシックの楽器自体が長い期間を経て発展してきた芸術なので様々な楽器の特徴を知るのは、右手左手一人アンサンブルのピアノ奏者にはとても必要なことなのです。

郷に入ったら郷に従えと言いますが、郷を知らずして郷には従えません。
北海道の方が東京に住むなら東京のゴミの捨て方を知らないといけませんね。
クラッシックをもっと楽しむためにクラッシックという文化をどうぞ楽しく学んで下さい。








2015年11月2日月曜日

ショパンメドレー

フィギュアのパトリックチャン選手のフリーを見ました。

今年から歌の曲を使って良くなりましたが、チャンさんの使ったのはピアノ曲。ショパンメドレー。
そのスケートと音楽が本当に合っていて、シンプルイズベストのフリーでした。

ピアノもそうですが、強弱があるほど劇的で目を奪われます。もともと映画だったりオペラだったりするとお話が思い浮かばれて直接心に入ってきます。超絶技巧の早弾きと同じで激しいステップやジャンプばかりに注目します。
逆に言えば、劇的でなく具体的でないものは伝わりにくい。

それなのにこんなに美しく魅了する。ほんとうの美しさが際立ちました。
フィギュアは「演技」と言いますが、スケーターはつくづく役者ではないと実感しました。

ピアノも顔とフリで弾きたくなりますが、フィギュアがスケーティングで魅せるようにやっぱり音色が勝負でしょう。
背筋を伸ばしてただスッと弾いただけで美しい音を出せたら、、、。

何かと大げさな私の目指すところです。

2015年11月1日日曜日

ピアノは認知症予防になるか

なる、と言われているようです。

確かにピアノの生徒さんは皆様認知症になっていません。でもそれは続けている方であっておやめになった方がどうかはわかりません。私は、ピアノを弾いているから認知症にならないのではなく、難しいと思うピアノにチャレンジし続けるから認知症にならないのだと思っています。難しい事をやるという選択をしている方々だからだと思っています。

そこに上手下手は関係ありません。
その証拠に認知症のグループホームの方々のほとんどが大きなお声で歌詞を見ず上手に抒情歌を歌えますし、子供の時弾いた難しい曲をパラパラ弾く方もいます。

でも新しい曲や新しい歌を、簡単な曲でも、練習して出来るようになろうとはしません。


ピアノを弾くには色々な事を同時にしなくてはいけません。
ト音記号ヘ音記号別々の読み方を同時に。
音の高さと音の長さを同時に。
拍子とフレーズを同時に。
右手の何番の指、左手の何番の指と別の手、別の指を同時に。
左と右のペダルを同時に。
これら「すべて」を同時に。

上記は歩きながら計算する程度のことではありません。日常では全くしない事をわざわざ、すべて、同時に、行わなくてはいけません。

更に。ここからが肝心です。
そこに心を入れるのがピアノ。そこまででも精いっぱいなのに、ここは悲しげに、ここは軽やかにというように魂を吹き込む。
頭と身体ともう一つ心も同時に使うのです。

書くとほんと難しそうですが、やるともっと難しいです。
そして発表会では、この非常に難しいことを、とてつもない緊張の中で集中してやる。
間違えたらその場で即時修正する。

こんな難しいことみんな出来るのか、というと出来ません。
出来なくてもいいのです。この難しいことをやろうとするかどうか。
これは並々ならぬことです。そこまでやるのはほんとうに大変なことです。
冷蔵庫に何取りにいったか忘れたり今会った人の名前が思い出せなかったりする(笑)、そんなお年頃なのに、です。

でもピアノにはそれをやろうとする力があるんですね。
なぜこんな大変な事をするか、やれるかというと理由は音楽が美しいから。
美しいものに心動かし、そこに向かう過程を楽しいと思える。

ピアノが認知症予防になるというよりピアノを弾く人が

・楽しみと美しさのために努力したいと思えるから

・人と比べず自分を認めているから

・そのために努力するから

だから認知症にならないのだと思っています。