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2016年6月30日木曜日

好きな食べ物

たけのことアスパラです。


もっといろいろあります。あれもこれも大好きです。でもとれたてのたけのことアスパラは格別です。

アスパラは一度作ったのですがあまりの収穫量の少なさに1本980円くらいの最高級アスパラになてしまいコスパが悪すぎでした。
たけのこはベランダでは作れません。


春は山菜を摘んでたけのこを掘って貝を拾って暮らすってどんななんでしょう?
憧れます。





2016年6月29日水曜日

苦手な食べ物



私は何でも美味しく食べるのですが、ただ一つ納豆の加工したものが好きではありません。
納豆そのものは好きなんですが加工品が苦手です。納豆入りせんべいとか納豆おこしとか。納豆を料理に使ってる納豆汁とか和え物とかも苦手です。
以上です。













2016年6月28日火曜日

学習塾



学習塾には様々なタイプがあるようです。


学校の成績が良くなる学習塾。
地頭をよくする、応用力がきくようになるための学習塾。
国際的に活躍できるような学習塾。
生きる力、たくましさを育てる学習塾。

お母さんは子供に幸せになって欲しいと思っているから一番いい教育をしたい。
だから一生懸命なんですね。

しかし。
こう言っては元も子もないのですが、この年齢まで生きてきて思うことですが、生まれつきのものがだいぶ大きいです。
100点になるのに、99の人は1頑張ればいいけど1の人は99も頑張らないといけない。99倍です。

教育が無駄という意味ではなく、でもその人の持って生まれたものも非常に関係していると私はつくづく思うのです。
だからそれをせめて人並みに、人並み以上に、と躍起になるのは、一昔前の画一化された受験教育となんら変わりなく、行き過ぎるとその個人の個性を否定することになります。私がすぐ行き過ぎる人間なので思うことです。

応用力がきくのも国際的に活躍できるのも生きる力もたくましさも、全部大切。全部あった方がいい。でも行き過ぎないよう、遊ぶ時間がなくならないよう、ボ〜ッとする時間があるよう、出来ないことも認められるよう、生きがいや楽しみが見つけられる人生になるよう子供たちには育って欲しいと願います。

もちろんピアノの先生としては、人生に音楽のよろこびを加えてほしいです。








2016年6月27日月曜日

経済



消費が滞ると経済成長がマイナスとかニュースで言ってます。
さも悪いことのように。
そしてどうしたらもっと消費するようになるか、そこらじゅうの国の首長が恥ずかしくもなく発言しています。

無駄に消費することが善で、無駄なものを買わないことが悪って、どういう意味かずっとわかりませんでした。理解できませんでした。
「エコと矛盾している気がする、、、。」
「人類の幸せと逆行している気がする、、、。」
「でも偉い人の言うことだからいろいろあるんだろう、、、。」

ようやくわかりました。
国の首長でも間違ったこと言うんだ、と。

この本末転倒な経済論を世界中の大人がさも最もそうに言ってて、こちらがおかしいのかと思ってしまいますが、でもこれは資本主義の洗脳でした。
こんな矛盾した経済政策を世界中の国で実施しています。
と偉そうに言ってみましたが、じゃあどうしたらいいんだ、と私に聞かれてもわかりません。ただ、王制も民主主義も社会主義も共産主義もいいとこしかない主義なんてないんだなとだけは思います。全部流行みたいなもんなんだなと思います。

人は、必ず時代というフィルターを通して生きているから流行に乗るのがいけないとは思いません。でも踊らされいる、という自覚は必要だと思います。そうしないと自分で考えなくなっちゃうから。

私はやってみて失敗をするタイプです。大失敗するタイプです。
でも人間は多かれ少なかれ、そういうもんかと大人になってわかってきた気がします。
資本主義も民主主義も、理想とはならない。
これはやってみてわかってきたことですね。


歴史に学べ、と言われたところで自分でやってみなきゃわからない、いつの時代の人間もそうなんだと思います。















2016年6月26日日曜日

熊本に電子ピアノを贈るプロジェクト 〜 その①

熊本の益城町の広安小学校に電子ピアノを贈る計画がスタートしました。
ご一読、ご協力いただけましたら幸いです。


今回の地震で、もし求められているのなら、熊本に行って音楽を楽しんでもらうコンサートをしたいという気持ちが最初でした。
けれど、熊本出身の声楽家林田さんの帰省の感想は「目を背けたくなるショック」であり、まだまだ音楽を楽しむという状況ではなかったそうです。
そして何より音楽をお届けするような環境すらないという話でした。

熊本の益城町は大きな被害を受け、町立の広安小学校でも体育館は避難所となり学校はしばらく休校していました。
今は再開していますが、一昨日お電話で伺ったところ今も校庭体育館は使えず通常の授業や給食も行えていないとの事です。

災害時に一番必要なものは音楽ではありません。
でも物が揃って食料が揃ってきても満たされないものがある。
辛い思いが押し寄せる瞬間がある。
思い出したくない記憶に胸が苦しくなる時がある。
そんな時、嫌なことを忘れたり心が解放されたら、、。

私たち音楽家は音楽にはそんな力があると信じています。
そこで、音楽家としてできることをしたいと広安小学校の田中校長先生、音楽の坂本先生にご相談させていただきましたところ、それなら子供達が歌ったりリズムを叩いたり、また器楽の合奏ができたり、音楽家のコンサートを受け入れられるよう電子ピアノが欲しいというリクエストをいただきました。

体育館のピアノは使えないし、重くて古いオルガンは使い勝手が悪くて持ち運びもできない、必要な教室へ持ち運べる電子ピアノがあったらということでした。電子ピアノなら、メンテナンスもいらないしみんなで遊べますね。なので今回は電子ピアノを寄贈することにしました。


