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2016年3月31日木曜日

オペラの会 アイーダ

はじめてオペラの会第9回

4月6日水曜日10時〜12時

ヴェルディ作曲「アイーダ」解説講座

小金井市

参加費 500円




ヴェルディは歌劇王といわれるイタリアの英雄で、数々の名オペラを作りました。
でも本人は「自分の作品の中で一番美しいのは『憩いの家』」と答えていたそうです。
『憩いの家』とはヴェルディが作った音楽家の老人ホーム。
これは確かにヴェルディの総決算。ヴェルディの人生を知るとそれがわかります。


芸術家は芸術の事だけを考えお金の事など考えない人というイメージがあります。またお金に頓着してはいけない、ボランティア精神で聴かせろという風潮もあります。
が、音楽家も生きていくにはお金が必要です。音楽を人に聴いてもらって感動してもらうという事は、大きな努力と沢山の時間とその間生きていくお金が必要です。音楽は材料費がかからないし減らないのでタダで聴けるものと錯覚してしまいますが、作曲家も演奏家も命を削って努力して沢山の時間をそこに割いてお金も沢山使って勉強しています。大袈裟ではありません。音楽でお金がもらえなければ音楽のために使う時間以外に寝る間にお金のために別の仕事をしないといけません。
音楽はお金がなければ出来ないのにお金をもらってはいけないって矛盾していますね。

ヴェルディはそんな職業としての音楽家の地位向上に尽くしました。実業家として大変有能で、作品の上演権や出版権など音楽家の当然の金銭的報酬を権利として確立させました。ヴェルディは大人気作曲家でしたので、そんなビジネスやらなくても大金持ちだったのにそこまで色々実務的なことをしたのは、自分のためではなく世の音楽を職業をする人のためでした。

音楽家仲間が自分のように豊かにはなっていない、そのために出来ることをして、そしてそれでも老後が苦しくなってしまっていた音楽家のために「憩いの家」を作りました。


そんなヴェルディのお話も4月6日にさせていただきます。
宜しかったらいらして下さい。







2016年3月30日水曜日

私は本が好きです。本は私の友人であり師でもあります。反面教師の時もあります。
専門的な事を教えてくれるのはもちろんですが、心の拠り所です。


会った事のない著者を尊敬したり親近感を覚えたりします。
会ってみると私のようなただのだらしない人で尊敬の念も親しみもあっさり消滅するかもしれませんが、ここもまた本のいいところです。

とは言っても文章には人格が出ますね。
人格が反映されない場合もありますが、自分の思いを文章に込めて伝えようとしているかしていないかという点でみれば、反映されていない時点でそこにこだわりがないということが反映されていると言えます。このまどろっこしいネチっとした文章の感じが私の人格を物語っているということです。

自分が今どんな本を読みたいと思うか、読んでいるかで、またその本に対してどんな感想を持ったかで、自分のその時の心理状態を把握することも出来ます。

実際の人間関係の中での師や友人を作るためにも本は助けになると思います。
本を読んでいると、自分が大事だと思うことがはっきりしてきます。
良い本を読んいると、自分が目指すところの師や心から楽しめる友人が現れた時、そういう話を最初からしっかり出来ます。合理的ですね。

だからと言って、本や著者を100%信じてはダメです。でもこれも沢山本を読むと自然にわかってきます。私が宗教を信仰してないのは、ひねくれているからでなく、あれもこれもいいし、あれもこれも良くないからです。

本の文章を読み取るのは、暗号である音符を読み取るのと似ています。









2016年3月29日火曜日

「音楽の歴史でたどるみんなに弾ける原曲講座」

5月1日祭日月曜日 10時〜12時

都内

参加費 会員2000円    非会員 2500円

長過ぎるタイトルですが、ズバリこの内容で省略のしようがありません。
初級〜中級の自分に弾ける原曲を探したい方、クラッシックの音楽史を簡単に知りたい方、時代別にどう弾けばいいかわからない方、是非お越し下さい。
きっと喜んでいただけると思います。



2016年3月27日日曜日

ソプラノリサイタル

昨日は、「はじめてオペラの会」で歌っていただいている氏家球子さんのソプラノリサイタルに行きました。すごく良かったです。

小さなホールでプログラムもとても良かったし。
前半イタリアもの、後半フランスもの。
希望の歌、楽しい歌、哀しみの歌。
元々氏家さんはとても品がある歌い方の方なのですが、それが引き立っていました。
ピアノの方もステキでした。

私はピアノは大好きなのですが、無心に聴くにはピアノ以外の音楽が好きです。
久しぶりにお客さんとして音楽会に行って大満足でした。

「音楽ってこんなにいんだ〜。頑張ろう」
とモチベーション上がりました♪





2016年3月26日土曜日

10年後

毎日同じようなかわりばえのしない日々が続くと思っていても、そんなこと絶対ないのです。時は流れ、同じだと思っていた日々はもう二度と戻って来ない日々である事に気付きます。

はじめてピアノの会が小金井で始まったのは10年前でした。
そのときはどれくらい続くとか続けようとか何も考えていなかったけれど、きっと続くと思っていた。

そして今はじめてピアノの会はそのときと同じように続いている。
けれど、同じではないんですね。
やめてしまった方もいるし、新しく入って下さった方もいるし。
続けて下さっている方も10歳年をとった。私ももちろん。

変化しないものはないという事を人は忘れてしまいます。
だから、今日を大切にしなきゃなと思います。
今日やれる事は今日やったほうがいいけど、明日でも間に合う事は明日でもいいのかもしれない。
今日しかやれない事を見失っていないか、明日でもあさってでもいい事に目を奪われていないか、今やる事はどっちなのか。

人生の選択は案外、こんな小さな事の連続かもしれません。
もう二度と戻って来ない今をもっと大切にしないとな、と思います。

2016年3月24日木曜日

自分を信じると書いて

ピアノも容姿も性格も何一つ自慢出来る所がない上、人前に出るのは超緊張するし何かとアワアワしてる私ですが、人前に出る仕事だから自分に自信あるんでしょ、と思われる事があります。いやいや、自信があるわけないです。

しかし。
自分を信じる、と書いて自信なら、自分を、信じて、いるので自信、あります。
何を信じているかというと、自分を一番幸せに出来るのは自分だということ。

自分が何を好きで何が苦手か自分が一番わかっている。

何をやって楽しいとか気持ちいいというのは自分が一番わかっている。

そんなふうに自分を信じている。

そういう事です。
他人に対しては全然自信ありませんので。













2016年3月23日水曜日

図書館

出不精の私ですが、図書館は自ら行きます。


図書館のたのしみは「本を見る」こと。
本屋さんも好きですが、本屋さんはビジネスですので売れそうな本を前面に出してきます。影響されやすい私はうっかり店頭に並ぶ平積みの「3日で☆性格が変わる」とか「ラクラク☆幸せになれる」とか「明日から超ポジティブになれる☆」なんて本に心奪われてしまいます。買わないんですが、足止めされて立ち読みし時間切れになってしまいます。本屋さんではいつも奥まで入れません。

その点、図書館は平等に、置かれている、並べられている。
そもそも売れてる本は貸し出し中で置かれていない。
前面の「今月のおススメコーナー」とかは、どうみても今までだれも借り手のいなかったであろう本の紹介だったり。

興味ある本の隣や隣の隣にある本というのは気になるものが多く、図書館ではその周辺の本は一緒に借ります。本屋さんだととりあえず買ったら何万円にもなりますけど、図書館ならタダです。

気に入った著者のものは図書館にある限り全部読みます。
その中で気に入った本はアマゾンでピンポイントで購入します。
著作権のことを考えると作家さんは全部購入して読んで欲しいのでしょうが、気に入ったものは買いますので、そこは作家努力ということで了承していただきたいと思います。
楽譜なんて、大作作ってもちゃちゃっとコピーされちゃってます。作曲家の著作権に比べれば小説家の著作権は守られているも等しいです。

話がそれましたが、そんなわけで図書館が好きなんですが最近はなかなか行けません。
桜でも見ながらぶらぶら図書館散歩を楽しみたいと思います。






2016年3月22日火曜日

もうすぐホールの会

すみだトリフォニーでのホールの会がもうすぐです。
昨日はそのリハーサルを兼ねた弾き合い会でアドバイザーをしました。

「もうあと10日だって言うのに、今ごろ細かい事言うな!」と思われたと思いますが、つい細かい事ねちねち言ってきちゃいました。もう職業病で。

「ここをこうしたらもっと良くなる!!!」と思うと黙ってられなくて、ほんとはもう一回ずつ皆様に弾いて頂くのが良かったのに…。

でも「あと10日しかないって言うのに!!」とイライラしたとは思いますが、そこをもう一度楽譜とじっくり向き合ってみていただきたいと思います。
間違える事を恐れず、より音楽がステキになるよう頑張って下さい。
準備は万全に。
本番は楽しんで。

子どもも大人もはりきってます!



2016年3月21日月曜日

ピアノを弾いちゃおう♪

友人が「子どもが弾かなくなったピアノ、もったいないから私が弾いちゃおうかな?」と言いました!