このプロジェクトにご賛同下さいます方がいらっしゃいましたら、ぜひご寄付のご協力をお願いいたしたく存じます。
また、7月18日には東京小金井市で「電子ピアノを贈るプロジェクト」として募金箱を設置した「熊本チャリティみんなが元気になるコンサート」(入場無料)も開催いたします。
熊本の方だけでなく、いらしてくださった皆様にも元気になって頂くことが目的です。
是非お越しください。

賜りましたお志は全額を寄付いたします。


<ご寄付について>

金額       一口  1000円

方法          info@hajimetepiano.org   までご連絡下さい。
                 折り返しお振込先の口座をご連絡させていただきます。



<「チャリティみんなが元気になるコンサート」について

  はじめてピアノの会 ホームページ hajimetepiano.org



どうぞよろしくお願いいたします。
 




















2016年6月25日土曜日

国のれきし

私は人には能力のある人とない人がいると思います。大多数の人は凡人でただの人間です。
能力のある人が更にまた努力をして凡人じゃなくなるんです。だからその二つが揃わない限りただの人間です。

今回のイギリスのことですが、大多数のというかほぼ全員が凡人である国民に、そんな大それたことを論理的に客観的に先を見据えて判断出来るわけないと思います。
ピアノを聴いたことがない人にホロヴィッツとアルゲリッチどちらが好きですか?と聞いてるようなもんです。

私は天才政治家が独裁で決めるのが一番いいと思います。
しかし、天才政治家というのは滅多にいません。何しろ天才はあんまりいないから天才ですから。

なので、ここは何も勉強してない素人集団の国民より、政治という勉強や経験を積んできた天才ではないけどプロの政治家の方がまだマシって事でその人たちが考えた方が良いのかもしれません。

失敗したら全責任がかかってくるトップはそれはそれは大変でしょうが、その覚悟と勇気に凡人にも神が降りてくるんだと思います。

イギリスのようなことは難し過ぎて私にはわかりませんが、でも経済が混乱しているのは事実です。国民の浅はかさを甘くみましたね。
離脱派の代表は強がってましたが、所詮凡人なんですからビビってるに違いありません。
ですから優勢になった時点で
「まさかほんとにそうなるなんて思ってなくて考え無しですみません。なんか大変な事になりそうで怖いので撤回します。」と言って欲しかったです。
でも凡人にはそんなカッコいいことはできないんですが。

しかし、このイギリスの事で浅はかな国民もノリではヤバイことがわかりました。
が、人間とはそもそも浅はかなものです。
いつの世も歴史は人間の浅はかさとともに動いています。
これも一つの流れなんでしょうね。
成熟した民主主義と資本主義のこの時代に、浅はかな私は流されるばかりです。


2016年6月24日金曜日

植物の力

植物の力はわかりやすいです。
植物は部屋の空気や環境が悪いと枯れてしまいます。
じゃあ弱いのかと言うととても強い力を持っています。

動けないという事は弱点ですが、最大の力でもある。
動けないばっかりに備わっていく力があると感じます。
目が不自由な方の聴力が研ぎ澄まされていたり、手が不自由な方が足を自在に使えたりもしますよね。
動かない分、動く人間や動物以上にその場所に留まって力を発揮するのです。
逆に言えば動物は動かないと何も出来ない、ってことですよね。

植物は一年が一生。
何度も何度も植物の一生に関わらせてもらって力をもらってます。

2016年6月23日木曜日

基礎とは何か

音楽と人生は似ています。


音楽も人生も表現すること、伝えること、それを人と共有することが楽しみであり生きがいとも言えます。でもそのためにはまずは基本的な事を一人で地道に積み重ねる。

その地味な基本の基本になるのが型です。

人生でいえば生活の型。挨拶や言葉使い、早寝早起き、箸の上げ下げ、歯磨き、、、。
そういうのって人格とは関係ないけれど、人生の質を左右する。
どんな職業に就こうが誰と暮らそうが何をしようが全部につながること。
出来たら気にならないけど出来ないと無意識に不快に感じること。
習慣になるよう毎日やる。
考えなくても自然にできるように毎日やる。
これが型です。

音楽もそうです。
崩れているのと崩しているのは違います。秩序があるから美しい。
自由に弾きたい、という人ほどこの型が大事です。
自分が気持ちよく弾きたいだけでは、人に不快感を与えている可能性すらあります。
私のように無秩序の人間は特にそうで、今でもこの音楽の型と格闘しています。


音楽も人生も、何か変だなと思ったら型が崩れているのかも。
基本は型です。
もう一度型に戻ってみると新たな気づきがあるかもしれません。











2016年6月22日水曜日

傑作

楽譜を整理しようと本棚を片付け始めました。
音楽関係とその他は分けているのですが、めんどくさくてつい一緒の本棚に入れてしまいます。

で、楽譜の本棚からたくさんの楽譜でない本が出てきて、そのまま移動すればいいのについつい読んでしまいました。

そこに自作の古い短歌がありました。
久しぶりに読んでみて吾ながら天才かと思う歌が一首二首ありました。
しかしその他はあまりにもひどくて、ひどすぎて赤面しました。

人間、才能とかなくてもたまに、ほんの一つや二つ上手く出来ることってあるんですよね。でもそれは一つや二つのみ。
ホンモノとの違いはホンモノはそれが続く。
パッと出て消えちゃう芸能人も、1冊しか書けない作家もホンモノではないんです。
1年続けるのと3年続けるのでは違うし、3年続けるのと300年続けるのも違うんです。
量より質といいますが、ホンモノは量も質もですね。