友人は子どもの頃ピアノを習ってました。でも今はピアノはやらずほかの楽器をやっています。でももう一度ピアノをやろうと思ってくれたみたいです。ピアノにもう一度魅力を感じてくれたみたいです。

他の楽器をやっている人がピアノを弾こうと思う理由の一つは、一人でアンサンブルが出来る!ことです。
右手で弾いたメロディにちょっと左手を足してハーモニーとなる。するとほんとに幸せになる。これピアノだけの贅沢です。


でも。
ほんとはそれだけで幸せなはずなのに、楽しかったはずなのに、なんだか習っているうちに習っているからにはすごい曲が弾けないとかっこ悪い気持ちになる。
誰に対して?
家族に友人に、他人に。

「こんな曲しか弾けないなんて人には言えない」
「こんな曲しか弾けないなんて、向いてないんだ」
「、、、やめちゃおうかな」

すごい曲が弾けない人をかっこ悪いと思う人は実際、沢山います(笑)。
それは自分がすごい曲を弾ける人の事もあるし、ピアノを弾いた事がない人のこともある。

でもそんなのどっちでもいいのです。
解決は簡単です。

まず一つめ、かっこ悪いと言うような人とつきあわない、という選択があります。
そういう人と仲良くするのと、下手でも楽しいという自分の思いに純粋に向き合うのとどちらが自分を幸せにしてくれるか考えれば簡単です。

もう一つ、もしそれが家族とかつきあわないわけにいかない人の場合は(笑)、ゲームと思うといいと思います。
「下手だからやめるという誘惑に負けるか負けないかゲーム」。
「色々な困難が襲って来たとき自分はどんな決断を下すかゲーム」。

人と比べるのはたぶん人間の防衛本能です。
だから子どもが人と比べるのはしかたないと思います。
でも、せっかく大人になったら「自分が成長していくことを楽しめるかどうか」これを目標にして欲しいと思います。子どもには出来ないピアノの楽しみ方が出来るはずです。


友人はとっても楽しみ上手でバランス良い性格。
どんな風にピアノを楽しんでいくんだろう、と想像します。きっと私も学ぶ事がたくさんあるんだろうなと思います。
早く連弾して遊びたいです。





2016年3月20日日曜日

ストレスと楽しみ

大人のレッスンをはじめたばかりの相当の昔、生徒さんが
「ピアノは大好きなんですが、練習がストレスになって楽しくないので」とおやめになりました。

それから何年かして、この理由でやめる事が特別でない事がわかりました。ピアノにそれほど情熱が持てないというなら、私が囲碁教室に情熱が持てないのと同じですのでわかりますが、大好きなのにこの理由はもったいないです。


私にとってもピアノは今も昔もストレスです(笑)。子供の時からピアノをやっている人の100人中100人、そう言うのではないでしょうか。ストレスそのものです。

でもストレスと楽しみは対になっている、と考えています。
ストレスがあるから、楽しみが2倍3倍になる。
ディズニーランドに行くとか、ケーキを食べるとかはそりゃストレスにならないで楽しいけど、でもピアノの達成感のようなよろこびは味わえない。
達成感を得る極上のよろこびには必ずストレスがかかる。
趣味でもストレスにならない上達はない。
上達って成長ってそういうものだと思うから。

でもこれは言ってわかる話ではなく、ストレスだし上達しないしでへこたれてそれでも続けてやっと乗り越えた時初めてわかる事なんですね。「続けてみてよかった」と。
ピアノのストレスは仕事や家庭や勉強のストレスをまさに軽減してくれるストレスです。
世の中にはそういうストレスもあるのです。

ストレスとお友だちになって、その先にあるよろこびを知ってもらえたら、と思います。















2016年3月19日土曜日

病気自慢は

病気自慢について考えてみました。


体調が悪いのにいいフリをする必要はありませんし、無理をするより正直に言ってちゃんと休んだ方がいいです。その際「こんな症状だとどんな病気?」とか「こんな症状にこんなお薬が効いた」とか「あの病院は良くないこっちはいい」とかの情報交換は大いに役立ちます。

私もよく「○○才になるとこんな症状が出ますよ」「こうならないようにこうしておくといいですよ」というアドバイスをいただきます。たがらいざそうなったとき慌てず「あ〜、これが皆さんの言っていたアレだな」といくぶん冷静に自分の身体の年齢を受け入れられ非常に助かっています。