というわけで
ホンモノでない私は、死ぬまでにやっとこさ三十首傑作短歌を作りたいと思いました。

2016年6月21日火曜日

聴いてもらうために弾く

もし他人に自分のピアノを聴いてもらうとしたら。


ピアノを始めたきっかけは自分で楽しむためであって、ピアニストといえど最初から人に聴いてもらうためという方はまずいないでしょう。
練習してると聞かれてしまいますが、それは聞こえているだけで聴いてもらうのとは違います。
聴いてもらうとか考えただけで間違えるし、録音しようと思うと鍵盤の場所からもうわからなくなったり、子供と違って大人は色々あります。


しかし、ピアノを始めた方は全員「聴いてもらう」方が良いのです。
なぜなら「弾くこと」と「聴かせること」は別物だからです。
聴いてもらう前提がないピアノと、聴いてもらう前提のあるピアノでは、全く違う次元の練習が必要になります。

「どんな次元の差?」というとそれは人前で弾いてみればすぐにわかること。
その差を埋めるために、皆日々頑張っているのです。

緊張して恥をかいてやっとわかることがあります。
練習通りにいかなかった、というのは人前で聞いてもらうレベルには達していなかったということです。
「あがるから」弾けないのではありません。
一流のピアニストだって緊張してあがって震えている人はたくさんいます。
それを超えるために「人に聴かせるためのピアノ」を練習しているのです。
あがっても弾ける人はそれをしている人です。

中には、大した練習をしてなくて人前で弾ける人がいて「度胸がある人はいいな〜」と思ってしまいますが、基本的に度胸ではありません。ピアノの能力が高いのです。10の能力を持った人が5をやるのと、1の能力の人が5をやるのでは違います。私は1の能力の人なのでよくわかります。ここは残念ですが、どうにもなりません。

「ピアノの能力低いし趣味だし大変な思いしてレベルアップしなくて別にいい」という方はそれはそれでいいのです。
もともと皆自分で楽しむためにピアノを始めているのですから。
ただピアノを弾く人が肝に銘じて覚えておかないといけないのは、「一人で弾くのと人に聴いてもらうのとでは次元が違う」ということ。
時々発表会などで「あの曲は私もレッスンでやったわ、あそこがイマイチね」と批評する方がいますが、その日その場所そのピアノでそのお客さんでやることに意味があって家で弾くことはもう違う曲を弾いてるようなもんです。
自分のうちで自分の慣れたピアノでスラスラ弾けることは人前で弾けるとこととは全然関係ないことなのです。

人に聴いてもらうことを目標にすると自分の課題が見えてきます。
そして本番で失敗したら次にチャレンジする。
人は本当は他人の演奏なんて大して聴いていません。
大事なのは、たとえ3分だろうと人前で弾く経験。こんな贅沢な自己啓発はありません。

ピアノは人に聴かせることを前提に。
人に聴いてもらおう、それだけで練習の全てが変わり出します。












2016年6月20日月曜日

正しさ

私は決断力がなくネガティブです。


決断力をつけなきゃ、ポジティブにならなきゃと思った時期もありました。
が、無理でした。

なので優柔不断、ネガティブのまま生きています。
お店のメニュー決めはとことん悩み、注文してから「あーあ、あっちにすればよかった〜」と後悔します。でもメニューが来たらほとんどは美味しいから「あ〜これでよかった!」と円満解決。
私はこれで困りません。
好きで優柔不断だし好きでネガティブです。
ストレスフリーです。

ですが、同行者には不評です。悪人のごとき扱いです。
もちろん私も決断力もポジティブ思考も大事だと思っています。それはそう思います。
時間の無駄はないし、スムーズなコミュニケーションも取れるだろうし、それらは友人関係や仕事の収入などにも繋がるでしょう。

でも、決断力があってポジティブだけが正しいのでしょうか?
片方がいいと、もう片方がまるで悪のごとき扱いになる。
これはいかがなものかと思います。

私のように真面目で素直だと、そうか、決断力をつけなきゃ、ポジティブにならなきゃと極端に考えちゃいます。でも本当に大事なのはそれが自分にとって心地よいか幸せかです。だから本当は正しさは人それぞれで違うし、もしかしたらある人にとって悪のことがある人にとって善だったりもするはずです。

時代は即決、ポジティブ思考。
私はとても流されやすい性格ですが、ここだけは時代に反し、自分にとって心地いい優柔不断でネガティブを自分の正義として強気で生きていきます。

悩んだり落ち込むことが私には自然なのです。
それ自体が有意義なのです。













2016年6月19日日曜日

笑われる側と笑う側

イチロー選手が会見で
「僕はいつも人に笑われてきた」と言ってました。
笑った人は
「なに寝ぼけたこと言ってるの?そんなの天才でもない限り無理だよ(あなたは天才には見えません)」、そんな気持ちだったのでしょうね。

笑われてもやる、ということを考えた時、それは厳しい道だった事でしょう。悔しい思いをしたと言ってました。

人は、常識から外れたやり方をする人を笑います。
はっきり言うと見下します。
あなたが特別であるわけない、私たちと同じもしくは私たち以下の凡人だというメッセージがその笑いには含まれています。
自分ができないことは、その人にもできないと決めつけています。
自分にできないことが出来る人に嫉妬します。

でもそこでやる。
100人中100人が笑っても自分の信じた道を行く。
天才と凡人の違いはここですね。
私なんか3人くらいに否定されたらもう落ち込んで「あ〜こんなにたくさんの人に否定された。やっぱり向いてないんだ。やめよう」とやる気ゼロになります。

そこを天才はみんなに笑われてもやる。
人間ですからからかわれたり見下されたりするのは誰だって嫌です。
でも、笑われることにくじけない。
この最初の洗礼でまず試される。
ここを越えられるかどうか。

イチロー選手は、記録を出した選手が一流の人間とは限らないとも語っていました。
結局イチロー選手が目指すのは、記録と人間性の一致、そこなんですね。

自由の国アメリカ、実力主義と言われながらも実際は理由をつけて認めようとしない人たち。からかったり笑ったりする人たち。こんな一流の選手ですら、大きな差別と戦っていたのだと心が痛みました。日米野球でイチロー選手が仲間と少年のように日本の勝利を喜んでいた姿が思い出されます。

しかし、そうやって一つ一つ笑われながら、笑われる側は笑う側を着実に超えていきます。記録はいつか誰かに破られる。
でも本当のヒーローは永遠にヒーローです。




















2016年6月18日土曜日

音を聴き分けるには

ドとミは違う音ですが、ドとドは同じ音です。
ピアノはドの場所を叩けばドの音が出るので安心してしまいますが、同じドにも違いがあります。

と、言うとフォルテ、メゾフォルテ、ピアノというように「強い、弱い」でとらえてしまいがちですがそんなに単純ではありません。

言葉には感情が伴います。
「あっ…」と思わず口にするとき、強いか弱いかでなく感情が伴ってます。
それと同じです。

他の楽器はその感情表現がし易いですが、ピアノはそれがしづらいです。
もちろん他の楽器も技術がないとそれは難しいのですが、ピアノの場合意識が難しいのです。ドかミかでなく、どんなドが出ているのかということに意識を持っていく事自体が難しい。
管楽器だったら、弦楽器だったら意識がないと変な音が出ちゃうから耳で聴く習慣がありますが、ピアノは正しい音が出てくれちゃうから、実はピアノを弾く人は自分の音を聴く習慣があまりないのです。

耳に神経を集中するのは目を閉じるのが一番です。
目を閉じたら弾けない!という方は練習不足です。
目を閉じて出来て初めて音が聴けます。それを弾けた、と言います。

ということで、私も目を閉じて弾けるようもっと練習しなくてはいけません。

2016年6月17日金曜日

応援と期待と

人は応援してもらえると頑張れます。
でも応援でなく、つい期待しすぎちゃうんですよね。
応援と期待はちょっと違います。
何が違うかというと何を目的にしているかでしょう。

プロは期待されるのが仕事だからそれは仕方ない。そして期待以上の結果を出すのがプロ。プロは大変です。

けれど家族や友人関係ではあまり期待しすぎるのは良くないです。
期待通りでない時に、なんだかがっかりして逆ギレしちゃったり。。

子供がピアノを習って続けるには親御さんの協力がとても大事です。
応援してくれないと絶対無理です。でも熱心すぎてうっかり応援が期待になってしまうんですね。上手な子ほどそうなって、子供は口には出さなくても重荷になってしまったり、、。子供が「重荷になるから期待するな!」とか「それがプレッシャーなんだよ!」とか怒ってくれたらいいんですけど、子供はそうは言わないから。
どんどん応援がエスカレートして期待に変わっていく。。

ようく出来て真面目で熱心なお子さんとお母様ほど注意が必要です。素直で真面目、、、私みたいですね。

ここはいつも気をつけて見ています。






2016年6月16日木曜日

セコい

大人だって実は大したことないんだ、と大人になってわかりました。
だから子供にしつけなんて出来るわけないんです。
でも親になったら、先生になったらしつけをしないといけない。
言い訳も弁解も通用しません。

親だって先生だって、それは失敗もします。
あってはならないことだけれど、人間だからあるんです。
小さな失敗だけでなく大きな失敗だってないとは限らない。
取り返しのつかない大きな失敗だってしてしまうのです。

子どもの頃は、そんな大人が許せませんでした。
大人のくせに失敗するなんて!
自分だって失敗してるくせに偉そうな事言って!と。

それが今では色々なことが許せるようになりました。
なぜなら、大人も一生懸命生きてる事がわかったから。
大人になっても初めての事ばかりで、一生懸命やっても人間だから失敗してしまう。
身を以て知りました。
自分に優しい私としては、失敗してる自分を「ま、仕方ないか」と許してる手前、他人を許さない訳にはいかないのです。


さて。
都知事のした事は良くないし腹も立ちます。税金返せ!と何度もテレビに向かって叫びました。
しかし、今回の辞任劇は完全なイジメです。
人格を否定していました。
自己保身のためにそうしていた人たちもいました。

セコいセコいと言ってましたが、その人たちは自分はセコくないとでも思ってるのでしょうか?
セコさは人間の本能です。
僕も私もあなたもみんなセコいんです。
私だったら、ベテラン議員がバレずに政治資金なるものを飲食に使っている日常を目の当たりにしたら迷わず見習いますね。悪いとかじゃなくそういうもんかと思って。

本当は当然悪いことです。
ですが、これは取り返しのつく失敗だと私は思います。
人の心を踏みにじって生きていけないほどの傷を負わせたとかではありません。
そして何より、ここまで明るみに出て叩かれた人が同じ事をするとは思えません。
給料をもらわずにリオまでやらせてくれと言った時、ここを許せば、ちゃんと学習して心を入れ替えて頑張ってやってくれるんじゃないかと私は思いました。