しかし、会話としての病気の話題は全く楽しくありません(笑)。
そのうち自分の病気がいかに大変かヒートアップし、バトルになりいわゆる「病気自慢」になります。

病気の話ばかりするのは「不幸自慢」だからと聞いた事があります。
「こんなに大変な私を大事に思って」という。
でも私はそれは不幸自慢でないと思うのです。
なにかと言うと「言い訳」。
今出来ない言い訳(笑)。

治りにくい病気や治らない病気のせいで出来ない。病気じゃなかったら出来たのに、というのを主張しておきたい。こういうと「冷たい言い方ねぇ」と言われそうですが。

でも人生に「たられば」はない。
病気でも制限があっても出来る人は出来るし、病気じゃなくても出来なければ出来ない。程度の差こそあれ制限のない人なんて一人もいないのです。そういう人は制限がないかのように努力しているのです。

病気自慢の人は自分に厳しいのでしょうね。
自分の理想が高いのです。
事実を受け止めて自分の中で「もう年だから、病気だから、このくらいできればいい方だわ〜」と自分に優しくなれない。
「以前は出来たのに」「通常なら出来るのに」と、病気や年でそれが出来ない自分が受け入れられない。

でもみんな置かれた場所でやることをやって幸せになっていくもの。途中から病気になってしまうのも年を取るのも生き物全体の宿命。だから年を取って出来なくなるのは辛いけど仕方ないのです。言い訳はしない…、、、

とエラそうに思っていたら「先生、忘れっぽい自慢してます」と言われてしまいました。

そうでした!いつもいつも忘れることを自慢していました。
自慢は言い訳、、自分に言い聞かせ自慢はほどほどにします。









2016年3月18日金曜日

音楽で冒険を


今日で音楽で元気講座が修了しました。

今まで歌って来た抒情歌の解説では、そうだったんだ〜、フーンフーンとうなずいて聞いて下さり、大人のリトミックではみなさまノリノリでとっても盛り上がりました。リズムを叩きながらの鑑賞は、叩く事に気持ちがいって曲が終わっても叩いていたり(笑)。


講座は音楽に必要なことをしただけです。歌ったり叩いたり動いたり、みんなと新しい事にチャレンジして楽しんで時には集中して失敗して恥をかいて。
出来たら達成感に満ちるし、失敗したらしたで笑っちゃう。失敗が右手と左手間違えちゃうとかどっちが右の方向かわからなくなっちゃうとか普段はありえないこと。

それが結果的に毎日元気になるし、認知症予防にもなる。新しい事は心も身体も頭もリフレッシュさせてくれます。身体も心も頭も、新しい冒険を待っている。音楽の冒険のいいところは、なにより怪我をしないところです。新しい曲を聴いても怪我しない。リズムを間違えても怪我しない。最高ですね。

知っている歌を歌っているだけじゃダメです。
ぜひ音楽で冒険を。










2016年3月17日木曜日

ローズガーデンコンサート 詳細

4年ぶりのローズガーデンコンサート日帰りバスツアーです。


なぜ4年もあいたかというと、法人化したり、新しいクラスの開講や、ほかのコンサートの企画や、いろいろほかのことに追われていました。

でも「ローズガーデンとっても良かった!」「ローズガーデンまた行きたい!」「近藤さんのピアノステキだった」とのお声が多く今年またやっと実現します。

4年前は雨に降られとっても寒く、時期も少し遅くて薔薇は少し散りかけでした。
なので今回は

・早々に準備を進め
・一番薔薇の見頃の日程で
・シェフ特製サンドイッチとデザートをお庭でいただいたあとに
・ゆっくり良いお席で鑑賞が出来るよう

セッティングしました。

行って損することは絶対ないです!!


発着は「新宿」「北千住」「武蔵小金井」「東小金井」です。


お誘い合わせの上ご参加ください。
はじめてピアノの会 ホームページはこちら













2016年3月16日水曜日

ほめられなくても

今日も昨日に続き建具屋の親方さんから聞いたお話です。
「最近の弟子は打たれ弱い、褒めてるだけじゃダメだね」。
ふんふん、ピアノもそうだと思いました。


褒められて伸びるって、そんなめんどくさいこと。。
伸びるのは自分で伸びてもらわないと、、。

私が思うに、人が一番成長するのは『孤独』だと思います。ひとりぼっちになれってことではなく独りで解決する力。独りで伸びる力。褒められないと伸びられないは他力本願です。

子供にこれを強要するのは、酷ともとれますが、子供のうちからトレーニングした方がいいと思います。大人になってからでは遅いと思います。
私の場合、友達も少なかったし先生や親をイラつかせる性格だったので自然に訓練になっちゃったようなもんですが。

褒められることが成功体験になってしまうと、目的を誤ってしまいます。
私の好きな『オライア マウンテン ドリーマー』にはこんな一節があります。


私が知りたいのは、皆が見捨ててたったひとりになった時、 
あなたの内側から あなたを支えるものは 
何かということです。 


褒められるのはすごく嬉しいけれど、褒められなくてもやる。
なぜ自分はやるのか、という答えは自分の中にしかないと思います。














2016年3月15日火曜日

生きるか死ぬか

、、、で仕事はするんだよ」と聞きました。
なんて大げさな!と思うかどうかは人それぞれですが、私はそれだ、と思いました。


人間立ち向かわなくてはいけないことが人生必ず一度はあると思っています。でも毎日のこととなると仕事でも家族でもなんでも「立ち向かう」とか「生きる死ぬ」とか思いませんよね。

だからこそ、根底に「生きるか死ぬかで向き合う」気持ちがあると、何かのときの指標になる気がするのです。いざというとき試されるというか。


「発表会、失敗しちゃったらどうしよう!?」と思うなら死ぬ気で練習すればいいわけです。
でも失敗する。
そしたら死ぬ気でやったんだから出来ることはやったんだからそれで仕方ない、となります。

いやいや、ピアノの発表会ごとき死ぬ気で練習はしないでしょう、という方はそれでいいのです。死ぬ気でやれないことなんだから失敗してもしかたないのです。


「生きるか死ぬか」いい言葉を聞きました。




2016年3月14日月曜日

音楽で元気!講座 最終回

今度の金曜日で小金井市の「音楽で元気!」講座も最終回になります。

今回は今までのまとめに加え、その曲の背景なども解説します。
「元気と関係ない」と思われそうですが、その人に思いを寄せるときその人の過去が知りたくなるのが歴史の勉強だと言っていました。それと同じで心を込めて音楽を演奏するには、その曲の過去を知ることはとても大事です。

今回はその「心を使う」ということでまた元気になってもらいます。

そして鑑賞は、今までの癒しとはちょっと違うリズムアンサンブルをしながらの鑑賞!
こちらはアクティブです。

上手に叩けなくてもずれてもやっぱりリズムを刻むのは心地いい。


やりたいことがたくさんあって、時間が足りない。
どれをやめようかと悩んでいるところです。



2016年3月13日日曜日

ピアノが好き?

異業種の方に「いつも練習して音楽のことを考えてピアノが好きなんですね」と言われました。
とっさに「いや!好きではないんです!」と答えました。


好きか嫌いかといえば、まあ最終的には、好きなんです。
が、ひと言で言っちゃうと好きではない。
よくよく考えてやっと、好き、と答えが出る感じ。

日常では苦しいことばかり。
「大好き!楽しい!もっとやりたい!どんどん出来る!」なんて思ってやっていません。
やっても出来ないことやどうやればいいかわからないことの連続で、「あーやめたい」と思うことも数しれず。
この練習や準備やプレッシャーや緊張を考えると、どう考えても好きではない。
「私はいつやめるのだろうか」と自分を探っています。

でも、やり終えるとその達成感と充実感と喜んでいただいた満足感で「よかった」と思うのです。「やって良かった、楽しい、嬉しい」と、心から。

それでようやく「そうか、なんだかんだ言っても、本当の本当のところは、最終的には、つまるところ、好きなんだ、たぶん、きっと、おそらく」と思うのです。


ピアノの美しさや音楽への畏敬は誰でも持つ気持ちだと思うのです。ただやって好きか嫌いかということは別。こんな風に思いながらの「好き」ってなんだろうって考えます。
「好きなこと」ってなんだろうって思います。

ふと、ピアノが好きなんじゃなくて、なんでもこのくらいやれば『苦しいけど好き』ってなるのかなと思ったりもします。










2016年3月12日土曜日

美しい音楽と人格

…は、関係あるんでしょうか?

ワーグナーやドビュッシーが人格者じゃなかったのは知られていますが、音楽は素晴らしい。どういうことでしょう?