ここまで言っている人を許さない人は、きっと正しい人なのでしょう。
しかし、それでも敢えて自分に甘い私が、言わせてもらうなら


取り返しのつく事をここまで追い詰めるのは、セコいです。
正義を振りかざして人を責めるのは、セコいです。









2016年6月15日水曜日

芸術は残る

思いつくまま箇条書きにすると

芸術とは

圧倒的多数の心を揺さぶること

やればやるほど難しいこと

体、心を健康にすること

笑顔になること、涙が流れること、心を洗うこと

時代のフィルターを通過して残っていること


言葉は重なりますがこんなところが思いつきます。
芸術は国境を超えます。なぜなら人間は皆同じ心を持っているから。
クラッシックは西洋のもの、と思われていますが、地球のもの、人間のものです。
さらに言えば、国を超えて共有できるほどのものでもあると思います。

漫画も映画もエレキギターも今や芸術となりました。
娯楽とか遊びとか言われているものに、人々が心を動かしそれのために命をかける。
真の芸術家はくだらないと言われてもやり続けた人ですね。
くだらないと言われてもやり続けるってなかなかできないです。
認められたいからでなくたった一人で孤独に自分を信じ行動した人。
神様に選ばれちゃたんですね。。

こうやって芸術は生まれ育ち残ってきています。
芸術は一人の人間が命を削って作った結晶です。

その芸術に触れる事が出来るのは、大変ありがたいことです。












2016年6月14日火曜日

誰がピアノを習うのか

音楽は学ぶには莫大なお金がかかりますが、それは先行投資にはなりません。ロックやポップスなら別ですが、クラッシックではお金は稼げない、かけたお金は永久に戻ってこないと決めつけて間違いないでしょう。

最近の習い事は花より実のようです。実用的なのが何よりです。ピアノもずっと頑張って基礎がやっと出来て来て、ようやくここから…というときに、塾だ英語だとあっさりさっぱりやめてしまう。確かにピアノは花にはなるけど実にはならないから。。

ピアノをずっとやって来たので、ピアノはいいと言い切りますが、これはやって来たから思うだけかもしれません。
その証拠に、柔道をやって来た人は柔道がない人生は考えられないのに私は柔道のない人生を思い切りエンジョイしてる。。こんなもんかもしれません。


なんだかふと、今の時代、場所も取る、音はでかい、実にもならない、お金はかかるピアノを習うのはなんでだろうと考えてしまいました。

2016年6月13日月曜日

子供と音楽ジャンル

小さい頃から食べているものは抵抗なく食べられるけれど、大人になってからの新しい食材や味、特に香辛料などは、なかなか「美味しい」と感じられません。
まして、自分で作るとなったらやはり慣れ親しんだ味に近づけてしまいますね。

それと同じに音楽も大人になってから、新しいものを受け入れるのはとても難しいです。

現代はそこら中に音楽が溢れています。
子供達はシンコペーションなどの難しいリズムも取れるようになって不協和音にも慣れて、ノリノリに歌ったり踊ったりしています。
しかし一つの音の美しさ、単純なリズムの美しさには、耳を傾けようとしません。

クラッシックは一つ一つの音の美しさが連なって複雑な波を描いていきます。
クラッシックの良さは全体でありながら細部です。
細部の美しさがあるからこそ全体が美しく仕上がる。
その繊細さと重厚さは大人になってからだと複雑過ぎて受け入れ難くなってしまいます。

クラッシックは難しいんじゃなくて慣れです。
お子さんはノリのいい、馴染みやすい曲が大好きですが、それだけでは狭い狭い音楽の世界なのです。

子供が大人になった時世界はどう変わっているかわかりません。
世界は変わります。
流行の音楽も廃れます。
そんな中、廃れずにどんなジャンルの人にも受け入れられ残ってきているクラッシック。
世界のどこに行っても通用するクラッシック。


子供にこそクラッシックの世界を知って、触れて、慣れて欲しいと思います。








2016年6月12日日曜日

「みんなが元気になるコンサート」


熊本チャリティ
「みんなが元気になるコンサート」
〜益城町立広安小学校に電子ピアノを贈るプロジェクト〜



日時   7月18日(祝日 月曜日)

会場   小金井宮地楽器ホール 小ホール

開場   10:00

開演   10:15

出演   ソプラノ 林田さつき (熊本出身)
     バリトン 水野洋介  (熊本出身)
     ピアノ  森田有紀子 高野恵里菜 
     ナビゲーター 直井紀子

入場料  無料  
    (募金箱を設置します。お一人1000円以上のお志を賜れましたら幸いです)

内容   ディズニーから日本の歌、クラッシック、オペラまで

入場制限 なし 赤ちゃんから子供から大人からシニアまでみんな
     (途中赤ちゃんが泣いちゃったら親子室からご鑑賞ください 4名まで)



整理券、入場券はありません。当日直接会場へお越しください。



お運びくださった皆様、一人一人が元気になるよう、私たちも現在、精一杯準備・練習しています。
いただきましたご寄付は全額熊本の益城町立広安小学校に送ります。田中元校長先生の御意志により電子ピアノをご購入いただきます。


詳しくはこちら!! → はじめてピアノの会ホームページ













2016年6月11日土曜日

もう一つの自然な暮らし

野菜を育てて自分でお料理して、生ゴミは堆肥にしてその土でまた野菜を育てる、、これは私にとって第一の自然な暮らしです。

もう一つの自然な暮らしとは、あるもので暮らす。
景品でもらったボールペンやTシャツは使えなくなるまで使います。
裏紙ももちろん使います。

しかし、意匠デザインのイロイロを否定するのかというと違います。
景品でもらったボールペンも使いますが、パーカーも使います。
普段はラクで機能的な服ですが、舞台で着る服は高価です。
家具も気に入ったものが欲しくなります。