人間には必ず毒の部分があると思います。
というか、それが人間です。もしかしたら毒は本能とも言い換えられるかもしれません。
でもその毒の部分を表に出さないように生きている。
耽美主義とかデカダンスとかはその部分を出しちゃった生き方。
でもそれが良くないと思っている人にもその部分がないわけではない。

ワーグナーやドビュッシーは、いわば人の中の毒の美しさなのかなと思います。
自分の毒に正直。
毒のある人格だからあの音楽が書けた。
これも神のなせる技かもしれません。

毒を全面に出すと世間の風当たりは強いです。
私はとても世間体を気にするので、人から後ろ指さされて北風に向かってまで毒に正直に生きたくありません。そんな波乱万丈の人生はイヤです。

このぬくぬくした人生の中で、毒の美しさを音楽で味わわせてもらう。
彼らのわがままで身勝手な人生のおかげです。

2016年3月11日金曜日

明るく生きるということ

大震災から5年経ちました。


もしあのときに戻れたら、という問いは人生にはありませんが、一瞬の判断が人生を決定づけてしまったとしたら『ただあの一瞬』に戻りたいと思うでしょう。

ましてそれがもとで事故や災害が起きてしまったとしたら、それはもう、戻りたい。
事故も災害も人間の力の及ばないところで起きるとわかっていても、もしあのときあっちに行っていたら、あそこに行かなければ、ああ言わなければ、、と。


それでも自分の人生を受け入れて生きる。
人には言えないつらいことを抱えてそれでも明るく生きている、そんな人が沢山います。

明るく生きる、その在り方だけで人は勇気をもらいます。






2016年3月10日木曜日

中田喜直さんのピアノ

中田喜直さんは手が小さかったそうでピアニストをあきらめ作曲家になったそうです。

ピアニストと作曲家との関係でいうと作曲家の方がエラいです。何と言っても音楽は作曲家の意志が尊重されます。作曲家の方が後世名前も残りますね。そんなこと考えてなる訳ではないですが。

しかし、一番エラい立場の作曲家でも、自分の曲をピアニストに弾いてもらうと曲を作った本人が『こんなに素晴らしい曲だったとは」「こんなにステキに弾いてくれて」と驚くそうです。ピアニストの表現力というのはそんなふうに作った本人の意識をも超えるようです。ピアニストに限らずプロフェッショナルとはそういうことでしょう。

中田さんの話に戻りますが、手が小さいので特注のピアノを持っていたとこの間生徒さんからはじめて聞きました。知りませんでした。特注のピアノが作れてお金持ちなんだな、という感想以外に、執念と清々しさの両方を感じました。

作曲家だから自分の家で自分が弾くだけなので、外で備え付けのピアノを弾かなきゃいけないことは考えなくてよかったんですね。家では細幅外では通常の幅、では感覚狂っちゃいますもんね。

ピアニストになりたい、でも指が届かない。
だからピアニストにはなれなかった。
だから作曲家になった。そして手が小さくても弾けるピアノを作ってピアノを弾いた。本人にとったら苦肉の策なのかもしれませんが、自分のピアノで「自分のピアノ」を弾く。それ以上の贅沢ってないですよね。

中田さんの作品は無理のないものばかり。
ご自身のそんな思いがいっぱい詰まっている日本の大作曲家の作品を、子供だけでなく多くの大人にも弾いてもらいたいです。











2016年3月9日水曜日

ぼんや〜り


友人と「忙しいときって頭働かせてるようで実は頭を使わない『作業』になるよね」という話をしました。そして「ぼーっとしてる方が創造的思考が出来るって思わない?」と話しました。


「ほんと!!そうだよね!」とお互いぽーんと手を打ちました。
LINEだったので手を打ったところは見ていません。
でも絶対、吾が意を得たり!と同時に手を打ったはずです。たぶん。

忙しい時って、こっち行ってあっち行ってこれ言ってあれ言ってこれやってあれやってって体も頭もフル回転で動かしている感じだけど、な〜んか、な〜んか頭がどんどん固くなっていく感じ。

それに対して、ぼ〜んやりしてる時って「あ〜ヤバい、こんなにぼーっとしてたらボケる、、、」とか思うんだけど頭がフワフワ柔らかくて血が巡ってるかんじ。

会議とかでも一生懸命考えてるのに何も浮かばないで、家でベランダで草むしりしたり鉢の植え替えなんかをしているときに「これだ!」「こんなのやっちゃおうかな!」と妙に冴えたアイディアが沸いてくる。

私の経験はこんなでその友人もそんなです。
皆様はどうでしょう?