90歳の生徒さんで、いつもいつも頭の先からつま先まで、それこそ日傘からネイル、靴までトータルコーディネートをされてレッスンにお見えになる方がいて、とても素敵です。美意識というのは生まれ持ったものだなぁと惚れ惚れします。
そういう方にとって美意識を開花させることは人生そのものだと思います。

私のように普段は景品でいいわ、という人でも現代に生まれているということは意味があります。せっかく素敵なものがたくさんある現代、もらい物と機能的なものだけでなく、美意識に優れた方が作って下さったステキなものを楽しませてもらうのも、私にとってのもう一つの自然な暮らしです。

2016年6月10日金曜日

気をつけます。

今日は落ち込んでいます。
理由はまたまたご迷惑をおかけすることをしてしまったからです。


せっかく夏野菜が芽を出し成長し、新しいぬか床も仕込んでイイカンジで発酵しているっていうのに、、、。
気の緩みです。

1年に一度くらいこういうことをしちゃうので、これが2年に一度になるよう頑張ります。気をつけます。






2016年6月9日木曜日

言葉を信じる

私は人を見る目がありません。
あとになって「へえ〜、知らなかった、こういう人だったんだ」とだいたい思います。

なので今は最初の印象と違ったところで「最初の印象と違うな」と思うだけのことです。

しかし、ずっと昔はない勘を元に、目や動作や外見やいろいろな印象でその人を判断してはわかったかのようなつもりでいて、実際そうじゃないとまるで裏切られたかのように思っていました。

これは明らかに自分勝手です。
自分の勘が悪いだけなのに、相手がそう言ったかのように責任をなすりつけて。
察することは、勘がよければいいのでしょうが、私のように勘が悪いのにそういうことをすると誤解が生じ物事を複雑にしてしまいます。
その結果、相手を傷つけることもあるし自分も傷つきます。

だからあえて私は言葉を信じる事にしました。

目や動作やいろいろな印象で、言わなくても、見当がついても、仮にそこに言いたいことが100%出ていたとしても、言葉にされた方を信じる。
そのとき責任が生まれます。

だからそっちを信じる。とりあえず本人が言った方を信じる。

そうすると物事がとてもシンプルになるんです。
だって違ってたら人のせいにできるから。
相手が嘘つきで、自分の勘が悪かったわけではないから。
それに、嘘って言い続けると整合性がなくなるから言葉に必ず現れちゃう。

詐欺にしたって言葉を信じるから引っかかる訳ではありません。
まず詐欺は弱みに付け込んでくるので、引っかからないようにするには、メンタル。
そして勘ではなく勉強と知識と経験です。
日常で勘が外れて、ちょくちょく失敗する経験も大きな詐欺に引っかからないことに役立つんじゃないかと自分では思ってるんですが。。


言葉を信じるとシンプルでわかりやすくて生きやすいです。
勘が悪い人にはオススメです。




2016年6月8日水曜日

始まりました!

インゲンの芽が出ました♪








これが4本。

つるありなのでこれからつるがくるくる絡まっていってくれると思います。





ほうれん草は芽が出たばかり。
ほうれん草と言っても
冬のゆでて食べるほうれん草でなく
そのまま食べるサラダほうれん草。
 この時期でもOK!

その他に苗を1本づつ買ったナスとピーマンもすくすく育っています。
大葉と三つ葉とニラは変わらず獲れまくっています。
バジルとルッコラと唐辛子はじきにこぼれ種で芽を出すでしょう。


夏の畑仕事がいよいよ本格化してきました♪
(ベランダです)






















2016年6月7日火曜日

音楽を浸透させる

音楽は結局耳です。

でも「弾くのが好き」な方はそんなに聴かなかったりするんです。
聴かずに弾く一方だと鎖国時代の日本人同士の英会話みたいな音楽になっちゃいます。
聞いたことありませんが。

音楽は耳です。
耳を鍛えるには外国語と同じ、生活の中に「本物の音」を浸透させることです。
英語も、本を読んだり単語を書いていても会話をしないと通じるようにはなりません。
会話は何かって言うと「聞いて、しゃべる」です。
しゃべるだけではダメなんです。聞かなきゃ間違った発音でしゃべっちゃいますから。

ピアノも一緒です。弾けるようになるにはお家での練習が大事なのは言うまでもありませんが、弾くだけの練習は、一人で発音している英語学習のようなもの。
弾くだけのピアノは、正しいけど通じない英語のようなもの。
レッスンで先生が弾いてくれたのを覚えておくのもやっぱり耳なんです。

クラッシックを弾きたいなら生活の中でもクラッシックを聴く。耳に浸透させないと楽譜が読めても指が動いても、「通じる」ようになりません。

生徒さんを見ていると「弾く練習だけ」のフシがなくはないんですね。弾く練習だから「ここはクレッシェンドだからだんだん大きくですね、ここはピアノだから弱くですね、アレグロだからメトロノーム120ですか?」と理屈で考えて弾いてしまう。

「クレッシェンド」という記号は、音になるものを表したたった一つの言葉に過ぎず、その楽譜のその場所には本当はものすごい量の情報が含まれているのです。言葉にできない音に込めた情報が。
そもそも演奏者が全員書いてあることだけで弾いていたらロボットの演奏になっちゃいます。

「聴いてもわからない」と思うのは聴く量が足りないのです。
たくさん聞いていると、なんかニュアンスがわかってきます。
口では言えないようなニュアンス。

この間「ここはピアニッシモだけど胡椒をピリって効かせて」と生徒さんにアドバイスしたらすぐにわかってくれて、本当にニュアンスでこんなに変わるんだ〜と思いました。

できたら生の演奏がいいです。
演奏家の呼吸や微妙なニュアンスが伝わるから。
電話より、スカイプより、実際に会うと伝わるものがあるのと一緒です。

とは言ってもなかなか生の演奏を聴くことは出来ないので、普段はCDでもなんでもいいと思います。

生活に音楽を浸透させることはピアノの上達には欠かせません。






2016年6月6日月曜日

ピアノを趣味にする人の傾向

趣味にしてはしんどいピアノ。
それをなぜ趣味にするのか?