2016年3月8日火曜日

ちよだサークル体験


3月11日(金曜日)10:00〜

千代田区 九段生涯学習館



に於いて、はじめてピアノの会のサークル「ピアニッシモ」のサークル体験会があります。体験レッスン料は1000円です。
宜しかったらご参加ください♪



2016年3月7日月曜日

年を取ってよかった



若い頃、「大きな事件」より「日々の違和感」の方が私にとっては重かったと、最近になって思っています。そもそも大きな事件、なかったんですけど。


日々がとっても重たかった理由は、社会との交わり方がわからなかったからです。毎日途方に暮れていました。常識外の事をして呆れられたり叱られたり批難されたり、何をどうしていいかわかりませんでした。回りが敵に見えました。毎日疲れていました。お先を考えると暗かったです。

それが年をとって、とっても生きやすくなりました。

常識と言われるものは、人に迷惑をかけないようにするものだけでなく国家が都合よく作ったものだったり、めんどくさいから大多数の意見を常識ってことにしちゃったり、個人の利益のために意図的に仕向けられたものもあるのだ、と知ったからです。常識として行っている行為が、逆に人を傷つけたり思考停止を招く時もあると知りました。

だからこそそのことにがんじがらめになってしまう人もいるようですが、私はわかったら結構スッキリします。その中で出来ることをやり出来ないことは無理しない。人の価値観は変えられないし、まして国家なんて私の力で今すぐ変えられない。

シミにシワにタルミにくすみだらけになって、それでも年取るってこんなにいいものなんだとしみじみ思うのです。無理して人付き合いしなくても、友達って(すごく少ないけど)出来るんだとわかりました。
好きな事をしてもいいんだとわかりました。
人は自分に正直に生きるのが一番いいんだ、とわかりました。
だいたい人生ってなんでもどってことないんですよね。


若い人の中には私がそうだったように、なんだかお先が不安と思う方がいると思います。でもたいていなんでも大丈夫です。どってことありません。年を取るとラクになります。

国家がどうのこうの言ったって、自由に生きていい時代に生まれて有り難いです。











2016年3月6日日曜日

横で楽しむ



ピアノの先生はピアノについては知識的にも経験的にもお役に立ちます。存分に利用することです。なんでも聞いてみるといいです。

でもレッスンを「先生にピアノを聴いてもらう」ことを第一の目標にしてしまうとピアノそのものの楽しみ方を間違ってしまいます。大人の方は『楽しみ方』についてはレッスンとは別の自立が必要だと思います。

よくたとえに出すお料理教室ですが、上手に出来上がったものを先生が食べて「とても美味しく出来ましたね!」というのはそもそも意味が違います。やはりそれをどなたかに召し上がっていただき、さらに「美味しい!」と言っていただくことが一番のよろこびだと思うのです。ピアノも同じです。

先生は導いてくれる道しるべ。先生は嫌でも何でもとりあえず続けて来た人。だからこそ迷いがある生徒さんを引っ張っていけます。
でもどうしても縦の関係で、その分ちょっと(かなり?)厳しいし常識が違う。
だから「やめる」という選択肢がある生徒さんとはピアノへの思いや取り組み、悩みが違います。
だから、大人の生徒さんがピアノという孤独で苦しい芸術を楽しむには横の関係が絶対必要だと私は思うのです。

グループレッスンの方はお仲間同士で「先生無理なこと言うわよね」とか「やっても覚えられない」「私も!」「すごい良くなってるわね〜」「自分では全然わからないんだけど、、」と言い合っていますが、これが先生との関係だと


先生「毎日練習しないで上手になりたいなんてナメてます」
生徒「、、、、」(先生みたいにピアノだけやってる訳じゃないのよ!忙しいのよ!)


先生「やっても覚えられないのは皆同じです、それでもやるんです」
生徒「、、、、」(年取ってるからほんとに覚えられないのよ!先生は小さい時からやってるからこの気持ちわかんないでしょ!)


先生「良くなりました」
生徒「え、、、、」(え?本心?これ以上うまくにならないからってお情け?)


となりがちです。

人前で弾くだけでわかることもあります。
先生以外に聴いてもらう、だけでわかることもあります。
そして、一緒に頑張っている仲間とすこしお話しすると、きっと何かが変わります。

「ああ、ピアノがんばろう!」
きっとそんな風に思えます。


という訳で、弾き合い会のお誘いです。ご参加お待ちしています。


3月21日(祭日 月曜日)

10:00〜

都内  20名 

参加費 会員1000円 非会員1200円






















2016年3月5日土曜日

一つ一つ

7年目くらいの70代のピアノの生徒さんに「最近ピアノがすごく楽しい!」と言われました。


「最初のうちはもう訳が分からなくて音符も読めないしリズムもわからないし指も動かないし苦しいだけだった。それが遅ればせながら最近楽しくなって来ました!」と満面の笑顔で言われました。

うれし〜い!
「え〜?ほんとですか?それは私、とても嬉しいです」って言うんですけど口以上にもっと嬉しいんです、ほんとは。

楽しくない時期にやめるという選択肢があったはず。
苦しい時期にもうやめたいと思ったはず。
この先生でいいの?と疑問に思ったことも一回や二回じゃないはず。
でもそれを越えてピアノの楽しみを見つけてくれた。
ピアノの先生をやっていてよかった〜と思う瞬間です。