「ピアノが弾けたらいいな」「ピアノが弾けるってステキ♪」っていう気持ちで始めるのは当然ですが、いざ始めてみると聞くのと弾くのじゃ大違い。
音は簡単に出るのに楽しい、ステキまでが遠すぎる。。
ちょっとかじるのは簡単だけど、続けるのは難しい。
それがピアノ。
だからみんなやめちゃう。

にもかかわらず、ピアノをやめずに趣味にする人がいる。
ピアノを趣味にする人ってどんな人なんでしょう?


私の思うところですが、きっと「むだに向上心がある人」


ピアノは一人で舞台で弾いたりするので、「自己顕示欲の強い人」がやるものと思われがちですが、これは誤解です。
いえ、誤解ではありません。
どっちだって話です。

人前で演奏するというのは、自己顕示欲がないとできません。
しかし、自己顕示欲がない人間なんていないんです。人間である以上自己顕示欲は全員あるんです。本能です。人間に生まれている以上、人に認められたくない人はいません。子供を見ればわかることです。自分が出なくても自分が作ったものを発表するのも同じです。

人前で弾きたくない人ももちろんいます。がこれは、自己顕示欲がないからではなくむしろ自意識が高くなり、ピアノを弾く事で自己顕示が出来ないと学習したからです。私自身が自意識が強くて「下手だと思われたくない」ことが理由で人前で弾けない時期が長くありました。今でも人前で弾くのは大の大の大の苦手ですが、それは人前で演奏する事が逆に自分を顕示できなくなることがわかっているからです。

話をまとめます。
人としての自己顕示欲は全員あるから、人前でピアノを弾くことを取り立てて自己顕示欲があるとするのは間違い。

話を戻します。
では自己顕示以外に人前で弾く目的は何かというと、自分のやってきたことを客観的に確認する。ピアノは家では100出来てても人前で弾くとなると60くらいになっちゃう。それじゃ出来てるとは言わない。

つまりちゃんと出来たいのです。客観的にちゃんと出来たい。またはちゃんと出来ることに挑戦したい。60で満足しとけばラクなのに、家で出来たことが人前でもできるかちゃんと確認したい。
人から見れば趣味なんだし、家で出来てんなら60でいいじゃんって思うところ、いやいやそれは出来ているとは言わない、と自分に鞭打つのです。この向上心を持つのがピアノを趣味にする人の特徴じゃないかと思うのです。

「だいたい弾けた」から「ちゃんと弾ける」までが一番大変。
だいたいまでを10とするとちゃんとは100万くらい。
だから諦めたくなる。これでいいやって思いたい。
そこをピアノを趣味にする人ってやるんですね。
10の次は11を、その次は12を目指す。
でもピアノは難しいから12まで行っても100万は行かない。だからやらない人から見たらそれって「むだな向上心」に見えちゃうんですね。

でも人は、実はこの部分を感じて心動かされます。
そこまでやったピアノはそのとき自己顕示じゃなくなる気もしています。
次を目指す人。
無理の壁を越えようとする人。
100万にならなくても、あきらめずに挑戦する人。
そして、人からの賞賛でなく音楽の美しさ、楽しさを何よりのご褒美と受け取れる人。


私は幸運にも仕事にさせていただいているので、責任上成り行き上(笑)勉強し続けています。
しかし趣味でやる方は、やらなくていいものなのに、こんなもんでいいやって思わずに取り組まれている。
そのことにいつも感動していつも元気をもらっているので書いてみました。


大きな苦しみ(笑)と喜びを与えてくれるピアノ。
是非長く長くお付き合いくださいませ。


今日も読んでくださってありがとうございました。
























2016年6月5日日曜日

御用達

私の家の3件先にいわゆる普通のスーパーがあります。
ドアツードアで1分かかるかかからないかの場所です。

私は面倒くさがりなので、たとえ1分と言えど外には出たくないタイプです。お買い物は仕事の帰りに済ませ、家にいる時間を少しでも長くしたいタイプです。しかも帰り道には日替わりで特売品が並ぶ安いスーパーがあります。

なのに、この高くはないけれど安くはないスーパーで、かなりの割合でお買い物をするようにしています。ケチで出不精な私が、です。

私はこのスーパーの「応援プロジェクト」を執り行っているのです。

そのプロジェクトとは「ここにお店があってくれてとても助かります」という感謝の意思表示と、このスーパーがつぶれないようにそこで買い物をする、というミッションです。

「あ!あとカツ一枚分だけパン粉が足りない!」とか
「あ!いただきますしたのに、ソースがカツ一枚分足りない!」という時、1分で、あたかも冷蔵庫から取り出すごとくにパン粉やソースが調達出来るのです。
大きなおうちならきっと冷蔵庫まで1分くらいはかかるでしょう。
私は心から「ああ、なんて便利な…ありがたい」と、そこにそのお店が存在することに感謝します。

いざという時のための危機管理と言えます。
そして、たとえ10円20円高くても、いざという時助けてくれる恩を大切にしたいと思います。








2016年6月4日土曜日

体調とピアノ

体調が悪いと当然何もする気になりません。
ピアノもそうです。

もうすぐ梅雨。
体調の悪くなる方もいらっしゃるでしょう。
体力も顔や環境と同じで神様の与えてくれたもの。
それぞれ個人差があります。
自分で出来る心や身体の自己管理はもちろんした方がいいですが、他人と比べない方がいいと思います。

私は体力ないし自分に優しいので、掃除でもなんでも疲れそうになったらその前にやめます。中途半端でも。じゃないと次の事が楽しく出来ません。

だからピアノもこの程度です。
でもその分長い目で続ける。
続ければ体力なくてもちょっとはマシになります。

はじめてピアノの会の大人の生徒さんの平均年齢は70歳。
時々体調を崩される方もいらっしゃいます。
そういうときは、ゆっくり休んで下さい。
体調悪いのに練習したら、疲れてピアノ続きませんから。

ピアノを楽しむコツは長く続ける、これ以上のことはありません。

2016年6月3日金曜日

サロンの会決定!

はじめてピアノの会の記念すべき第10回サロンの会が決まりました!



まずは、とりあえず、すぐに魂込めて練習はじめて下さい。


ピアノは、そうです!!
この間私が試弾させていただいたあの


FAZIOLIです!!


そして調律はあの越智さん!!(「もうひとつのショパンコンクール〜ピアノ調律師たちの闘い〜」が6月11日15:00〜NHKBS1で再放送されます。ぜひご覧ください)。


各日程 30名定員


11:15開演

終演後 午餐会 (イタリアンフルコース お飲み物付き)


一つ一つの音が弾いたまま鳴ってくれるピアノです。
美しさを追求して練習はじめて下さいね〜。



第10回 サロンの会の詳細はこちら







2016年6月2日木曜日

芸術とビジネス

芸術とビジネスは隣接していないといけない、と熊川哲也さんが言っていました。


芸術家も人間ですからまず必要なのはパンですね。
パンがないと芸術以前に生きていけませんから、要するに芸術家もお金が必要です。
しかし、職業として芸術をやっていくのは大変厳しいです。
なぜなら人は、肉体的飢餓は感じやすいけれど心の飢餓は感じにくいからです。心の栄養にはお金を出そうとあまり思わないものです。

となると芸術家は芸術をやるためにもまず他に職業を持って自分のパンを確保しないといけません。が、どんな職業でも簡単ではありませんから他に職業を持つと芸術の鍛錬に使う時間がなくなります。そうするとみんな、芸術家にならなくなり、芸術に触れる機会もなくなります。
つまりちゃんと芸術家という職業が成立しないと芸術そのものがなくなってしまうということです。

熊川さんの仰っていることは、そういう事だと思います。
芸術が人々に近づくには、人々が芸術に近づくには現代ではビジネスとして成り立つことが必要です。

バレエを観るということは、膨大な原価がかかっています。
「お金でバレエダンサーの命の時間を買う」ことです。
ひと公演の二時間ではなくて、バレエダンサーのバレエにかけてきた人生の時間。それを踊れるようになるまでのダンサーの時間のすべてです。それを買う人たちがいてこそバレエが公演として成り立つのです。

国が威信をかけてお金を注いで芸術を育てたから西洋音楽はここまで発展しました。
今の時代は国もパトロンも支援してくれません。
だからビジネスと結びつかないと発展できないのです。
芸術が存続するには対価としての報酬を支払う必要があります。
人に最低限必要なのはパンです。
でもパンのみにて生きるにあらず。
命を削って豊かさと潤いをあたえてくれるバレエダンサーや芸術家たち。


やる方はお金を払う価値のあるものをやる、観る方は満足の対価としてのお金を払う。
心の栄養のための芸術は、ビジネスと隣接していないと育たないと私も思います。









2016年6月1日水曜日

とらわれずに上達を目指す

ピアノは趣味でも上達を目指す。
ピアノに限らず楽器演奏とはそういうものです。

「子供はそうだろうけど、これから専門家になる訳じゃないし楽しめればいいの」と大人の方はおっしゃいます。
はい。私も、楽しんで下さい、上達ばかりにとらわれずに、といつも申します。

しかし。
楽しむためには上達を目指して努力することが大事です。
楽しくレッスンに通っていつの間にか楽しく弾ける…なんて夢のような話ありません。
上達を目指して頑張らないと、楽しむことも出来ません。
これは子供も大人もシニアも一緒です。
ちょっとずつ頑張って苦労して、弾けるようになっていくというより弾けるようにしていく。
それがピアノです。

ハッキリ言って思っているような上達はしないかもしれません。
何故ならそんなにピアノは甘くないから。
それが普通。
だから上達にとらわれてはいけない。
ここをちゃんとわかって、それでも上達を目指す。

人と同じくらい弾けるようになるためでなく、今の自分よりちょっと上達するように。
難しい曲が弾けるためでなく、きれいに弾けるとか、気持ちよく弾けるとか、その曲の感じが出せるとか、聴いてくれる人を勇気づけられるとか…。

10年続ければインストラクターになれる習い事もあります。
講習を3カ月受ければ取れる資格もあります。

でもピアノは3ヶ月や10年じゃまだまだ。
だからこそ、ほんの少しの上達にも価値があるのです。

年をとると、以前出来た事が出来なくなります。
ピアノも子供のような上達はないです。
どちらかと言うと、どんどん弾けなくなるかもしれない。

でもその中で上達を目指す。
目標を持って目標に向かって頑張る。
そうすると、ほんとうに、ちゃんと上達するものなんですね。


上達にとらわれては苦しいだけだけど、あきらめず上達を目指すことで是非ピアノだけの深い楽しみを味わってください。