反対に、残念ながら私の力不足でやめてしまう方もいます。
そういう時はどーん、と落ち込みます。
受験など外側の都合でやめる時は仕方ないとして(それでも落ち込みますが)、ピアノの学習法の違いも仕方ないとして(でもこれはその後の参考になります)、私のコミュニケーションの取り方に問題があった時が一番落ち込みます。

こちらの理解が足りなかったこと、
言葉足らずだったこと。
そこに思いが至っていなかったこと。

多々あります。それはピアノの指導というより周辺のことだから、そんなことで「ピアノ」をやめさせてしまうことの責任。
「あ〜、最初にもっと説明すべきことがあった」というふうに。
これはピアノの先生というより人としての対応力が足りないということですね。


仕事で何かあるとその職業に問題を探しがちですが、本当は職業でなく人としての経験不足、思考力不足かもしれません。
ピアノと同じで一つ一つ勉強です。























2016年3月4日金曜日

輝く過去



若き日の耀ひて見ゆ身を折りて泣きし記憶もまして耀ふ 『秋の琴』 稲葉京子




今日もまた稲葉京子さんの一首。
美しい歌です。
人生の美しさと、年老いてゆく寂しさを感じます。


一生懸命泣き伏した日々は一生懸命生きた証拠としていつか輝く、
そう思います。

2016年3月3日木曜日

ひな人形

いとしめば人形作りが魂を入れざりし春のひなを買ひ来ぬ  『ガラスの檻』稲葉京子


稲葉京子さんの短歌です。
形ある物を作る作家さんは、それを人に渡す時どんな気持ちなんだろうと、いつも思うのです。だって愛着が沸いてしまったら人に渡せなくなると思うから。


音楽は形のないもの。
だから心を込められる。
心を込めても共有出来るから。
心を込めても押し付けにならないから。。。

でもこれはとっても難しい。
良い演奏は決して心を押し付けていなくて聴いている人にゆだねられている。
どこか隙がある。
でも心を込めつつ心は込めないって難しい。
形がない音楽でも。


まして人形は形あるもの。
ひと針ひと針一生懸命作ったものはそのまま心となってそこに残る。
そんないとおしい人形に魂を入れず人手に渡す。
未だに理解出来ない謎です。

作る方も買う方も
なにか深いものを感じます。












2016年3月2日水曜日

人生にピアノのよろこびを

昨日代講でピアノを始めて2年弱の方々のピアノのレッスンに2年ぶりに行きました。


こんなに上手になっているとは、、、。
ビックリです!
60代でお若い方はもちろん、80歳になって始めた方の上手になっているのにはビックリです。
皆様揃いも揃ってここまで上手に?
え?ほんとうにあのとき初めてでしたっけ?
あの方のお年が80歳だったなんて!!
しかも皆様基礎も嫌がらずちゃんとやっている。
通常の先生が良いご指導をなさっているのはもちろん、人は努力すればこんなに出来るようになるんだ、、、と、思いました。
そして皆様のいきいきと楽しそうにピアノを楽しんで下さっているお姿に感動しました。


たいしたことのできない私ですが、昨日は「はじめてピアノの会、はじめて良かった」とこっそり涙ぐみました。

ピアノの先生もピアノの団体も私でなくても出来ることです。
それでも私は私に出来ることをしよう、と思いました。

人生にピアノのよろこびを。











2016年3月1日火曜日

136年前のピアノの音

はじめてピアノの会のアンケートでNo1だった企画「本間邸ローズガーデンコンサート」を今年も開催することになりました!


本間邸


2016年5月25日(水曜日) 

本間邸

ピアニスト 近藤和花

ピアノ ベヒシュタインB210 と1880年製ベヒシュタイン



奥 お庭のプール
手前 リストが使っていた時代の同じベヒシュタイン


本間先生の私邸には700本以上のバラが植えられ、サロンには1880年製のリストモデルベヒシュタインがあります。

ローズガーデンを堪能していただいた後は、近藤和花さんの素晴らしいピアノで136年前のピアノの音色をお楽しみください。






前回は雨で、すこし時期も遅く、人も多すぎちゃいましたが、今回は一番バラの綺麗なベストな日程を取っていただきました。またはじめてピアノの会の皆様優先のコンサートですのでいいお席で聴くことが出来ます。

詳細少しずつお知らせしていきますので、お仕事をお持ちの方は今から有給を取って日程あけておいて下さい。